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主観と客観

主観と客観

『救世』54号、昭和25(1950)年3月18日発行

 人間は、処世上とかく主観に捉われ勝ちで、特に女性に多いのは事実である、この主観に捉わるる事は、最も危険である、というのは自己の抱いている考え方が本当と思って自説を固執すると共にその尺度で他人を計ろうとする、それがため物事がスムーズにいかない、人を苦しめるばかりでなく自分も苦しむ。
 右の理によって、人間は絶えず自分から放〔離〕れて自分をみる、すなわち、第二の自分を作って、第一の自分を常に批判する、そうすればまずまず間違いは起らないのである、これについて面白い話がある、それは、昔万朝報という新聞の社長であり、また翻訳小説でも有名であった黒岩涙香(くろいわるいこう)という人があった、この人は一面また哲学者でもあったので私はよく氏の哲学談を聞いたものである、氏の言葉にこういう事があった、それは人間は誰しも生まれながらの自分は碌な者はない、どうしても人間向上しようと思えば新しく第二の自分を造るのである、いわゆる第二の誕生である、私はこの説に感銘してそれに努力し少なからず稗益(ひえき)した事は今でも覚えている。

借金談義

借金談義

『救世』51号、昭和25(1950)年2月25日発行

 私は長い間借金で苦しんだ事はいつもいう通りであるが、借金くらい嫌なものはない、これは大抵な人は経験するであろうが一度借金をすると仲々返せないものである、借金をする時は出来るだけ早く返そうと思うが、さて返せるだけの金が出来ても仲々返せるものではないのが人情である、それで今少し延してその金を働かせ、もっと儲けてから返しても遅くはないと、都合のいい理屈をつけたがる、幸い思い切って一旦返すとすると、先方は信用が加わるからまた貸してもいいような顔をする、そこでこちらも前より高を殖して借りる事になる。
 そうして金というものは、入る方は予定と食い違い出る方は予定通りだから期日には返せないものである、という訳で一度コビリ着いた借金は容易に綺麗にはならない、ついには借金のある事が癖のようになってしまう、世間には借金がないと気持が悪いという人さえある、ゆえに一度借金してそれが抜け切ってしまうという人は恐らく十人に一人もあるまい。
 今日世界の忌わしい問題は金の貸し借りが一番多いであろう、ほとんど民事の裁判はことごとくといいたい程賃借関係が原因であるそうである、従って、この世の中から紛争を除く第一条件としては出来るだけ賃借をしないようにする事である、但しやむを得ず借りたい場合は、一日も早く返す事で、これをみんなが守るとしたら、いかに明朗な社会となり、お互いの不愉快が減るかは贅言(ぜいげん)を要しまい、今一ついいたい事は、借金は人間の寿命を縮めるという事である、故大倉喜八郎氏はその事を言ってよく戒めたそうであるが、これは全く間違いない言と思うという事は、借金くらい人間の心を暗くするものはないからである、私の経験から言っても借金無しになってからの心は、長い牢獄から出たような気持になったのである。

社会不安の真因

社会不安の真因

『光』25号、昭和24(1949)年9月3日発行

 今日、当局の談によれば「犯罪者が殖えて困る、これはどうすればよいか」とよく訊かれるが、これについていささか所見を述べてみよう。
 忌憚(きたん)なくいえば、現代人はいまだ真の人間として完成してはいないのである、というのは獣的分子がいまだ多分にある、いわば半獣半人である、随分酷い事を言うと思うであろうが、事実であるから致し方がない、その理由をかいてみるが読む人はなる程と承知するであろう。
 今日犯罪防止の方法としては、警察、裁判所、監獄等の施設と、それを運営する多数の吏員、何百何千の法文があって、ほとんど犯罪の隙のない程外形は完備している、ちょうど人間に危害を加える動物に対し、幾重にも厳重な檻を作って被害を防ぐというのと何ら択(えら)ぶところはない、人間は古い時代から智慧を搾って、何度檻を作っても動物共は直に破るので、段々巧妙に細かく網の目を張るようになったのが、現在の防犯状況である、視よ年々法規は殖えるが、それは綱の目を細かくする事である、かように扱わなければならないのは、動物人間は檻を破ろうとして爪を磨き牙を鳴らしている、これが社会不安の原である、事実外形は人間であっても内容は獣類である。
 もし真の人間でありとすれば、檻など必要としない社会が生れるべきだ、どんな所へ放り出しても決して悪い事はしないという人間こそ、人間としての資格者だ、文化が何程進歩しても、道義の頽廃(たいはい)が依然たる事実は檻を破る手段が防ぐ手段に勝っているからである、吾らがいつも言うところの今日の文化は唯物主義のみ発達した跛行的文化というゆえんである。
 以上の意味によって法律もない、防犯施設もない世界こそ人間の世界であって、吾らが現在努力しつつある目標こそは、ただ人間の世界を造るにある、といえよう。