トーナメントバイト3

最近、『目指せシングルへの道』というタイトルを変更したほうが良いのかなぁと感じてきました。
シングルへの道は、他の人がいろいろなblogで書いているので、他の人に任せようかなぁ~。。。

皆さんが、あまり経験したことがない裏側について今まで通り書いていきます。

僕の時代は、青木功プロ・尾崎将司プロ・中島常幸プロのA・O・N全盛の時代でした。
(個人的には尾崎将司プロの大ファンでしたが)

1989年のジャパンオープンが小樽カントリークラブで開催されました。
ジャパンオープンは、2度の仕切り直しのあとのパット決めて復活優勝した尾崎将司プロが、翌年も優勝し、2年連続優勝で迎えた3連覇のかかった試合でした。

最終日は、最終組に尾崎将司プロ、ひとつ前の組で中島常幸プロという組み合わせでスタート。

当日は、ギャラリーが最終組に集まり、ものすごい数に・・・。

ギャラリー整理の人数を増やして対応せざるを得ない状況になり、待機状態の私も中島常幸プロの組のギャラリー整理にかりだされました。

これぐらいのギャラリーになると、ギャラリー整理の役割も先先発隊・先発隊・本隊・後発隊という分担になります。

★先先発隊は、常に1ホール先(ティグランドにいるときにグリーンに行っている)に行き、ギャラリーの流れを止めたりします。

★先発隊は、半ホール先に行き、ティーショットの落ちるラフや林の中に入ったときなどに、そのボールのそばに行き、いち早くギャラリーの動きを静止したりします。

★本隊は、ギャラリーの動きなどを注意しながら「お静かに!!」ボードを上げて、ショット時のギャラリーの音を消す努力をします。最近では、カメラ付き携帯でだいぶ問題になっていますが、一昔前ならギャラリー整理とけんかになっていたでしょうね。それぐらい勝負にギャラリー整理もギャラリーも真剣に見入っていましたから・・・。

★後発隊は、最後を歩き、コース内にギャラリーが入り込まないように注意していくのです。

ギャラリー整理だけでも、こんなに細かく役割分担があるのです。
当然、トーナメント運営会社の方々もプロ一人に担当一人というガードでした。


その中で、中島常幸プロが逆転して迎えた最終ホール。
ティショットがフェアウェイセンターへ。
(偶然にも僕はセカンドショットを真後ろで見ることができる角度でギャラリー整理ができました)

北海道は、洋芝のためボールが沈みます。クリーンに打つことが難しいために、その当時は、ターフを薄く長く取るという技術が必要でした。

真後ろから見た中島常幸プロのセカンドショットは、逆光の中、「わらじ」のような長さのターフが右斜め前方に、ボールがその影から、きれいなドローボールで、ピンに向かっていくという、なんとも言えないきれいなショットでした。

一瞬の静寂の中、ピンそばについたボールで大歓声が起き、中島常幸プロが最終ホールバーディで決着をつけた試合でした。


プロの試合の中で、一番印象に残っているショットです。
たぶんこれからもずっと・・・。
あれほど見入ったショットはありませんでした。
トーナメントバイト2


トーナメントバイトでは、いろいろなことを頼まれる。

女子学生の上のほうになれば、このプロが好きなのでその組のマーカーにしてくださいとお願いされたりする。周りからの要請もあるのでそれを受けざるを得ない。

マーカー:18ホールのその組のスコアをつけて回ります。最後のスコア提出のときにプロとスコアの読み合わせを行う仕事です。

そのころは携帯電話がなかったので良かったが、いまだとメルアドの交換などで、仕切りの知らないところで情報交換を行われているのでは・・・?

男子学生からは、他大学の女性の先輩と一日話をしたいのでキャリングボードをさせてくださいと頼まれる。
男子プロを追っかけている女子先輩に、その人と話をしたい男子学生をつける。

キャリングボード:18ホールのその組のスコアをボードに組み込みながら歩いて行く仕事です。マーカーと確認しあいながらスコアを入れていきます。マーカーと結構会話があるんです。実は私も楽しみでした(笑)。

裏ではわかっていることだが、本人は言えないし・・・。

でも、誰が誰を狙っているかがすぐにわかってしまうのも、
仕切りの特権か!!

他大学の可愛い子の名前も、いち早くわかるのも学連の特権でもあるなぁ。
そんなことを考えると学連やっててよかったなぁ・・・。

明日は、トーナメントバイトの続編を書いていきます。
トーナメントバイト


先日は、カシオワールドオープンの青木功プロのキャディバッグを
1ホールだけ担がせてもらったことを書きました。

今日は、北海道で行われているトーナメントでの学生バイトについて
体験したことを書いてみたいと思います。

学生ゴルフ連盟の委員になった2年目時代、本来は『全日空オープン』がトーナメントバイトの仕切りのデビュー戦になるはずが、先輩の追試の日程と重なったために『三菱ギャラントーナメント』がデビュー戦になりました。

バブルの時代であったため、トーナメントが多く北海道で開催されました。
前年まで4つだったのが、6つになり、8つになりと年々増えてきて
一番いい時期に北海道に来るために、学連主催の競技会を開催するのに
スケジュール調整が大変でした。

優勝者は、東 聡プロ。最終18番ロングホールをカラーからの逆転イーグルで芹澤信雄プロを下した。イーグルパットが決まった瞬間、東プロは飛び上がり芹澤プロは椅子から転げ落ち、笑いを誘っていた。

私は、初めてのトーナメントバイトの仕切りを
一番難しいといわれているプレーオフなしに終了できてホッとした。

トーナメントバイトの仕切りとは、ギャラリー整理やキャリングボード、速報掲示板などの人員を、どの大学の誰にするのかを決め、実際に当日のいろいろなハプニングに臨機応変に対応していくという仕事です。

トーナメント運営会社から、今回は何名必要という知らせを受けて、それを
大学ごとに振り分け、実際に運営していく。責任は重いのですが、結構やりがいが
あるんですよね。

明日は、トーナメントバイトでの出来事について書いていきます。