その数ヵ月後、また、わたしはマウイにいた。
今度は、彼の家に滞在することになった。
彼はクラに住んでいる。
クラという町は山側の高度の高い部分に位置するので、海岸沿いのキヘイ辺りは真夏の気候でも、夜になるとセーターが必要になるほど寒くなる。
一年中真夏じゃ嫌になる、とボストン出身の彼はそこに住んでいた。
もちろん、東京では考えられない広さだが、ゴールデンリトリバーともに暮らす独身の彼にとってはちょうど良い大きさの可愛い家だった。
彼は仕事をしていない。
じゃなきゃ、毎日、わたしに朝から晩まで付き合ってられるはずもない。
仕事はしていないのか尋ねた事はあったが、詳しいことは聞かなかった。
「株で食べてる」とだけ言っていた。
そして、わたしも詳しいことを話していなかった。
翻訳の仕事をしている、と言っただけ。
アレックスはわたしが結婚していることも知らなかった。
そして、子供が二人もいることも。
好きだけど、それほど深い気持ちはない。
相手にしても同じ事。
だけど、彼がメールで「来てくれ」と書いてきたとき、わたしは、そろそろ、言わなければならないなと思っていた。
芝生の庭に座って、二人でビールを飲んでいた。
昼の日差しが暖かい時間だった。
「ねぇ、言ってなかったけど、わたし結婚しているのよ」
確かに彼はビクッとしたけれど、「愛人がいるのって、そんなに悪い事かな」と、表情を変えずに言った。
そう、あなたはわたしのlover。
わたしは、初めてマウイに来る事になったいきさつを話した。
そして、小さな子供が二人いることも。
彼は、わたしの話を静かに聞いていた。
そして、「かわいそうだったね」と、わたしの肩を抱き寄せた。
彼が35でまだ独身なのは、ただ単に、結婚に関心がなかったから。
この容姿にこの暮らし。
さぞかし自由気ままな楽しい日々を送ってきた事だろう。
別に働く意欲がないというわけじゃないけど。
贅沢な暮らしがしたいわけじゃないし。
このぐらいなら十分に食べていけるし。
悪い暮らしじゃない。
彼の小さな家の中には、友達のアーティストたちから安く買ったという、趣味の良い絵画や彫刻が溢れていた。
そして、無数のCD。
きれい好きの彼の家はこざっぱりとしていた。
無駄なものは一つもなく、彼のテイストで厳選されたものだけがそこにあった。
わたしがお風呂に入ると言うと、彼は大きな蝋燭を数本ともして、ラベンダーのバスバブルを入れた。
お腹がすいたというと、本格的な美味しいパスタを作ってくれた。
大きなスピーカーから大音量で流れ出る音楽の渦に巻かれて愛し合い、大きな窓に沈む夕日を眺めた。
何もかもがパーフェクト。
彼は大当たりのloverであった。
一つだけ除けば。
オンチなのだ。
でも、音楽が大好きで、一緒に歌ったりする。
やめて、とは言えないのだけど、やめてくれないと嫌いになるかもしれないと思う瞬間があった。
彼に抱かれると、そんな思いは吹っ飛ぶのだが。
ある日、彼の友達の家に連れて行ってくれた。
その友人とは、年上の素敵な人で、カリフォルニアで不動産で儲けて、40代にはマウイで引退してしまった、という人。
だが、彼にしても華美な生活をしているわけではない。
広大な土地に自分であちこちに小さなキャビンのような建物を作って暮らしているのだが、天国のような場所だった。
可愛いキッチンのキャビン、寝室のキャビン、シャワーやトイレに至っては、簡単な囲いと雨避けの屋根がついているだけだった。そして、その時彼が作っていたのは、ミュージックルーム。
中でギターを弾いたり音楽を聴いたりする部屋。
わたしたちが敷地に入っていくと、首にタオルを巻いた背の高い細身の男性が現れた。
これが、トッド。
アレックスとトッドはバックギャモン仲間で、この日も真剣な一戦を交えた。
わたしは、彼の敷地の中を散歩した。
池には、見たこともない可憐で美しい睡蓮が咲いていた。
その香りも夢のよう。
敷地はジャングルの中に忽然と現れるように見えるが、周辺の木は、彼がマウイに引っ越してきた頃に、アレックスも手伝って植えたのだそうだ。
そして、彼は家族とここでパラダイスの毎日を送ることを計画していた。
だが、マウイに来てしばらくすると、妻は新興宗教のグルと駆け落ちしてしまう。
これが、アレックスとトッドの間のジョークになっている。
トッドはもう50代半ば。
大人の男は、自分の悲しい過去の話を使って人を楽しませることができる。
マリファナを吸ってボンヤリしていると、滝つぼに行こうと、まだギャモンに熱中しているアレックスが言う。
トッドの家の近くには、それはすばらしい滝つぼがある。
今まで経験した中で、ダントツナンバー1の滝つぼだった。
ロープを伝って滝つぼに降りていく。
それは高い山の側面に段々畑のようにある滝つぼの一つで、アレックスは軽く5,6メーターはあろう下の滝つぼに飛び込め、とわたしに言う。
躊躇しているわたしの隣で、彼は頭からきれいにダイブした。
頭からは怖すぎる。
わたしは足からまっすぐ飛び込んだ。
気持ちよかった。
水は冷たかったけれど、とても気持ちよかった。
裸でわたしたちは泳ぎまわった。
岩肌に生えるコケもサラサラして、絨毯のようだった。
そこの滝つぼから流れ出る水は、何百メーターも下に落ちる滝になる。
滝つぼの端からマウイの渓谷の風景を眺めた。
「この水は塩素も入っていないピュアな水だから、髪も肌もサラサラになる」
アレックスが言うとおり、わたしの長い黒髪はサラサラになった。
ひんやりと冷えた体が心地よかった。
また、来たいな、ここ。
「トッドに会いにくればいつでも来れるよ」
トッドも、この滝つぼも大好きになった。