多くの親が「子どもが親からの愛情を感じられる」ことよりも「子どもが勉強をすること」を優先してしま | 家庭を子どものBASEに 佐伯和也公式ブログ

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子どもが思う存分遊ぶ(ゲーム含む)ことで、知的好奇心が育ち、それが勉強にも繋がっていく

子どもが頑なに勉強や挑戦を拒むのだとすれば、それは僕の言葉で言えば、親が、

 

「子どもが親からの愛情を感じられる」

 

よりも、

 

「子どもが勉強をする」

 

を優先してしまっている、っていうことの最もな結末かな、って思います。

 

 

 

「子どもが自分から勉強を始める」

 

ってのは、

 

「子どもが親からの愛情を感じている」

 

っていうのを前提としている。

 

 

 

だから、親が、

 

「何とかして、子どもには勉強をしてほしい」

 

と強く思えば思うほど、親の子どもへの関わりは、

 

「子どもに何とかして勉強をさせようとする」

 

「子どもに何とかして勉強以外の活動をさせないようにする」

 

っていう方向に傾いていきます。

 

 

 

「ゲームを制限して、勉強を奨励する」

 

なんて、その最たるものよね。

 

 

 

そうすると、子どもは親からの愛情を感じにくくなる。

 

自分が子どもになったつもりで、想像してみてほしい。

 

 

 

必死に、何とかして勉強をさせようとしてくる親に対して、

 

「勉強させようとしてくれて、ありがとう!」

 

って思うかな。

 

 

 

遊びを制限してくる親に対して、

 

「お母さん、お父さん、遊びを制限してくれて、好きなものを取り上げてくれて、ありがとう!!」

 

って思うかな。

 

 

 

思うとしたら、とんだ変態だよね。

 

多くの子どもは、それでは親からの愛情は感じない。

 

子どもによっては、

 

「親から愛されていないんじゃないか」

 

「親から大事にされていないんじゃないか」

 

って感じる。

 

 

 

子どもが、親からの愛情を感じなくなると、勉強なんてどうでもよくなってくる。

 

勉強や学校なんかよりも、

 

「どうやったら、親が愛してくれるのかな」

 

って模索するようになる。

 

 

 

子どもにとっては、

 

「親が愛してくれているかどうか」

 

が最優先課題なんです。

 

 

 

間違っても、勉強をすることじゃない。

 

「親は、自分を愛してくれている」

 

って思えて初めて、子どもは勉強でもしてみようか、と思うことができる。

 

 

 

「子どもが自分から勉強をする」

 

っていうことと、

 

「子どもが親からの愛情を感じる」

 

っていうことは、両立できる。

 

 

 

でも、その優先順位を間違えちゃうと、子どもは決して勉強するようにはならない。

 

「子どもが親からの愛情を感じている」

 

っていうことを維持しながら、

 

「子どもが勉強を楽しめるような工夫」

 

「子どもが勉強を好きになれるような工夫」

 

をすると、子どもも勉強を楽しんでくれることがある。

 

 

 

でも、逆に、

 

「子どもが親からの愛情を感じている」

 

っていうことよりも、

 

「子どもが勉強を楽しめるような工夫」

 

「子どもが勉強を好きになれるような工夫」

 

っていうのをやっても、この子どもにとっては、

 

「勉強なんてどうでもいい」

 

から、親の努力とは裏腹に、勉強をすることに興味は示さない。

 

 

 

だから、子どもに勉強をしてほしいのならば、

 

「子どもが親からの愛情を感じている」

 

っていうのがちゃんと満たされている状態で、

 

「子どもが勉強を楽しめるような工夫」

 

「子どもが勉強を好きになれるような工夫」

 

っていうのをやるんです。

 

 

 

まず、最優先は

 

「子どもが親からの愛情を感じてくれていること」

 

です。

 

 

 

そして、この話に関連して、もう1つ重要なことがあります。

 

それは、

 

「親が、子どもに愛情を注いでいる」

 

っていうのと、

 

「子どもが、親からの愛情を感じている」

 

っていうのは、イコールではない、っていうこと。

 

 

 

つまり、

 

「親が、子どもに愛情を注いでいる」

 

からといって、必ずしも、

 

「子どもが、親からの愛情を感じているわけではない」

 

っていうこと。

 

 

 

「親が、子どもに勉強をさせる」

 

っていうのが上手くいかない理由も、ここにあります。

 

 

 

子どもに勉強をさせようとする親は、きっと子どもを愛しているし、子どもに愛情を注いでいるし、子どもの幸せを願ってのことだと思うんです。

 

それはもちろん、否定されるものでもないし、おかしいことではない。

 

 

 

そのこととは、全然、別次元の話で、

 

「それで、子どもが親からの愛情を感じるとは限らない」

 

んです。

 

 

 

だから、

 

「子どもに勉強をさせようとする」

 

ってやっても、子どもは

 

「親から愛されていない感」

 

を感じこそすれど、

 

「よし、勉強しよう」

 

とはならんのです。

 

 

 

子どもに勉強をさせようとか、子どもに勉強をしてほしい、って願うのがダメなわけではない。

 

そこに固執しすぎて、

 

「子どもが、親からの愛情を感じているかどうか」

 

っていうことをすっ飛ばしてしまう。

 

 

 

 

 

「子どもが愛情を感じてくれているのか分からない」

 

「子どもを愛せているのかどうか、自信が無い」

 

っていう人は、子ども本人に聴いてみるのが一番です。

 

 

 

「子どもが愛情を感じてくれているか」

 

っていうのは、

 

『子ども目線』

 

の話だから、親が一人であれこれ考えていても結論が出せる話ではありません。

 

 

 

「愛情を感じている」

 

って言うならば、

 

「良かった、ありがとう」

 

ってなるし、

 

「愛情を感じていない」

 

って言うならば、

 

「じゃあ、どうしたらいいかな?」

 

っていうことを子どもに聴いてみたらいいです。

 

 

 

愛情を感じるかどうかは子ども自身の話なので、子どもと話をするのが一番。

 

言い換えれば、

 

「子どもが親からの愛情を感じてくれてさえいれば、子育ては上手くいったも同然」

 

です。

 

 

 

「子育ての評価は、子ども自身がするもの」

 

「子ども本人以外の人が、自分の子育てのやり方を評価してきたものは全てボツでいい」

 

ってこと。

 

 

 

「子ども本人以外の人がしてきた子育ての評価を真に受ける」

 

そして、

 

「子どもは親からの愛情を感じられなくなる」

 

ってなると、本末転倒もいいところ。

 

 

 

だから、親が最も気持ちを大事にしないといけないのは、

 

1.自分

 

2.子ども

 

3.それ以外の人

 

っていう優先順位なのです。

 

 

 

たとえ、自分の親であっても、子育てにおいては、自分、子どもの方が優先です。

 

この優先順位を間違えると、

 

「子どもが、親からの愛情を感じられない」

 

とか、

 

「子どもが勉強が嫌いになる」

 

ってなことが起こります。

 

 

 

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