つい先日、日本人の友達がこのケントを去った。彼らは広島のとある大学に通っているので、僕らは留学を機に知り合った。彼らは僕と同時期にケントにやってきたものの、彼らの学校のカリキュラムの都合上、次の学期が始まる4月までに帰国しなくてはならなく、僕より留学期間が2ヶ月ほど短かった。僕と同時期に帰るならまだしも、僕より先に行かれてしまうと、さすがに少しばかり感傷的にならざるを得ず、やはり彼らがケントにいない毎日というものはなかなか考えたくないものであった。そしてもちろん、同じような思いを抱いている者は僕以外にもいた。僕らの共通の友人のマット君である。
マットは大学1年生だ。(いまだに信じがたいところではあるけれど)だから、実のところ、日本人と友達になることも初めてだ。もとはといえば、彼は「
ゼルダの伝説」が大好きで、僕たちと出会う前に、独学で、日本語を少し勉強していた。きっと、ゼルダの伝説だけが理由ではないだろうけど、ともかくいろんな理由で、日本に興味があったのだろう。そういう意味で、僕らの存在というのは彼の人生に少なからず影響を与えたことは事実だと思う。僕たち日本人が、まるで、それこそかつて日本にやってきた
黒船のごとく、40人ほどでケントに突然押し寄せたのだから。今となっては15人ほどしか日本人は残っていないけれど、それでも、彼が日本人と話す機会を得るには十分な数だったとは想像するに難くない。
そのうちの一人が僕であったし、そのうちの三人が彼らだった。
僕たちは一緒にマットの誕生日を祝ったし、一緒に新年を迎えて、マットに日本から持ってきたどん兵衛を食べさせたし、もちろん彼らが去る日の直前に
最後の晩餐をした。どれほどお互いの笑った顔を見たことだろう。いくつもの下ネタも言い合った。(結局のところそれが僕たちの全てだ)マットから何十もの汚いスラングを教わり、僕たちも何十もの
隠語を教えた。僕たちが、マットに最後に教えた隠語は、並みの男性では頭に浮かびさえしないくらい
アカデミックな隠語だった。僕がその言葉をキーボードに任せてタイプするだけで、画面がショートし、このケント全体のネットワークが一気にブレークダウンすること間違いない。とりあえずそれほど汚い言葉だった。面白かったけど。
ともあれ、僕たちは良き仲だった。僕たちは最高に楽しい時間を送っていた。別れのときが迫っている事実に目を背けながら。どんなに幸せな時間をすごしていたとしても、常にその言葉尻には、「
でももうすぐ帰らなければいけない」が付きまとっていた。僕がそう思っていたのだから、彼らだってそう思っていたはずだ。
そしてついに彼らは広島に向けてケントを去ってしまった。
それから数日後だった。とてつもなく大きな感情の波がマットを突然襲った。まるで恐ろしく大きな波に完全に飲み込まれたかのように、彼の感情は深く、果てしなく、沈んだ。これはその翌日に彼が僕に直接語ってくれたことだ。
もうすでに広島にいるであろう彼らのことは笑顔で送り出せたものの、彼らの喪失という覆されない事実は、それから数日の時を経て、マットに痛烈な現実をつきたてたのだった。「こんな風に僕の友達はみんないつか去っていってしまうんだ」いわばそういった現実は、大きな感情の波を引き起こすのに十分なものだっただろう。
僕たちはこんな、
なんてすばらしいやつを友達にもったのだと思った。僕たちは胸を張って良い友達だということができる。
正直なところ、留学に来る前のころ、僕は、結局、外国人と僕たちの間には
国の壁、とでもいおうか、つまり、外国人と信頼しあえる友人関係になることに、当時、僕は半ば懐疑的であった。ただでさえ、
価値観の違いはあるだろうに、ましてや、
言語が一方通行であるときた。面白い話できずに、何が友達なんだ?と、なんとも情けないことに、自分の器の小ささをずいぶん露呈していたものだ。
当然のことながら、僕の考えは間違えだった。僕が自分の身をもって証明していることだ。広島の彼らはマットのことが大好きだし、マットだって彼らのことが大好きだし、ついでに
僕のことも好きだ。(そうでなかったら・・・)
こんなに、完全な友情関係が築けるとは思ってもいなかったのだ。なんて悲しいやつなんだ僕という人間は。それでも、僕はひとつ間違っていなかったといえることがある。僕が留学当初、このブログで書いたことだ。「
ただ言葉が違うだけ」。言葉が違うことは、いわば、重い足かせのように聞こえてしまう。だけれど、それは結局のところ、外国人を、英語を話す相手くらいにしか捉えていない人間の考え方に過ぎないのだ。僕はそういう人間に真っ向から反発している。外国人を、自分の英語力を伸ばすための道具のように思っている人間に、僕はド正面から反対の意思を掲げる。確かに、その考えには一理あるのはわかる。何を言ってるんだ、それが留学じゃないか、そういう意見が通る世界なのもわかる。単に、僕と考え方が違うだけなんだ、とそう片付けることだってできる。しかしながら、その考えは
なんて悲しいのだろうとも思う。
その人と話したいから、共通言語である英語を使うのだろう? 英語を使いたいから、その人と話したいのなら、なんてそれは失礼なことなんだろうと思う。
これが、僕が唯一、確信を持っていえる信念だ。そして、だからこそ、僕たちは、国が違いながらも、こんなにすばらしい関係性が築けたのだと思う。そして、マットに限らず、僕の周りにはもっとたくさんのすばらしい外国人の友達がいる。特別、マットといる時間が多いのだけれど、その友達もまた、日本語をしゃべっていようと、同じく仲良くなっていただろう人たちだと確信できる。
だからこそ、広島に去っていった彼らの衝撃は、マットだけでなく、実のところ、僕にも襲いかかっていた。僕は紛れもなく、彼らと自分を重ねていた。僕も、彼らと同様に、二ヶ月後、このケントから去らなくてはならない。彼らの帰国は否応なくその現実に僕を直面させた。
思い返せば、こんな感じで友達と別れることって、今までの人生で一度も無かったな、なんてことをふと考える。転校こそしたことあれど、なんかそれとこれとはまた別な気がする。
これが留学なのか、としみじみと胸がしみる思いである。
本来ならば、この記事で述べたことは、僕自身の留学最終日にでも書きたかったことなのだけれど、やはり、前述したように、僕にもその衝撃は依然として強かったようで、どうしてもこの平日ド真ん中のド深夜に筆をとる手を止められなかった次第である。
ウルルン滞在記も、なかなかばかにできない番組である・・・。