演出家・プログラマー 深寅芥のブログ  -26ページ目

演出家・プログラマー 深寅芥のブログ 

演出・俳優 深寅芥のブログです。本名は千葉伸吾と申します。
株式会社ネリム 代表取締役

http://phoenixproject.nerim.info/

↑こちらがvol.5から特設したHPです。
(現在、随時更新中であります。)

フェニックスプロジェクトvol.5はvol.1~vol.4まで
笹塚ファクトリーさんとの共同主催で実施されてまいりました。

今回は
8月11日 新宿芸能花伝舎にて

主催: 日本演出者協会
企画・運営:鴇田くにビヨンドXプロジェクト
共催:(公社)日本芸能 実演家団体協議会(芸団協)
後援:淀橋町会、新宿区

にて実施させていただきます。

チラシは2つの種類があるんですよ♩
一つ目は
日本演出者協会が作成したもの。



東北から色んな夢が飛び出てきそうなデザインです。


裏面は 出演者の方々のプロフィールが明記されております。

そして、もう一つのチラシは
ビヨンドXプロジェクトが作成したチラシ



岩手県の虎舞の迫力が伝わってくるデザインです。

裏面は芸能花伝舎の地図になっております。



このように2つのチラシをご用意させて頂きました!

当日沢山の催し物が芸能花伝舎にて実施されます。

「どんな出演者がいるのだろう?」
「この教室ではどんな事が実施されているのかな?」

そういった事が2つのチラシを見比べて芸能花伝舎を回る事ができます。

「新宿でつながろう!東北」

沢山の方々にご来場頂き、東北の方々と沢山つながりましょう!
そして皆で東北に行きましょう!!


個人的にヘブンリーベントーの余韻がなかなか忘れられないので、幾つか追記していく。
さて、前回のエントリーにて明記した
「会議室における”弁当”がiPadに繋がる。」
はヘブンリーベントー製作者の大きな発見であったと私は考える。
(考え過ぎだ、と感じる方は、読み進めば、もう一つの例を出すので、
考えを改める筈だ。)

Appleはそんな事考えて作っていたかどうか知らないが、正に日本の文化の特徴であった”弁当”を現在のiPadと比較する事ができる。

私は、教室で食べる”弁当”が大嫌いだった。

主に理由はこちらの岩崎さんのエントリーを読めばわかる。
http://blogos.com/article/42474/?axis=b:57

岩崎氏の上記のエントリーは、戦後の日本の弁当の歴史を明記している。

誤解を 解くが、私の母は毎日、弁当を作ってくれた。だが、子ども心にかなり「手抜き」弁当であった。子どもは弁当を他の子ども達を比較する。それが劣等感・貧富の差に繋がる。

「あいつの弁当の方が、具が沢山入っていて豪華だ。」

つまり、弁当の中身は貧富の差を象徴する対象であった。だから私は苦手だった。
弁当の中身を他人に見られないように食べていた。

そして、私は中学半ばに進むと母に懇願した。
「弁当はいらない、毎日、お母さんも大変でしょ。だから500円頂戴」と。

(※出来うるならば、親御さん達は、中学進学の時、給食がある所に子どもを進学させていただきたい。給食ならば、上記のような事は起きないから・・・。)

そもそも「弁当はいらない、毎日、お母さんも大変でしょ。だから500円頂戴」と言った私は実にだらしない、現代の若者の姿であった。
今にして思えば、私は、母に500円を求めるのではなく、自分で食べる弁当を自分で作れば良かったのだと考えている。

今だからこそ、「間違っていた」と感じる事が沢山ある。
母の愛情も苦労も悲しさも。当時の私はわからなかったのだ。

それでも母は私に中学以降、毎回家を出る度に500円を渡してくれた。

その500円を溜めて、友達とカラオケに行ったり、雑誌を買ったり、タバコを買ったりしていた。
勿論、食べ盛りなので、我慢できない時もある。そんな時は水を飲んで我慢した。
同級生が弁当を食べる光景を横目に見ながら、菓子パン1個だけで凌ぎ、我慢して溜めたお金で、嗜好品を購入し、他の人間と違う事を私は、自分でアピールした。
それが私の貧富の差に対する逆アプローチだったのである。

昼食時間、私は、弁当を食べている同級生を傍目に見ながら、雑誌を広げ、妄想にふけり。トイレで隠れてタバコを吸い。下校時間になると、学生料金でカラオケにいく。
そういう自分を演じていたのだ。「私は君たちとは違う。」という事を回りにアピールしたかったが為に。愚かに、そうやって、個性を取り繕っていた。

今でもこの光景は学校社会に残っている。
更に言えば、iPhoneやiPadなど、同じ事が言える。

iPhoneやAndroidのダウンロードしたアプリを友達と比較する。
この光景がどれだけ、子ども達に差を生み出すのだろう。
そもそも、iPhoneを買ってもらえない子どもはかわいそうだ。

弁当同様、友達と比較する事ができないのだから仲間外れになる。

携帯も持っていない、iPhoneも持っていない。このような子ども達は、
今、昼休み、どのような選択肢を考え、 回避しているのだろうか?

回りが、iPhoneのアプリを比較している時に、
図書館で借りてきた本を読んでいたりするのだろうか?

心の中で
「あいつらダサい、流行に流されやがって・・・。」と感じながら

さて、話を元に戻す。

iPadが弁当と結びつくのと同様に。
実はNintendo DSも着眼点が似通っていた。

ご存知の通り、Nintendo DSも世界に普及した商品である。

開発者 宮本茂はジョブス同様 天才だ。

「私が、Nintendo DSを思いついたのは、コンパクトを広げ、化粧直しをしている母の姿であった。」と。(もちろん、発想の中にゲームウォッチが含まれている事は知っている。)

ここ数十年、電車内において、若い女性がコンパクト片手に化粧している姿を
嘆いている高齢者等が多いが、私はそうは思わない。

「電車の中で、化粧するなんて、馬鹿げている。ダラしない。」って高齢者方は思っているかもしれないが、根本の原因は何だ? 女性が忙しすぎるからであろう。
社会全体が女性の社会進出を推進しているからではないか?年間何千億もの税金をかけて煽ってきたのは男性だ。

では今の電車の中の光景はどうだ? 皆携帯を広げ、ゲーム機を広げ、電車の広告に目もくれず、毎日の通勤・通学時間の中でさえ、コミュニケーションを育み、働いているではないか。

この光景は男性が、iPhoneや携帯を使い、化粧直しをしている姿と同様であろう。
この光景の普通の人と違う視点で商品にしたのが、宮本茂であったり、ジョブスであったりする。勿論、携帯キャリアも含まれている。

このコンパクト、男性は皆、内心憧れだったのではないか?と私は感じている。
「コンパクトを出し、化粧している母の姿」が。だが、男子たるもの、恥ずかしくて、そんな事言えない。「実はやってみたかったんだ。」って。(笑)
幼少の頃、コンパクト片手に変身する魔法少女に、男の子の一部も憧れていた。
男の子も女の子も”変身”したくてたまらなかった。
それを実現してくれる商品がiPhoneやAndroidなのである。

さて、

iPadは弁当。
Nintendo DSやiPhoneはコンパクト。

この光景はもう50年以上にも渡って、日本人が育んできた”文化”である。

皆で、弁当を囲み、昼食を取る姿。
空いている時間に鏡を見て、化粧を直す女性の姿。

そういった光景が、日本を世界第二位の経済大国まで上りつめる事ができた要因ではなかろうか?今まさに、それらが結実した状況なのだ。

これこそ、「文化」である。

「文化」とは何か?

普段、私たちが何気なく生活の中で実践していた事が、実は、世界にも稀にみる実践・行動であったという事。つまり、当たり前過ぎて、それが「特別」であったという事に皆、気がつかなかったのだ。

日常を過ごし、目の前で行われている光景が、まさか世界にイノベーションを起こすような事であったとは・・・。

この行程に、文化人も、芸術家も、企業人も、評論家も、観客も気づいていない。

唯一、このロジックを知っているアーティストは私が知る限り、
平田オリザ氏くらいであろう。

芸術やイノベーションは、道ばたに転がっている。決して特別な事ではない。
私はそう考えている。

”あれ、ダサい!”って思っていた事の中に、最先端がある。

私はそれを見つけ出す、演出家、クリエイター、企業家に一日でも早くなりたい。
http://www.dance-media.com/dance-media/pg116.html

この作品の最大級のポイントは、ソニー同様。
「日本人がこの演劇を何故作れなかったのか?」という事である。

演劇におけるiPhoneを観た気分だ。

最後のシーンなんて、弁当に映像or照明を写している。つまりこれ、iPadだぜ。

とある映画で、「事件は会議室で起っているんじゃない、現場で起っているんだ。」
という台詞があるが、

今回の舞台は、円形ではなく、「会議室」であった。
日本人だからこそ、今こそ、「会議室」に拘らなければならない。
おそらく、今、順調に業績を伸ばしている日本の会社の会議は、演劇同様面白い。

大変素晴らしい舞台だったが、どこかで「もっと良くなる。もっともっと素敵になる。」と拝見しながら感じた。能の様式であったり、茶道であったり、表層だけでなく、深層部分も表現が可能であった。(今回は、表層が返って面白みを表現する事ができたが。)

更に言えば、現在のテクノロジーであれば、映像においても、もっとエモーショナルな映像を写しだす事が可能であった。

しかし、この製作者サイドが大変素晴らしい事は。
「表現したい事があるのなら、出演者の顔に照明が当たっていなくても構わない。」
と一環していた事である。
ほぼ、プロジェクターの光源のみでシーンが進んでいた。
一般的な照明家だったら、きっと、これ許さなかっただろう。
プロジェクターがあれば、シーンが成り立ってしまうのだから。
照明機材とプロジェクターの関係が逆転現象を起こしている。

公演終了後、ソニーの社員(そうとう重役)に感想を聞いてみた。

Q:「お芝居の感想を聞かせてください。このお芝居どうでしたか?」
A:「大変感動した。」

日本のソニーが衰退してしまった理由は、商品を作る際に、受けて側のエモーショナルな部分を込める事を忘れてしまったからに過ぎない。ジョブスはこの日本的なエモーショナルな部分をiPhoneに宿した。

脚本家は、この日本人的なミニマムの根源はどこにあるのか追求した。
それが”弁当”であった。

最後のラストシーン。会議室にて本物のソニー社員と弁当を囲むシーン。

これが日本の戦後反映した象徴であり、「美」である。

今から24時間活動予定なので、この時間からブログを書かせて頂きます。

さて、ブログのネタねぇやー。って毎日呟いてはいたけれど、
よくよく考えてみたら、Facebookで毎日呟きまくりの私。

(よろしければfacebookで友達申請などしてみてくださいね。
https://www.facebook.com/singtur)

なので、ネタに困った時は、facebook等で気になった記事を掲載させていただく事にした。

雇用流動化へ「40歳定年を」
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1720637.html

でこの件だけど、僕は案外悪くないと思っています。
まあ、30年後の事だから、76歳だしね。多分生きてない(w)

国家戦略会議(議長・野田佳彦首相)の分科会は6日、国の長期ビジョン「フロンティア構想」の報告書をまとめた。国家の衰退を防ぎ、個人や企業が能力を最大限生かして新たな価値を生む国家像を2050年に実現するための政策を提言。「40歳定年」で雇用を流動化するなど労働生産性を高める改革案を盛り込んだ。


正直な所、若い時って頭悪いと思っている。だからきっとうまく機能しない。

でも。

演出者協会の近代戯曲セミナーに関わらせてもらったりしていると、「50年以上前の作家の方々って何て頭が良いのだろう」と感じる事がたくさんある。

これは個人的な感覚だけど、昔の20歳が今の40歳、昔の30歳が今の60歳位、と年齢を倍にする位、精神年齢が昔の人の方が高い。

坂本龍馬が亡くなったのが31歳なんてありえんぜよ!
って思うし、
高杉晋作にいたっては29歳だ。

スゲーってなる。

もう、僕に限らず誰も何も大成してないよw

昔は凄かったっていう気ないけど、何でそうなったの?って考えてみると。単純に寿命が伸びただけでしょって思うし、それが長い間の人類の夢だったわけだから、全然悪くない。

偉人達が憧れた世界が戦後の日本の姿なのだ。

だから、僕はその礎を作ってくださった戦時中の多くの日本人に敬意を払っている。

で、何が言いたいかって言えば、「40歳定年」は
30年後の若者が、幕末レベルに頭良ければいいけどさ。ってなる。

どうしたらそうなるの?
無理じゃね?

当時って確か日本の人口って3000万人以下だったと思うけど、龍馬とか西郷どんとか、高杉とか新撰組とか諸々いたんだぜ。

奇跡だろ。

電気とかないんだぜ。ロウソクとかだぜ。しかも剣豪だぜ。

ありえないっすよ。

どうしたらそんな状況になるのか?
教育から考えないと無理何じゃないかなぁ。
恥ずかしい話を書こうと思う。
なんだ、この羞恥プレイは?って話だけど、こういう経験をしたから後に繋がったのかもしれない。という話になるかも。

さて、私はパソコンマニアだ。近年ではiPhoneを3台買ったり、iPadを2台買ったり、Androidも購入したり、プリンター2台持っていたり、パソコン、パソコン機器諸々買っている。僕の趣味はパソコンやモバイル、家電であろう。

散財じゃねぇか?って思うかもしれないけど、一応、これが今の収入源の一つになっているからあながち間違っていなかった。

諸々活用させていただいている。

出費で痛いのは、通信費である。電話代とネット代。
ええっとぶっちゃけ1人で月3万5千円だ。
ネット2契約、携帯のパケット定額が5契約
これに電話代だ。

こいつがもう馬鹿にならない。痛いぜマジでって話である。

さて、食べ物は・・・。食費は・・・。となると実はかなり贅沢している
エンゲル係数が僕は高い。
食べたいモノを我慢する程、僕は人間がなっちゃいない。
ただ、少食なので、1日2食だ。
それは昔からなので、特に問題はないと思っている。

そもそも日本人は2食だっという話もあるし、小分けで5食だったという話もある。
1日3食は”現代”になってからじゃないか?先進国になってからかもしれない。
なので、1日3食じゃなきゃっていう思い込みは捨てた。

1日3食食べていたら、太った事もある。なので、僕にとっては2食が丁度いい。

で、一番重要なのは住居だ。

ここがポイントである。
さて、この住居。

「月の収入の3分の1以下にすべき」だと思う。

2012年になってから、かなり家賃が低くなっているので、今住んでいるところ、
見直した方がいい。家賃相場が20%以上下落している。借り手市場だ。

あ、そうそう。この話、創業、企業のポイントにもなるから明記している。
事務所設立に向けてどうするか?って話に繋がるんだけど。
それはまた、別の機会に。

これは15年に渡って、演劇活動をしていたノウハウ?から学んだ事。
つうか演劇やっている人ってマジ、ドSだ。

何故かというと、1週間の本番前にだいたい、1ヶ月の稽古をする。
超非効率的である。で、その1週間の本番直前の1週間の合計2週間は殆ど、バイトなどできやしない。

つまり、2週間は働かない。(勿論、バイトしている人もいる。)
また、小劇場などで活動している人達の殆どが定職についていない。
バイトか或は、バイト掛け持ちである。(中にはスーパーニートもいる。)

最終的に1ヶ月と1週間、無収入の時が出てくる。
その皺寄せが本番が終わってから1ヶ月後にくるのだ。

で、更にチケットが捌けなかった場合、ノルマがある場合もあるからその負担もある。
(なので小劇場系の知り合いがいる方、つまらない場合もあるかと思うけど、なるべく観に行って上げてください。特に文化庁の助成金がおりてない劇団を。)

で、小劇場役者で体力と資金源と生活の安定を確保している人は年間6本とか出演したりする。しかも、それにプラスして稽古後飲みにいっているんだからなー。飲みニュケーション。負のスパイラルでしかない。もう世間様から見ると、「好きな事やって、お酒も飲んで、自分で楽しんでいるんだから苦労したっていいんでしょ?」って話になる。全くおっしゃる通りです。

2010年私は、大小含めて、年間12本の芝居を創作した。
1ヶ月の一本のペースで作っていったのだ。

後悔は一切していない。

今年2012年の創作活動は5本になりそうだ。12本の時と比較して余裕がある。先月まで毎週日曜日WSも続けていた。(今週から2週に1回になりました。)

12本の時、一切余裕が無かった。休日なんて存在しなかった。なーんもできなかった。心にも身体にも何もかも余裕がないのだ。当時、収入が今の3倍近く合ったけど、「忙しい俺ってカッコいい。」みたいな感じである。深寅芥33歳。

で昨年。2011年僕が作った芝居は3本だ。東日本大震災の影響もあるけど、意識して減らした。だから2011年、かなり以前からやりたい事が沢山できた。
演劇以外を改めて学習した。

私は馬鹿だったので、つい数年前まで年間20本とか目標にしていた。
何故かというと、尊敬するプロの演出家の皆様の数がだいたいそれくらいだったから。
そんな事今は思っていない。

めちゃくちゃ脱線した。話を戻す。

要は、「住居は月収の3分の1にしとけ」である。
更に実家暮らしは恵まれているから、「成功してください」としか言えないw

ただ、住居を作るっていうのはとても大切な事。
小さくても自分の「城」を守るって事だと思う。
実家暮らししていると、つまるところ甘えちゃうから、なるべく自立した方がいい。

電気が止まったり、ガスが止まったり、家賃が払えなくて大家さんに睨まれたり、
色々経験した方がいい。

「演劇やっている人って貧乏なんでしょ?」って言われるんだけど、
実はそうじゃないと僕は考えている。
何故なら、「演劇やってなけりゃ、貧乏じゃないから」だ。
演劇をやっていなけりゃ、真面目に働いて稼いでいる人達が多かろう、
演劇に嵌ってしまって、抜けれなくなったかわいそうな人達だと思って頂きたい。

ただ、この業界のほんの数% バイトしないで、演劇だけで食べていける人が年に数人現れる。そういう人達は1万人の中のほんの数10人だろう。
そして、運が良ければビックマネーを掴み、好きな事をやって暮らせる人もいる。

宝くじに当たるようなものだ。勿論、戦略のある宝くじである。
ただね、チャンスを掴んだところから本当の勝負が始まる。
半端じゃねーぜ、芸歴20年とかの方々は。半端ねー。

あ、また演劇の話になってしまった。失敬。

まずは、支出を見直そう。ここから始まる。
(勿論、僕の通信費見直しますよ。ただ、2年縛り、痛すぎる(w))

ローンは組まない。(通信費、ある種ローンなんだけどさ。)
良い事一切ないから。パソコンとか一括で買おう。

そんで、収入が増えたからといって、住居を移すのは控えよう。
良い所に住めば、もっと仕事が順調に進むかも。なーんて思わない方がいい。

どこに行っても変わらない。仕事はどこでもできる。
場所でクオリティーが変わるなんて幻想だ。

勿論、実務レベルで手狭になったら仕方ない。その時はしっかり良い物件を探して、
事業計画と照らし合わせればいいだけだ。

引っ越しして、成功している会社、成功していない会社を見比べるのもいいだろう。
これはきっと人にも言える。

どういう条件で物件を探したのか?仕事が順調に進んでいる人を参考にした方が良い。

「自分が理想の所に住みたい。」はやめといた方がいい。
あと、交通費ね。これもなるべく削減してみてくださいませ。

アクセスが便利で安い所。探してみてください。

大学生気分の”自立”を捨てましょう。
本日はこんな感じで。結構長文になりました。読んで頂きありがとうございました。
ブログが書けなくなっている。
このロジックを考えてみる(笑)

実はこのエントリーの前に2つ程、6時から2時間、黙々と書いていたが、
どうにも納得いかない文章になっている。なので、2つのエントリーはお蔵入り。

どうしてそうなったのか?
それは僕自身が自分に「完璧」を求めているからだ。

職業作家でもないのに、何を自分に律しているのか?

所詮、日記だ。思った事を書けばいい。
これは甘えではない。長く続けるコツである。

上手に手抜きをしなきゃ。
そうじゃないと、お母さんのように「朝ごはん」を毎日続けることなんてできやしない。

高校時代、髪型が決まらなかったら、学校に行きたくなかった。
そんな事なかった?
僕なんて、朝起きて、鏡の前で2時間、もくもくと髪型を決めていた事があったよ。
ドライヤーを2時間かけ続けていた。
(↑あ、こういう経験、超大事だと思っている。)
天然パーマだからね。超苦労したよ。男子校なのにw 女子がいないのに、オシャレしていた。無駄な努力だったw

その状況と、今僕が書いているブログは同じ、そんな自己顕示欲、捨ててしまえ。

そういう恥ずかしい思いをして、人間成長していくんだ。(親と兄弟しかその光景みていないと思うけどw)

こんな短い文章なのに、高校時代と同じく、2時間かけて、ああでもないこうでもないって書いている。

無駄な時間だけど、そういう時期も大事なんだろうな。
ブログ書き始めてから1週間しか経っていないけどw

とんだカミングアウト記事だ。後悔はしていない(笑)



先延ばしにする理由を考えてみる。
理由は2つあると思っている。
”苦痛”である事を無意識に理解しているか、
または。
”意味がない”行為という事を無意識に判断しているかだ。

つまり論理的にではなく、感覚的に、野性的、本能的に判断している場合が多い。

例:あ、この(作業)は、かなり作業時間がかかるけど、明日以降に持ち越しても、まだ〆切りまで2週間があるから大丈夫だな。やること一杯あるし。

こんな感じで考えている。とたいてい〆切りがくる。
〆切り前に山ほど、別の作業がきて、結局、間際に苦しむのは自分である。
やっときゃ良かったなぁ・・・。と。

さて、このロジック。どこから始まっているかといえば、もう、
学校の試験勉強だろう。

”苦痛”のサイクルを学生時代の12年間で蓄積してしまったのだ。

この上記のサイクルを突破している人達が俗にいうエリート達だ。
彼らは学習する事に喜びを感じていたに違いない。

ただし、そのエリート達も集団や組織に入ってから、困難が生じる。
なぜなら、一人でできる作業には限界がある。
というより、組織・集団になれば、一緒に作業する人間の数が増えて煩雑になる。

自分自身を効率化する事は可能なのだが、第三者を介すると途端に難しくなる。
そこで、相手との仕事のスピード差が生じるのでイレギュラーが起る。

仕事ができる人程、第三者の仕事のスピードの遅さに苦痛を味わう。
仕事が遅い人を育てないと、心地よいスピードで仕事を全うできないからだ。

ワザと、相手の足を引っ張る人もいる。邪魔をする事が仕事になっている人もいる。
もうそうなるともう、何も成し遂げられない。

結局、仕事で「達成感」を味わう事ができない。それはエリートも一般人も。

「達成感」と「報酬」この2つがないと、仕事に意味を見いだせなくなる。

最後の方には「達成感」を期待しなくなる。「報酬」だけを要求するようになる。
お金だけが快感になり、お金以外の快感を信じられなくなる。

昭和の高度成長期、きっと多くの庶民もエリートも達成感を味わう仕事に従事していたのだろうと私は捉えている。もちろん、この思考は私の個人的な印象だ。
同時にそうではなかった方々もいたに違いない。

ルーチンの仕事も大切だけど、「達成感」を味わい、「高揚」できるような仕事に従事したい。その思いがあれば、きっと、「先延ばし」なんかする事もなかろうと思っていたりする。

「達成感」「高揚感」を仕事で味わえるなんて、幼稚な発想だ。と考えている方もいるだろう。勿論、私は構わない。

点数にはならないことを私は表現したいからだ。

僕だけのタイムマネージメント論です。

この1年位実践していたら、かなり有効に働いたので色々明記しておきます。
(ただし、一般に勤めている人には有効ではありません。(笑)

効用
 (1)いつの間にか早起きになっていた。
 (2)目覚ましを使わなくてもよくなった。
 (3)仕事を片付けるスピードが倍になった。
 (4)イライラしなくなった。

だいたい、深夜12時か、1時か、2時かに寝ているんだと思います。
何時寝ているのか実感がありません。いつの間にか寝ているんです。
で、起きるのは深夜3時の時もあるし、朝5時の時もあるし、朝6時の時もある。
不規則ですね。この不規則が実はかなり有効でした。

「起きる時間を決めない。」

目が覚めたら、起きます。
「早く起きたなーとか、予定の時間過ぎたー」とか考える必要はありません。
自然に目が覚めます。かなり快適に目が覚めることでしょう。

そっから、様々な日常業務を実施します。
メールチェックしたり、ブログチェックしたり、ブログ書いたり。
そして大切なのは、本日のTodoを整理しておく事です。

だいたいそんな事していたら、12時頃になっています。
そんでいつの間にか昼の12時とか13時になっています。
この時点で殆どのタスクは終わってます。

そしたら再び寝ます。まぁ、横になってゴロゴロしていればいいです。
14:00~17:00位まで横になっておきます。
そうしたら、自然に17:00か18:00頃に目が覚めます。

目が覚めたら、午前、午後に実施した業務を見直すんです。
で、やれてなかった事を18:00ー24:00に実施します。

つまり、一日を二つに分けるんです。

1日前半
①06:00ー14:00 (仕事 8時間)
②14:00ー17:00 (休憩 4時間)
1日後半
③17:00ー24:00 (仕事 6時間)
④24:00ー06:00 (休憩 6時間)

まぁ、合計10時間寝ている計算になりますが、だいたい起きてます。
殆ど、2時間か3時間で自然と目が覚めます。
ポイントは「14:00ー17:00」の休憩です。
この時間になるべく仕事をしない事がコツなんです。

世の中では、一日の仕事納めのピークの時間かと思いますが、
この時間が僕には「11:00-14:00」なのです。

ん?待てよ、主婦のような生活になってないか?これ。
だいたい、子どもの頃、学校から帰ってきたら、お母さんいつもこの時間寝てたじゃん。みたいな。

実はそうなんです。
10数年前も今もそうですけど、15時頃になると、銀行がもう営業を終えます。
なので、15時までに入金だとか、出金とかを実施しなければなりません。
(銀行員の方は15時~17時が1日の仕事納めの時間でしょうけど。)

最近、様々な方から「何時寝ているんですか?」と聞かれるんです。
「いや、寝てますよ。人並み程度に。」って答えているんですが、
答えはこういう事でした。
そのかわり、土・日という概念さえもありません。2週間に1日位、
遊びも何もかもしない「安息日」を設ける事だけオススメします。

話を戻すと、
つまり仕事のコアタイムが一般的には、
①09:00-17:00 (一般)
が、
を僕の場合。
②06:00-13:00(前半) 18:00ー24:00(後半)
に分けているという事です。

フリーランスじゃなくちゃこんな生活できと思うかもしれませんが、
ファッション通販サイト「ZOZOTOWN」さんが2012年5月から
業務体系を変えました。

これ、かなり有効に働くと思います。
日本最大級のファッション通販サイト「ZOZOTOWN」を運営するスタートトゥデイが、2012年5月から「1日6時間労働」をスタートして話題になっている。
   

7月2日 19:30から品川某所にて智春さんの『FAFROTSKIES(ファフロツキーズ)』特別プレビューショウ!観に行ってきました。

智春さんは「チィキィ*パークゥ」というパフォーマンス集団の主催さんであり、
「チィキィ*パークゥ」は、大道芸やサーカスのパフォーマンススキルと遊び心を武器に、身体ライブエンターテイメントの可能性を追求するプロジェクト集団です。

いやぁ、凄かった。素人には”一切”できない技がてんこ盛りのプレビュー公演でした。
特に主催の智春さんは演出もしており、ご本人もパフォーマーなんですね。

いつも思うのですが、俳優とパフォーマー、表現している事は基本同じなんですけど、
何故かパフォーマーの方がどうにも”特別”感を感じてしまう。
やっている事が凄過ぎて、別の”生き物”のように感じてしまうんです。
究極いうと、”宇宙人か?”とさえ、思えてしまう。

ですが、僕には”表現者”という記述に大きな違いがあるように思えてなりません。

”表現”にも2種類あって、
 ○パフォーマンス(演技など)が並外れて優れている。
 ○観客を共感させる事が卓越している。

この2つが”表現”という言葉と混合しているから、演技や表現を学ぶ人間に混乱を招いているのではないかと思う部分があるのです。

「パフォーマンスが優れていて、共感させる事が表現者だろ。」って思っている方もいることでしょう。僕もそう思います。

ただまぁ、極端にいうと、俳優ってパフォーマンスが優れていなくても良いって僕は思ってます。「共感」って俳優と観客の「自己同一化」なんですよね。

だから、観ている観客が「私の境遇に近い!」って思わせる事ができればいいんです。
「私の感じていた事、考えていた事を俳優さんが代弁をしてくれている。」それが共感の構造だと思っています。(まぁ、それは作家が書いた言葉でもありますけどね。)

で、それとは違うのが
「凄い、決して私には真似できない。生まれ変わっても、彼のような”動き”はできない。是非、敬意と賞賛を送りたい。」
それがパフォーマンスです。

上記の二つが融合している俳優、パフォーマーは最強です。
ただ、こう業界に長くいると若いうちはどちらかに偏っている場合が多いんですよね。

○敬服する程、パフォーマンスは抜群なのに、感情移入できない。
○また、感情移入するんだけど、みすぼらしい。洗練されていない。

これは学び方の違い、入り口の違いだと僕は思ってます。

演技に技を追い求めるか、心を追い求めるか?

”絵”の場合だったとしても、
デザインと絵画の違いについても同じ事言えますね。

入り口が違っていてもいいんですよ。年齢を経て、どこかで技と心が融合するタイミングがあるので。

ただまぁ、俳優とパフォーマー。実は大きな隔たりがあるんです。それは・・・。

「生涯現役でいられるかどうか?」
「一生同じ事やれるかどうか?」

人間年を取ると、目も悪くなるし、身体の自由が聞かなくなります。
でも、俳優って死ぬ間際まで俳優でいられる方って多いですよね。
ベッドで横になりながらでも俳優のお仕事を続けていらっしゃる方もいる事でしょう。
これは、現代劇に関わらず、古典劇においても同様です。

究極、演技ってしゃべらなくても、動かなくても、”何か”を表現しているんです。

それが、俳優とパフォーマーの相違点だと僕は思っているんです。

だからこそ、パフォーマーの皆様の”現役時代”における社会的な地位の向上が大切だと思ってます。舞台芸術家、表現者と敢えて一括りにせず、最高の技術を持っている段階で、生涯収入を得るような仕組みができたらいいなと僕は思っています。

それが実現できているのが、シルクドソレイユなのでしょう。

日本にもそういった組織や、集団ができればいいなって思います。

だからこそ、舞台俳優は、年をとっても廃れない、息の長い技術と心を身につけて欲しいです。歌舞伎や能や狂言はそれがあるから強いんです。

智春さんが主宰する「チィキィ*パークゥ」さんがパフォーマーの皆様にとって、希望を叶える場所になる事を心から祈っております。
「チィキィ*パークゥ」さんにはそれを実現できる可能性がある事を公演を拝見して感じました。

ありがとうございました。




大学4年の時、同級生が学食に集まってふと、「I君」について話し合った事がある。

「あいつって、”疲れた”って一切言わないよな。」
「そういえば、そうだね。」

何気ない会話だったけど、僕はこの会話を数十年たった今でも憶えている。

「I君」は当時、僕らの学科の”お祭り隊長”だった。大きな声で、同級生を盛り上げる事に熱心だった。

僕は、全く盛り上がらなかったけど(w)冷静な大学生だったんだよね。僕は。
ノリが悪いんです。どこか冷めています。小学生位からずっと。

まぁ、僕の話はよくて、「I君」についてだけど、
彼は確か、3ヶ月間カップラーメンしか食べない日々を過ごしていた。
回りはかなり心配してたが、「あいつ、超カップラーメン好きだよな。」って
話をしていたかと思う。

後になって、真実を聞かされる。どうやら、3ヶ月間カップラーメンだけを食べ続け、
その溜めたお金で、当時付き合っていた彼女に指輪をプレゼントしたのだという。

この事実を聞かされ、僕は驚いた。

「疲れたって言わない事も、3ヶ月我慢して指輪を買う事も、両方とも俺にはできない。」

「疲れた」ってつぶやかない事。これは相当難しい。

実家に帰っての第一声が「ただいまー。」もいうけど、「疲れたー」と言う人も多いのではなかろうか?

それを、中学とか高校とかくらいから、言い続けると、口癖になってしまう。

「お疲れ様でした。」この言葉もあまり良い言葉には思えない。
「疲れて」もいないのに、「お疲れ様」と言われてしまう。

「ご苦労様」でした。って言葉もどうなんだろう?

なんで、こんな話をしているのか?って言えば、
「疲れる」「苦労」って言葉に、僕は、「負のパワー」を感じる。

日本中の至るところで、「疲れたー」「苦労したー」って言葉が放たれている限り、このどんよりとした空気は晴れない。

だから「I君」が「疲れた」って一言も言わない事に、僕はその時、尊敬の念をもった。

そもそも、なんで「疲れてしまうのか?」
日本人は頑張り過ぎるからだ。
そんで、”無駄に”、頑張りすぎているから疲れちゃうんだ。

それが蓄積されちゃうと、慢性的に「疲れた」身体になって、疲労が回復するまで時間がかかっちゃう。

日本人の美徳、いわゆる武士道だったりするけど、少し疑ってみない?
この「我慢し、耐える」美徳。本当に正しいのかな?

実はなんで、「我慢し、耐えているのか」って言えば、いつか「ご褒美」が貰えると思っているからじゃないの?

残念ながら、「我慢し、耐えている」人にご褒美はこない。
「楽しんで、笑顔を振りまいている」人にご褒美がくるんだ。

「こんなに苦労し、頑張っているのに、私に全然ご褒美がない!」

って思っていたりしない?それは、「我慢し、耐えている」からだよ。
楽しんでないからだ。その与えられた仕事に。

仏頂面の子どもに、誰もお花やお菓子をプレゼントしようとは思わない。
いつも笑顔で笑っている子どもにはお花やお菓子をプレゼントする。
そりゃ当然だ。その子がもっと笑ってくれるの知っているから。

「我慢して、耐え忍んだ」者だけに、ご褒美を渡す。

それが長い間の日本の教育だったかもしれないけど、
きっとそれが大人になってからも慢性化しちゃって、
「忍耐」を盾にして、褒美を要求するシステムが構築されちゃったんだろうな。

僕は、「天下り」ってそう捉えている。「耐えたんだから、ご褒美要求してもいいでしょ?」って。「俺はアイツより耐えた。だから俺の方が優れている。」って。

「I君」はきっと、3ヶ月間カップラーメンで我慢していたわけじゃないんだ。
心底楽しんでいたんだ。3ヶ月後のサプライズを。
そんで、ご褒美を待っていたんじゃないんだ。ご褒美を提供したんだ。

だから彼は皆の総意を得て、”お祭り隊長”に任命されたんだ。