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死人に鞭打つなと言う事があるが、全くその通りと思ったのである

死人に鞭つ

自観叢書第9篇『光への道』P.57、昭和24(1949)年12月30日発行

 これも矢張り私の妻が胃痙攣を起こした時の事、胃部の激痛のためノタ打廻るの


である。早速私は胃部に向かって治療を加えたところ、痛みは緩和されたが全く去ら


ない。しかるに痛みの個所は一寸くらいの円形で、暫時上方へ向かって進行しつつ


咽喉部辺に来たと思うや、妻は、「モウ駄目だ」と叫んだ。そこで私は、「これは憑霊


だな」と想ったので、「お前は誰だ?」と訊くと、憑霊は言わんとしたが口が切れない。


そこで私は、「三月程以前に脳病で死んだ○○の霊ではないか」と気がついたから


訊いたところ、「そうだ」というので、それから種々の手段で聞質(ききただ)した結


果、憑霊の目的は、私がその霊の生前の悪い点を人に語った事が数回に及んだの


で、憑霊は、「是非それをやめてくれ」と言うのである。私は謝罪し今後を誓約したの


で、霊は喜んで感謝し去った。去るや否やたちまち平常通りとなったのである。そうし


て昔から死人に鞭打つなと言う事があるが、全くその通りと思ったのである。

国常立尊様は最高の神様 国常立尊様は非常に力の強い神様

節分というものは“福は内、鬼は外”で、鬼の災いを避けるという、昔からの行事があるの

です。そのためにほうぼうの神社仏閣で豆まきをやるのです。ところでこれは、前にも話し

たことがありますが、あべこべなのです。鬼というのは偉い神様なのです。艮の金神国常立

尊という神様です。今日の御讃歌にも「常立の神」というのがありましたが、国常立尊のこ

とを略して常立の神と詠んだのです。それからもう一つ「艮の神」ということも入れてあり

ました。そういうようで、つまり事の起り始めは、これは神代となってますが、神代ではな

いのです。そう古いことでもないのです。もっとも三千年ということになってますから、三

千年前はやっぱり人間の世界です。この国常立尊という神様が世界的に支配していた時代が

あったのです。ところが非常に厳格な神様で、間違ったことは許さないというために――大

本教のお筆先などを見ると分かりますが――つまりあまり厳しいので八百万の神様がとても

やりきれないというので、こういうやかましい神様は押し込めなければ楽はできないという

わけで、押し込められたわけです。押し込めた方の神様は天若彦(あめにわかひこ)神とい

うのです。これはよく天邪鬼(あまのじゃく)と言いますが、天若彦というそれを後世天邪

鬼と言って、つまり素直でない、なんでも横車を押すという性格の神様です。それで国常立

尊という神様を、艮(東北)に押し込めたのです。そこでそれを鬼門と言って忌み嫌ったの

です。もっとも忌み嫌うわけです。人間の方が間違ったことをすれば、そういうやかましい

神様を嫌うわけですから、どうしてもそうなるわけです。そうして鬼門除けと言って、いろ

んなことをやったのです。そういうわけで、三千年押し込められたとしてあります。そうし

てその神様が明治二十五年に大本教の教祖の出口なおという方に憑られて非常に怒鳴ったの

です。出口なお刀自の口を借りて怒鳴ったのです。その第一声が「三千世界一度に開く梅の

花、艮の金神の世になりたぞよ。梅で開いて松で治める神国になりたぞよ。日本は神国。こ

の世は神がかまわなゆけぬ世であるぞよ。竹は外国であるぞよ」というそれが最初の獅子吼

(ししく)です。それで、大きな声をして怒鳴るので、気違い扱いにされて警察に引っ張ら

れて、二十日か三十日間勾留されたのです。それが大本教の始まりなのです。


 その艮の金神という神様は、押し込められて肉体の方はなくなりましたが、霊は霊界に行

かれて閻魔大王になるのです。それで閻魔大王というのは、善悪、罪穢れを裁く神様、裁く

お役目です。閻魔大王というと非常に恐ろしがられたのです。それが、本当は至正至直の神

様ですから、そこで霊界に行っても、悪い人間が見ると恐ろしい顔に見えるのです。これは

霊がそういうことを言ってました。それから心の善い人がゆくと、非常に柔和な慕わしい優

しい神様のお顔に見えるのです。これはおもしろいです。というわけで、そこで大本教のお

筆先に「艮の金神はこの世の閻魔と現われるぞよ」とありますが、“この世の閻魔”という

ことは、現界の審判をなされるということです。今までは霊界の、死んだ人を審判された

が、今度は現界で生きた人間を審判される。“この世に現われて”というのですから、現界

に現われて審判をするというわけです。「今までは蔭の守護でありたが、今度は表の守護に

なるぞよ」とありますが、すべて現界的になるわけです。では、それはいつかと言います

と、だいたい明治二十五年のは、霊界から現界に、つまり一段近寄ったわけです。霊界でも

三段になっていまして、一段ずつだんだんと近寄ってくるのです。それでいよいよ最後の段

をすまして、直接現界に現われるというのが今日からなのです。そうすると、今日は最後の

審判の初日というわけです。恐ろしいですが、しかしそれはこっちに邪念があったり曇りが

あったりすると怖いので、そうでなくてこっちが本当に正しく立派な心を持っていればあり

がたいのです。今まで悪い奴にいじめられたりしていた、それがいじめられなくなるから、

善い人間には非常に結構です。それから「今度は善悪を立分けるぞよ」とありますが、これ

は私は始終書いてます。最近いろんな汚職事件がめちゃめちゃに現われてきました。よくも

そういった不正事件が出るということは、今までに例がないように思います。これもいわゆ

る審判が近寄ったということを現わしていると思います。それで、艮の金神様が表に現われ

るということは、艮の金神様は火の系統の神様ですから、そこで非常に光が強いのです。や

っぱり霊界が明るくなるのです。だから今まで隠していたり隠蔽していたものが現われるの

です。目に見えるわけです。そこでいろんなそういうことが出てくるのです。それから今年

からまた一段と病気が多くなります。それとともに薬毒がだんだんはっきりしてくるわけで

す。以前も言ったとおり、恐怖時代の一歩に入ったわけでもあります。そうなると救世教と

いうものの発展が著しくなり、大いに発展するわけです。その段階に入ってきたわけなので

すから、大いに働き甲斐があるわけです。今まで押さえつけられていたのが、その押さえつ

ける力が弱るわけです。今まで十回も二十回も話をしなくては分からなかったのが、今度は

五、六回で分かるというような意味になるわけです。そうかといって、神様のことは急に目

に見えるようには現われないものなのです。つまりなんとなくジリジリジリジリ進んで行く

わけです。今年、来年、再来年というように、年々早くもなるし、それからはっきりもして

くるのです。国常立尊は神の中の頭梁 国常立尊という神様は、非常に力のある神様で、むしろ絶対の力をもつ


神様であります。また、善悪に対して裁かれるのが、非常に厳重で一歩も仮借(かしゃく)しないという神で、閻魔


大王となられて、長らくの間霊界で審判をなさっておられたのです。ところが、今度の大掃除について出現された


のであります。


(信者の質問)よく屋敷の中を修理したりしますと急に体が悪くなり、行者のような人に見

て戴きますと、金神様の祟りですと申されますが、ほんとうにあるものでしょうか。また、

金神様はどういう目的で屋敷の中にいるのでしょうか。お伺い申し上げます。

 金神は沢山いる。一番の総統領、総帥は艮の金神様で、眷族は沢山いる。それが金神にな

っている。よく転んだり、躓いたりするのは艮神の祟りなりというが、これは種々な霊がや

るので、龍神、狐霊の類で、家のどこかに憑依しているのが祟る。

 金神様は神であるから、そう祟るなどという事は当らぬ。

神の総領は伊都能売大神

神の総領は伊都能売大神である。