「子どもには、ゲームと上手く付き合えるようになってほしい」
という願いを叶えるための記事、第三弾です。
子どもの遊びの中で、なぜか、ゲームだけが悪者扱いされます。
外遊びや、カードや、人形、おもちゃでの遊びは、そんなに目くじらを立てられないのに。
「うちの子どもは、ずっとベイブレードやってて、いっこうにやめません」
っていう悩みは聞かないのに、
「うちの子どもは、ずっとゲームしてて、いっこうにやめません」
っていう悩みはよく聞きます。
なぜか、ゲームだけが特別、敵対心を抱かれる不思議。
外遊びは、事故で命を落とす危険があったりするのに。
ゲームばっかしてても、誰も死なんよ?
ゲームの中では、たくさん死んでいくけど(笑)
ゲームだけが特別、悪者に仕立て上げられる理由は、3つだろうな、って思っています。
1.親がゲームをほとんどしてこなくて、未知のものに対する恐怖
2.親が子どもの頃に、自由に遊ぶことを許されてこなくて、自分の子どもにもそれが許せない(つまり、嫉妬や腹いせ)
3.本や、テレビなどから、『ゲームをやらせるとヤバい』っていう情報を仕入れてる
時々ね、
「子どもにはテレビを見せない方がいいんでしょうか?」
って聞かれることがあるけれど、僕は、親の方がテレビを見ない方がいいと思っています。
なぜか?
子どもが見ているのって、アニメとか平和なものが多いけれど、親はニュースとか、教育対談とか、子どもよりもネガティブな情報を目にとめがち。
で、その番組から仕入れた情報を元に、
「子どもにゲームをやらせるとマズイ!」
って思っていたりするんじゃないか、と。
情報源は、テレビだけじゃないと思いますけどね。
そうやって、情報を仕入れることで、親自身の認知にバイアスがかかります。
そして、
「子どもにゲームをやらせるとマズイ」
という認知の出来上がりです。
「ゲームは安全だよ」
って主張したいわけじゃなくて、
「ゲームだけが格別、悪者扱いされるのがおかしい」
って主張したいんです。
例えば、ゲームを制限したい理由が
「子どもが勉強しなくなる」
だとしますよね。
そしたら、外遊びしてたって、ベイブレードしてたって、何だって、勉強しなくなります。
外遊びや、ベイブレードは勉強に繋がるけれど、ゲームだけが勉強に繋がらない、っておかしい話です。
「子どもの目が悪くなる」
っていう理由でゲームを制限したい場合。
目が悪くなるんなら、それこそ勉強や読書をさせてはいけないでしょ、って思うんです。
ゲームなんかよりも、勉強や読書している方が、目が悪くなるんじゃないか、って思っています。
だって、学者さんや、優等生の子は、メガネかけてる子が多いでしょ?(偏見)
「勉強では目が悪くなってOK」
「ゲームでは目が悪くなってNG」
って意味不明でしょ??
どっちも目が悪くなってんじゃん、って思うんです。
ちなみに、僕は、両目とも視力が1.2以上あるので、ゲームしまくってても、目が悪くなるとは限らない、っていう実体験をし続けています。
(ドヤッ)
「ゲームは依存症を引き起こす可能性がある」
って言うのも同じね。
ひたすら読書をしている子もいますよね。
彼らは、「読書依存症」とは言われないわけだ。
ひたすら友達と遊んでいる子もいますよね。
彼らは、「友達依存症」とは言われない。
ひたすらレゴで遊んでいる子もいますよね。
彼らは、「レゴ依存症」とは言われない。
ゲームだけは、なぜか、子どもの遊びではなく、お酒やたばこなんかと同列で扱われる。
もしも、子どもが何にも依存せずに生きていくんだったら、それはすなわち、何からも本質を学ばない、っていうことと等しいわけで。
ちなみに、子どものゲーム依存を何とかしたい場合は、2月7日のメルマガに書いてあるので、メルマガに登録してバックナンバーから読んでみてください。
ここにもチラッと書いています。
「親は、子どもの好きなものを取り上げれば、子どもが言うことを聞くと思ってる」
子どものゲームに関しては、圧倒的に、親子の間で、認知がズレます。
そして、親が子どものやっているゲームを悪者にしているうちは、子どもはゲームの世界から抜け出してきません。
自分で、ゲームをコントールすることもしないから、親が管理するしかなくなってしまう。
「子どもは、ゲームをコントロールできない」
っていうのは、ちょっと深く掘りさげておく必要があるだろうな、って思います。
親が子どものゲームを管理しているうちは、子どもの方に、
「自分でゲームをコントロールしよう」
というモチベーションは生まれません。
なぜなら、親が管理してくれるんだから、わざわざ自分で管理する必要はありませんよね
親が管理してくれるんだから、自分で管理する必要もないし、自分で管理する気もないから、自分で管理する能力も鍛えられないまま。
だから、「子どもは、自分でゲームをコントロールできない」っていう状況が生まれます。
この時に、親が管理をやめない限り、子どもに何をしたって、子どもが自分でゲームをコントロールできるようにはなりません。
「子どもに、自分でゲームをコントロールできるようになるためには、『遊びの解放』をしているのが大前提で必要」
っていうのが第一弾の記事でした。
「『遊びの解放』をした時、次に考えるのは親子のコミュニケーションであり、親の子どもに対する認識を改める必要がある」
っていうのが第二弾の記事でした。
第三弾は、「ゲームにネガティブなバイアスをかけず、ニュートラルに見れるようにする」っていう内容です。
僕は、
「ゲームは危険だよ」
とも言わないし、
「ゲームは危険じゃないよ」
とも言いません。
僕が常々言い続けているのは、
「ゲームは道具だよ」
っていうこと。
ゲームが悪いから、ゲームに依存性があるから、子どもが抜け出せなくなるわけじゃありません。
ゲームは子どもがハマるように作られてはいるけれど、上手くゲームをコントロールできる子もいれば、コントロールできない子もいるわけです。
だから、ゲーム自身の依存性のせいにしていると、いっこうに、子どもはゲームから抜け出す術を学びません。
さっきも書きましたが、ゲームは、『遊び』と同列に捉えられるのではなく、なぜか、お酒やたばこ、麻薬みたいなものと同列に語られることもあります。
ゲームは、道具であり、遊びです。
お酒や、たばこ、麻薬のような中毒性とは違ったものがあります。
何が違うのか?
決定的に違うのは、
「身体への影響」
です。
お酒は、体内にアルコールを摂取します。
たばこは、体内にニコチンを摂取します。
麻薬も、体内に何か摂取しますよね(詳しくは知りません)。
身体にダイレクトに影響を与えるものばかりです。
僕らの意識を支配する強さは、
1.身体
2.感情
3.思考
です。
中毒性が体内にダイレクトに与える場合、自分の意志の方が圧倒的に弱いので、どうあがいても自力では抜け出せないことがあります。
飽きることがありません。
しかし、ゲームが与えるのは、思考であり、感情です。
身体的には、ほとんど影響を与えません。
飽きたらやらなくなります。
だから、遊びと同列に考えたいんです。
ただし、家庭や、親子関係が険悪な場合、現実逃避先にゲームを選択する場合があり、子どもにとってゲームは、遊びではなく安全地帯になります。
その場合は、ゲームをどうこうする、っていう話じゃなくて、家庭事情や、親子関係を何とかしないと、子どもはゲームから抜け出してきません。
この時に、ゲームを何とかしちゃうと、子どもの唯一の心の拠り所を奪う結果となります。
結局、親子の間でのゲーム論争って、
子ども ⇒ ゲーム楽しいから抜け出してこない
親 ⇒ 『ゲーム=悪』という発想から抜け出してこない
って、どっちも依存的な発想を持ってるんじゃないかな、なんて思っています。
『ゲーム=悪』
っていう発想を何とかできれば、子どもは意外なほどあっさりと、ゲームに飽きたり、ゲームだけじゃなくて、勉強を始めたりします。
★メルマガ登録はこちら★
「子どもが自分から勉強を始める親のコミュニケーション」
★ イベント情報 ★
◆大阪◆
○2017年3月11日(日)13:00~15:00@門真(門真市後援)
「子どもはみんな天才だ!」
第一部:佐伯和也 基調講演「子どもの可能性を広げよう」
第二部:パネルディスカッション「子どもの生きる力」
パネラー
・佐伯和也(プロコーチ)
・川村早余子(門真市立第7中学校PTA会長)
・実島直美(生涯学習センター長)
ファシリテーター
・なかたかおり(門真出身のソロアーティスト)
サポート
・門真市教育委員会教育センター代表
◆仙台◆
○2017年2月18日(土)10:30~12:30@PARM-CITY131
「子どもが自分から勉強するコミュニケーション 〜子どもの将来に一抹の不安を覚える方へ〜」
○2017年2月18日(土)17:00~19:00@PARM-CITY131
「量子物理学的引き寄せ講座 ~波動編~」
申込はこちら(両講座共通)