智春さんは「チィキィ*パークゥ」というパフォーマンス集団の主催さんであり、
「チィキィ*パークゥ」は、大道芸やサーカスのパフォーマンススキルと遊び心を武器に、身体ライブエンターテイメントの可能性を追求するプロジェクト集団です。
いやぁ、凄かった。素人には”一切”できない技がてんこ盛りのプレビュー公演でした。
特に主催の智春さんは演出もしており、ご本人もパフォーマーなんですね。
いつも思うのですが、俳優とパフォーマー、表現している事は基本同じなんですけど、
何故かパフォーマーの方がどうにも”特別”感を感じてしまう。
やっている事が凄過ぎて、別の”生き物”のように感じてしまうんです。
究極いうと、”宇宙人か?”とさえ、思えてしまう。
ですが、僕には”表現者”という記述に大きな違いがあるように思えてなりません。
”表現”にも2種類あって、
○パフォーマンス(演技など)が並外れて優れている。
○観客を共感させる事が卓越している。
この2つが”表現”という言葉と混合しているから、演技や表現を学ぶ人間に混乱を招いているのではないかと思う部分があるのです。
「パフォーマンスが優れていて、共感させる事が表現者だろ。」って思っている方もいることでしょう。僕もそう思います。
ただまぁ、極端にいうと、俳優ってパフォーマンスが優れていなくても良いって僕は思ってます。「共感」って俳優と観客の「自己同一化」なんですよね。
だから、観ている観客が「私の境遇に近い!」って思わせる事ができればいいんです。
「私の感じていた事、考えていた事を俳優さんが代弁をしてくれている。」それが共感の構造だと思っています。(まぁ、それは作家が書いた言葉でもありますけどね。)
で、それとは違うのが
「凄い、決して私には真似できない。生まれ変わっても、彼のような”動き”はできない。是非、敬意と賞賛を送りたい。」
それがパフォーマンスです。
上記の二つが融合している俳優、パフォーマーは最強です。
ただ、こう業界に長くいると若いうちはどちらかに偏っている場合が多いんですよね。
○敬服する程、パフォーマンスは抜群なのに、感情移入できない。
○また、感情移入するんだけど、みすぼらしい。洗練されていない。
これは学び方の違い、入り口の違いだと僕は思ってます。
演技に技を追い求めるか、心を追い求めるか?
”絵”の場合だったとしても、
デザインと絵画の違いについても同じ事言えますね。
入り口が違っていてもいいんですよ。年齢を経て、どこかで技と心が融合するタイミングがあるので。
ただまぁ、俳優とパフォーマー。実は大きな隔たりがあるんです。それは・・・。
「生涯現役でいられるかどうか?」
「一生同じ事やれるかどうか?」
人間年を取ると、目も悪くなるし、身体の自由が聞かなくなります。
でも、俳優って死ぬ間際まで俳優でいられる方って多いですよね。
ベッドで横になりながらでも俳優のお仕事を続けていらっしゃる方もいる事でしょう。
これは、現代劇に関わらず、古典劇においても同様です。
究極、演技ってしゃべらなくても、動かなくても、”何か”を表現しているんです。
それが、俳優とパフォーマーの相違点だと僕は思っているんです。
だからこそ、パフォーマーの皆様の”現役時代”における社会的な地位の向上が大切だと思ってます。舞台芸術家、表現者と敢えて一括りにせず、最高の技術を持っている段階で、生涯収入を得るような仕組みができたらいいなと僕は思っています。
それが実現できているのが、シルクドソレイユなのでしょう。
日本にもそういった組織や、集団ができればいいなって思います。
だからこそ、舞台俳優は、年をとっても廃れない、息の長い技術と心を身につけて欲しいです。歌舞伎や能や狂言はそれがあるから強いんです。
智春さんが主宰する「チィキィ*パークゥ」さんがパフォーマーの皆様にとって、希望を叶える場所になる事を心から祈っております。
「チィキィ*パークゥ」さんにはそれを実現できる可能性がある事を公演を拝見して感じました。
ありがとうございました。
いやぁ、凄かった。素人には”一切”できない技がてんこ盛りのプレビュー公演でした。
特に主催の智春さんは演出もしており、ご本人もパフォーマーなんですね。
いつも思うのですが、俳優とパフォーマー、表現している事は基本同じなんですけど、
何故かパフォーマーの方がどうにも”特別”感を感じてしまう。
やっている事が凄過ぎて、別の”生き物”のように感じてしまうんです。
究極いうと、”宇宙人か?”とさえ、思えてしまう。
ですが、僕には”表現者”という記述に大きな違いがあるように思えてなりません。
”表現”にも2種類あって、
○パフォーマンス(演技など)が並外れて優れている。
○観客を共感させる事が卓越している。
この2つが”表現”という言葉と混合しているから、演技や表現を学ぶ人間に混乱を招いているのではないかと思う部分があるのです。
「パフォーマンスが優れていて、共感させる事が表現者だろ。」って思っている方もいることでしょう。僕もそう思います。
ただまぁ、極端にいうと、俳優ってパフォーマンスが優れていなくても良いって僕は思ってます。「共感」って俳優と観客の「自己同一化」なんですよね。
だから、観ている観客が「私の境遇に近い!」って思わせる事ができればいいんです。
「私の感じていた事、考えていた事を俳優さんが代弁をしてくれている。」それが共感の構造だと思っています。(まぁ、それは作家が書いた言葉でもありますけどね。)
で、それとは違うのが
「凄い、決して私には真似できない。生まれ変わっても、彼のような”動き”はできない。是非、敬意と賞賛を送りたい。」
それがパフォーマンスです。
上記の二つが融合している俳優、パフォーマーは最強です。
ただ、こう業界に長くいると若いうちはどちらかに偏っている場合が多いんですよね。
○敬服する程、パフォーマンスは抜群なのに、感情移入できない。
○また、感情移入するんだけど、みすぼらしい。洗練されていない。
これは学び方の違い、入り口の違いだと僕は思ってます。
演技に技を追い求めるか、心を追い求めるか?
”絵”の場合だったとしても、
デザインと絵画の違いについても同じ事言えますね。
入り口が違っていてもいいんですよ。年齢を経て、どこかで技と心が融合するタイミングがあるので。
ただまぁ、俳優とパフォーマー。実は大きな隔たりがあるんです。それは・・・。
「生涯現役でいられるかどうか?」
「一生同じ事やれるかどうか?」
人間年を取ると、目も悪くなるし、身体の自由が聞かなくなります。
でも、俳優って死ぬ間際まで俳優でいられる方って多いですよね。
ベッドで横になりながらでも俳優のお仕事を続けていらっしゃる方もいる事でしょう。
これは、現代劇に関わらず、古典劇においても同様です。
究極、演技ってしゃべらなくても、動かなくても、”何か”を表現しているんです。
それが、俳優とパフォーマーの相違点だと僕は思っているんです。
だからこそ、パフォーマーの皆様の”現役時代”における社会的な地位の向上が大切だと思ってます。舞台芸術家、表現者と敢えて一括りにせず、最高の技術を持っている段階で、生涯収入を得るような仕組みができたらいいなと僕は思っています。
それが実現できているのが、シルクドソレイユなのでしょう。
日本にもそういった組織や、集団ができればいいなって思います。
だからこそ、舞台俳優は、年をとっても廃れない、息の長い技術と心を身につけて欲しいです。歌舞伎や能や狂言はそれがあるから強いんです。
智春さんが主宰する「チィキィ*パークゥ」さんがパフォーマーの皆様にとって、希望を叶える場所になる事を心から祈っております。
「チィキィ*パークゥ」さんにはそれを実現できる可能性がある事を公演を拝見して感じました。
ありがとうございました。