シングル・スマイル ver ブロぐ 最近なんだかストリングスでヤッホー! -28ページ目

シングル・スマイル ver ブロぐ 最近なんだかストリングスでヤッホー!

晴れた日はバイク 雨の日は読書 夕暮れにギター 日曜日は子供と




日曜日。

子供が行事でマックカードを貰ってきたから、お昼は子供とマクドナルドへ行く事にした。

一抹の不安。

先日ネットで、マックのレジカウンターからメニュー表が無くなったって騒がれてたから。


ウチから少し離れた独立した店舗のマックへ行く。

広くて綺麗だけど、案の定レジカウンターにメニューは無い。

そして、どういう訳か入口付近にもメニュー一覧表が無い。

レジは混雑していなかったから、とりあえずレジまで行ってカウンター上に有るメニュー表を見て決める。

ゆっくり選べない。

面倒臭いから僕は定番で良いや。

可哀相なのは子供。

ゆっくり落ち着いて選べないものだから、結局チーズバーガーを注文していた。

「○○はどう?」って聞いてはみたけど、多分チーズバーガーしか思い浮かばなかったんだろうな。

他のハンバーガー屋に行く時は、いつもレジに並ぶ前に脇に有るメニュー表を見ながらゆっくり選んでたから。

レジカウンターはともかく、レジ周りにもメニューが無いっていう事が理解できない。


何とか注文して商品を待っていると、店員が

「この印が付けてある方が、アイスレティです。」

って言う。

いや、いくら僕がオッサンだからってアイスレティの意味くらいは分かるけど、そういう略語は店員同士で使うもので、お客さんに向かって使う言葉じゃないと思うんだけど。

服装を見る限りでは、バイトっていう感じではなかったんだけどな。

テキパキと作業するのは良いことだけど、「アイスレモンティ」って言うのを惜しむくらい時短に励まれたら、こっちが落ち着かない。


例えば、スタバ。

常連じゃなければあのメニューはとても分かり辛い。

「日常」 でもネタになってたし。

ただ、ネタになる事からも分かるように、スタバの場合は誰しもがあそこのメニューは分かりにくいっていう事を認識している。

そして、お店側もだからといってドリンクのサイズ表記の横に(小)とか(中)とか書かない。

その代わり、「○○はこういう飲み物です」、「そのサイズはこちらのカップになります」ってきちんと丁寧に対応してくれる。

だから不慣れでも落ち着かないっていう感じはしないし、メニュー表を見ながら悩んでいても仕方が無いなって思える。

つまりさ、難しいメニューにする事で、逆にゆっくり落ち着いて注文出来る様になってるんだよ。


マクドナルドは一体何を目指してるんだろう。

多分、行き慣れた客じゃなければ注文時にまごつくはず。

そして居心地の悪さを感じる。


今日カード使い切ったから、多分もう行かない。

近くにお店が無くても、多少割高でも、僕なら違うハンバーガーショップに行く。










ぼくの髪がー


肩まで伸びてー


前髪うっとおしいー


るるるー






いやホント、前髪うっとおしいよね。

もっと極端に伸びれば耳に掛けたり、後ろに縛ったりも出来るんだろうけど。

邪魔だからヘアバンド使ったりしてる。

でもヘアバンドでも留めきれない髪も有る。

「カチューシャ使えば。男でもしてる人たまに居るよ。」

って言ってた。

そうか。カチューシャならお手軽かもしれない。

でもカチューシャを使う勇気が無い。

カチューシャしてる男も見たことが無い。


ヘアバンドは良くて、カチューシャはダメ。

何だろう。この違いは。

この僕の精神的境界線は一体何処に所以するものなんだろう?

この2つの物体の間には、目に見えなくて計り知れない大きな「何か」が有るはずなんだ<考え過ぎ

いや、でも、ほら、男でも使えるのか?カチューシャ?うーん・・・



そんな訳で、この前映画見て鵜堂刃衛 が実戦的で良いなって思った。

このヘッドギヤみたいなやつ、結構実用的な感じがするんだけど。

つーか、そんなもの使うくらいなら髪切れよ。なんて言われたら、結婚しようよーるるるー♪









厄年になって身体のアチコチにガタが出るのは、それはもう人生の終盤に差し掛かってるって事なんだよ。

人生80年とか言うけど、そんなの何のアテにもならない。

科学と医療の進歩で随分と平均寿命が伸びたけど、それは自然の摂理を誤魔化しているに過ぎなくて、本来なら子供が成人したら親はもう用済みなんだよね。

あくまで自然界では、という事で長生きする事が悪だと言う訳じゃないけど。



先日、流通ジャーナリストの金子さんが亡くなった時の様子が立派過ぎるって話題になっているけど、確かに普通では考えられない様な立派な行為だったと思うけど、でも僕は何となく分かる気がした。

奥さんや子供が居なかったから思い残す事が少なかったというのも、有る意味都合が良かったのかもしれない。

だけどそんな事よりも、多分きっと自分の好きに生きれたからじゃないかと思う。

やり残した事は沢山あるだろうけど、今までにその都度自分が納得出来る選択肢を選んできたんじゃないかと思う。

最後まで仕事をしていたというのも、多分仕事がしたかったからじゃないかな。

ゆっくり旅行に行って温泉でもって思っても、きっと旅先で仕事をしたり仕事の事を考えたりする人なんだろう。


若くして金子さんが亡くなって、可哀そうだと思うだろうか。

80まで生きられたら幸せだったと思うだろうか。

余りに若くて、まだこれからやりたい事が沢山有って、思い残す事沢山も有っただろうけど、だけどそれなりに幸せというか納得できたんじゃないかって思う。僕の勝手な思いだけど。


以前も幾度か書いているけど、僕は人生80年なんて思っちゃ居ない。

人生せいぜい50だよ。

もちろん50で死にたいとは思わないし、多分50過ぎても生きてると思う。

だけど、50過ぎても生きていられる保障など何処にも無い。

もういつ死んでもおかしくはないんだよ。

とても世話になった人は、50そこそこで亡くなってしまった。

僕の父方のじいさんも比較的早かったし、僕はその父方の血を色濃く受け継いでる。

それに良く言うじゃない。

「良い人ほど早く死ぬ」

って。

あぁ、もう短命決定だよ。

僕、めっちゃ良い人だから。



別に早く死にたい訳じゃないし、死ぬ事に捉われてる訳でも悲観している訳でもない。

ただ、そういう事を多少意識してるっていうだけ。

それに、無意味に80まで生きても仕方が無い。

それよりも中身の濃い50の方が僕は良い。

そう思えば、今自分が何をしなければいけないのか、何を優先させるべきなのか、迷う事は少なくなるし、自分にとって本当に大切なものが何なのか分かってくるはず。



そうは言ってもね。

この絶好の秋晴れの中、

「何でオレだけが」

って思わずには居られないんだよね。

所詮僕も俗人なんだよね。









健康が一番だよね!

身体が資本だよね!

って言うけどさ、確かに今までも充分そう思ってきたけどさ、それはあくまで想像で「大変そうだ」って思っているだけであって、実際に自分の身体が不自由にならないとその尋常じゃない不都合さはやっぱり実感できない。

昨日帰宅後いまだかつてない腰痛なって、朝起きたら顔が洗えない(前かがみになれない)。

歯磨きで口をゆすげない。

靴下が履けない。

車を運転したら降りれなくなった。

奥さんが仕事で居ないけど、食事の片付けや洗い物も出来ない。

うわー、何だかただのごく潰しみたいだよ。

以前会社の同年代の人がギックリ腰になって入院して、その時に赤ちゃんが乗る様な歩行器に乗ってたって聞いて馬鹿笑いしてたんだけど、ごめんなさい。

今僕がそれ。



これはヤバい。

山登りどころか、仕事も出来ない。

慌てて接骨院に行く。

2週間ほど前に傷めた腰を無意識にかばう為にお尻の付け根辺りの筋肉が酷使されて、それが神経を圧迫しているとか。

ついでに偏頭痛の要因かもしれない肩の凝りも腰に影響するとか。

なるべくしてなった腰痛なのかも。


すこしばかり山登りして、片道3時間以上掛かる山じゃないと物足りんとか、山登りでしんどくて歩けんって何それ?もっと予め運動とかしてこい。とか思ってたけど、良く分かりました。ごめんなさい。

とんだ思い上がりでした。

頑張って出来る事と出来ない事がある。

いくら頑張ろうと思っても出来ないんだよ。


厄年って、そうやって身体が壊れていく年齢なんだろうな。










いよいよ3連休ですよ。

連休中は天気も良さそうですよ。

腰の調子もだんだん良くなってきたし、秋の御嶽山~継母岳走破しちゃおうかな。むふー!
























って思ってたら、ギックリ腰になった!(´Д`;)



ヤバい。

歩くのもやっと。


素敵な連休が過ごせそうですよ(・∀・)b