さて、先月も好評だった1ヶ月の記事ランキング。
今月もやりますよー!
2月は22記事を更新しました。
その中での人気記事ランキングTOP10(アメブロのアクセス解析ベース)を発表します。
興味がある記事があれば、読んでみてね!
さぁ、1位はいかに!?
親子関係の問題は、夫婦関係の問題に帰着される。
この言葉の意味は、
「親は、家庭の中で自分らしく振る舞えていますか?」
という問い掛けです。
「夫婦仲良くいなければならない」
って意味ではないし、
「夫婦の価値観がそろっていなければならない」
って意味でもないし、
「子育ての方針が夫婦で合致していなければならない」
って意味でもありません。
夫婦関係における『問題』とは、
「相手の価値観を認めていない」
っていうこと。
言い換えれば、
「自分の価値観を相手に押し付けていること」
「それによって、相手を非難していること」
です。
喧嘩しちゃダメとか、仲良くしていろ、って話じゃないです。
相手の価値観を否定していませんか?
相手を自分の正義で非難して、ぶった切っていませんか?
って話です。
相手を非難する心は、色んなところに飛び火する可能性を秘めていて、
「子どもをどこかで認めていない」
「自分のこともどこかで認めていない」
っていうことも起こります。
そしたら、それが、自分自身のイライラや、子どもの問題行動なんかに繋がっていく可能性も同時に秘めてる。
親は、家族の雰囲気を作るから、それぞれがお互いを非難し合っていると、それが子どもにも影響を与える。
逆に、お互いが、お互いの違いを認めて、協力し合っていけると、それもやっぱり子どもに影響を与える。
だから、結局、「親が、家庭の中で自分らしくいられているのかどうか」っていうのは、親子関係に多大なる影響を与える。
そんな話でした。
◆第9位「僕は、叱るよりも、怒ります」
「お前のために言っているんだぞ!」
っていう言葉を親も、先生も、時々使いますが、これは『叱る』とは言いません。
これは、ただ単に怒っているだけ。
こういうのをアドラー心理学でいう「人生の嘘」なんていうものにも当てはまるんじゃないかな。
つまり、本当は、子どもを一人の人間として認めて対等なコミュニケーションを取ること、子どもの本心としっかりと向き合うことが大切なのに、
「お前が悪いことをしたから、俺は怒らざるを得ない!」
「私は、あなたのせいで怒っているの!」
みたいにして、自分の怒りからも、子どもの本心からも目を背けてしまっているんです。
だから、最初から
「あなたの言葉で傷ついた!」
「そのやり方は、何だかバカにされている気がする!」
って言ってやりたいんです。
そうやって、嘘をつかずに、本心を伝えて、しかも、怒りを溜め込まずにすぐに出すようにすると、子どもにも伝わります。
子どもに気持ちが伝われば、親子の関係はとってもいいものになります。
そしたら、結果的に、子どもにイライラする機会も減っていきます。
親か、子どものどちらかが気持ちを我慢して、しんどい想いをするのは、横の関係の観点で言っても、苦しいなぁ、って思うんです。
◆第8位「『ゲーム=悪』という発想を変えると、子どもは変わっていく」
ゲームに関する連続投稿の第三弾の記事ですね。
世間一般に広がる『ゲーム=悪』という認識について、です。
ゲームが大好きな子どもとの関わりをしんどいものにするのが、
『ゲーム=悪』
という発想です。
他の遊びはそうでもないのに、なぜかゲームという遊びに関してだけは、すこぶる悪者扱いされます。
ゲームを悪者扱いすれば、その子どもも一緒に悪者扱いしたり、危険視したり、問題視したりします。
「うちの子は、ゲーム依存症だ!」
なんて、病気扱いされることもあります。
でも、ゲームは遊びだし、道具なんです。
ゲームは道具なんだから、ゲームを責めたところで、何も起こらない。
本当に注目をしないといけないのは、親子の関係性です。
ゲームのせいにしちゃいけないんです。
『ゲーム=悪』という発想は、
子ども ⇒ ゲームの世界から抜け出してこない
っていう依存的なものを引き起こすんだとしたら、親自身も
親 ⇒ 『ゲーム=悪』という世界から抜け出してこない
っていう発想に依存してるんです。
僕から見れば、ね。
そこに気付いて、「なんだ、ゲームはそんなに悪いものじゃなかった」って感じで、発想を変えれば、親も、子どもも、ゲームとは上手く付き合えます。
でも、親の方に、1mmでも『ゲーム=悪』っていう認識があれば、子どもはゲームの世界にどんどんハマっていく、それくらいの劇薬なんです。
だから、言い換えれば、たばこに対するニコチンの相当するものは、『ゲーム=悪』という認知そのものかもしれませんね。
それを子どもにも与えている、っていうことかもしれません。
今月は、連続投稿を何度かしていたんですね~(←忘れてた)
『褒める』と、『勇気付け』の違いについて、考えていた記事です。
『褒める』のも、『勇気付け』するのも、言葉レベルでは全く同じことを言っていることがあります。
「すごいね!」
って言って『褒める』に入る場合もあれば、
「すごいね!」
って言って『勇気付け』に入る場合もあります。
だから、『勇気付け』かそうでないかは、親の生き方によります。
どんな生き方が、子どもへの『勇気付け』になるかと言えば、
「親が、普通に過ごしている時」
です。
なぜなら、子どもは、親のことが大好きだから、です。
だから、親は、無理して子どもをモチベートしようとして、褒めたりしなくても、感じたことを素直に表現しているだけで、子どもにはとても大きな『勇気付け』になる。
アドラーは、「あなたは、そのままでも十分特別なのだから、普通でいる勇気を持ちなさい」って言っていますが、この記事は、そんな話でした。
子どもをコントロールしようとしたり、子どもに制限や条件を加えたりして、子どもと上下関係を築こうとする親は少なくありません。
で、多くの場合、子どもと上下関係を築こうとしたら、子どもの反発が大きくてしんどい想いをしたり、思春期当たりで、形勢逆転されて反抗期に突入する、といったことが起こりがちです。
どうして、親が子どもと上下関係を築いちゃうのか、というと、日本人の宗教観には、実は儒教思想が隠れているから、です。
儒教思想というのは、『孝』という考え方を中心に置きながら、
「親は、子どもよりも偉い」
っていうことを教えています。
僕ら日本人は、その考え方に、2000年も前からさらされています。
儒教思想がそもそも先祖を大切にする宗教だから、僕らもまた先祖代々
「親は、子どもよりも偉い」
と教えられてきて、今もこうして名前こそあまり出てきませんが、色濃く残っているわけですね。
「えぇ、儒教なんて信仰していないよ~」
っていう人は、お墓参りをやめてみたり、先祖の位牌を捨ててみてください。
できなければ、すなわち、儒教への信仰心(≒祖霊信仰)がある、ってことです。
親の方が上に立つと、逆に、子どもは親よりも劣った存在である、って考えるわけです。
だから、親からの強制が必要で、子どもは親が色々と管理してやらなっきゃいけない、って思うわけです。
そして、
「子どもは親が手助けをしてやらなければならない存在だ」
「子どもは親に従うべきで、だからこそ、親に責任がある」
みたいな考え方を持っていると、子どもが『親の劣化コピー』になっていく可能性があります。
なので、『遊びの解放』をして、子どもの可能性を最大限に引き出していきましょう!という話でした。
つい昨日書いた記事が、まさかの第5位!
Facebookでもなかなかの反響をいただきました。
ありがとうございます。
『アドラー心理学』って、学んでみると分かりますが、
「最小の共同体は、人類が誕生してから現在、さらに未来までの全人類」
「怒りなどの感情は、目的のために使われる手段にすぎない」
など、なかなか強烈なことを教えてくれます。
アドラー心理学が目指しているのは、
「個人の幸福」
「個人と個人の協力」
「共同体の幸福」
なので、アドラー心理学の考え方自体は、とっても素晴らしいものだと思って、僕自身も採用しています。
しかし、アドラー心理学の考え方と、自分自身が大きく乖離している場合、そのまま採用すると、自分が疲れちゃうことがあります。
「自分は、なんてダメなんだろう」
みたいな自己否定だって持つこともあるでしょう。
アドラー心理学は、絶対的な真理ではなく、道具だと捉えて、それこそ、自分自身や、自分の周りの人たちが幸せを感じられるように、都合よく解釈使っていけばいいんじゃないかな、って思うんです。
アドラー心理学の考え方を採用したら、自分が自己否定的になり、「アドラー心理学的かどうか」が共同体のルールとなって、息苦しくなった、なんてことになれば、本末転倒ですからね。
常に、主役は、アドラー心理学ではなく、僕ら自身なんだよ、ていう話でした。
◆第4位「子どもが安心する家庭環境作り」
この記事も、Facebookでもなかなか反響をいただきました。
「子どもが"自分から"勉強を始める」
っていうことにこだわって書いた記事です。
「子どもが"自分から"勉強を始める」
っていうことは、言い換えれば、
「子どもが"親からの承認を求めずに"勉強を始める」
っていうことであり、さらに言えば、
「子どもが親からの承認が不要なくらい、今まで承認を受けてきた」
っていうことなんです。
勘違いしちゃいけないことは、
「今まで、子どもを承認してこなかったのに、子どもが承認を不要と感じることはない」
っていうこと。
なぜなら、子どもにとって、親からの承認は、生きる上でめちゃくちゃ重要なことだから、です。
だから、家庭の中では、子どもに対して、勉強をしている時も、勉強をしていない時も、本当に色んなシーンで子どもを承認してあげたいんです。
『承認』とは、何か言葉をかけたり、ご褒美を与えることじゃなくて、
「親が、承認したいことについて、何も言及せず、ただただリラックスしていること」
です。
第7位の記事にも書きましたが、「親が、自分らしく普通にしていること」が、子どもにとって一番の勇気付けだろうし、一番の承認だろう、って思うんです。
そして、「親が家庭の中で、自分らしく普通にしていること」が、「子どもが安心する家庭環境」ってことじゃないかな、なんて思います。
仙台講演にご参加いただいた方からのリクエストで書いた記事ですね。
けっこうアクセスされていたんですね~。
ありがたや。
すごく簡単に書けば、
「子育てに失敗して、子どもが自分で何も決めなくなりました」
っていうことに対して、
「子どもも、自分で『何も決めない』ということを『決めた』んですよ」
って答えた上で、
「子育てに早いも遅いもなくて、今から方向転換すればOK!」(過去には戻れないしね)
っていうことを書きました。
理想を掲げたり、理想に触れると、僕らは、理想からの引き算で考えちゃうんです。
そしたら、凹む。
僕が書いていることも、
「本来、こうあるべきだった」
っていう話ではなくて、
「こうすれば、こうなるんじゃないか」
っていう話なんです。
だから、凹む凹まないは、自由に選択してくれたらいいんですが、
「なるほど、そうすればよかったのか!」
とか言いながら、実践してくれると、アドラー自身も、
「性格は、死ぬ2日前まで変えられる」
って言っていて、人は、いつからでも変われるんです。
ただし、親の変化に、子どもがどう反応するのかは、これまた子どもの自由です。
そんなことを考えながら、今からシフトチェンジしていっても、全然子どもには変化があるんじゃないか、っていう話でした。
今月は、『褒める』、『叱る』、『勇気付け』について書いた記事が多かったんですね。
第2位のこの記事では、『褒める』ということで起こる可能性のあることについて、書いてみました。
簡単に書くと、褒めると、『褒められること』が目的化しやすく、本来、やってほしいことはやってくれない、っていうことが起こります。
『目的化』というのは、
・飽きるまで、求め続ける
・一度満たしたら、さらなるものを求める
っていうこと。
例えば、勉強をすることが目的になれば、
・気が済むまで勉強をする
・やりたい勉強をやり切ったら、もっと勉強したいと思う
っていうことね。
ゲームとかも、同じ理屈が当てはまります。
だから、『褒める』っていうことを重点的にやっちゃうと、親が苦しくなっちゃうし、子どもが依存的に育っていくんです。
これは、両者とも困ります。
なので、『褒める』っていうことよりも、第7位の記事で書いたように、『勇気付け』っていうコミュニケーションスタイルを親子のコミュニケーションに導入したいんです。
ちなみに、『褒める』っていうのも使いどころがあります。
それは、
・今、やっていないことを、やらせるために使う
のではなく、
・今、やっていることを、さらに加速させるために使う
っていうのが効果的ではないか、って思います。
子どもが勉強をしていない時に、勉強をさせる目的で、褒めると、褒められることが目的になります。
そしたら、褒められなくなったらやめます。
しかし、元々、勉強している子に対して、すなわち、既に勉強をする目的を持っている子に対して褒めると、褒められることは目的になりません。
なぜなら、すでに、別の目的で勉強しているんだから、です。
前者が、麻薬級の効き目だとしたら、後者は、ちょっとしたスパイス程度の効き目になります。
こんな感じで、『褒める』というのは使っていくんです。
◆第1位「『親は、子どもの好きなものを取り上げれば、子どもが言うことを聞くと思ってる』」
この記事はたしかに反響が大きかったです。
現代の家庭教育の間で、まだまだよく行われている行為だ、っていうことでしょうかね。
よくできたら、褒める、ご褒美。
いまいちだったら、叱る、罰を与える。
こういう教育の仕方を『賞罰教育』っていう言い方をします。
賞罰教育は、ビジネスの分野(上司・部下関係)において、もう20年も、30年も前に欠陥が指摘されてきた教育方法なんです。
その欠陥は、すでに書いてきた「褒めることが目的化しやすい」っていうことや、「叱ることで、言わないとやらなくなる」っていうことです。
つまり、『主体性』を奪うんだ、っていうことね。
『子どもの好きなものを取り上げる』
っていうコミュニケーションの取り方は、そのまま『罰』に該当するし、親から子どもへの支配欲が丸出しのコミュニケーションですね。
で、
「子どもの好きなものを取り上げる」
というのは、罰であり、
「好きなものを取り上げれば、こちらの思惑通りのことをせざるを得なくなるでしょ」
っていう思惑を持って行われることですよね。
でも、実際、やってみたら分かるんですが、全然思惑通りに動かないし、それどころか、子どもは大人しくなり、無気力になっていきます。
無気力って、そもそも自分で立ち上がろうとしないんだから、無気力が定着した子どもをどうにかしようとするのは、専門家でも難しくなってきます。
だから、ほんまに「子どもの好きなものを取り上げる」っていうのは、やめた方がいい。
子どもに勉強をしてほしい時に、僕らがやるべき関わり方は、
「勉強以外のものを子どもの元から排除する」
じゃなくて、子どもがハマっていることには一切手出し口出しをせずに、ただ純粋に、
「勉強や、学ぶことの楽しさを伝えて、体験してもらう」
っていうことです。
そしたら、自然と勉強のウェイトが大きくなっていくんです。
なぜなら、勉強が楽しいから、です。
◆最後に
さて、2月の人気記事ランキングTOP10はいかがだったでしょうか。
今月の記事を振り返っていると、
『褒める』
『叱る』
に代表される、
『賞罰教育』
や、
『勇気付け』
に関する記事を書いてきていたんですね~。
これらの記事を元に、読んでくれている方の知的な部分を刺激できていれば幸いです。
さて、来月はどんな1ヶ月になるでしょうか。