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足利尊氏、その弟の直義、そして足利家執事の高 師直の3人を軸とした、現代版の太平記と言って良いだろうか。
尊氏は怠惰で情けない人物であり、それを直義と師直が支えていた、という解釈は(自分には)とても新鮮だった。
何より面白くて読み耽っていたが、非常にボリュームのある一冊で、夏季休暇中でなければ一週間ではとても読み終えれなかっただろう。
大河ドラマ化される可能性があるんじゃないだろうか。真田広之主演の「太平記」依頼、足利尊氏の時代は取り上げられていないし。もしそうなったら、とても楽しみだ。
・周囲が道理を説いて導けば、この『極楽殿』は、必ずや皆の意見に従う。つまり、我ら世間というものがその道筋や判断を間違えない限りは、この男もまた結果として大局を踏み誤るということがない。
何故なら、尊氏は世間そのものだからだ。
・悲しい哉、戦とは道義や義侠心でやるものではない。
敵味方双方の流動的な動きの中で、確固たる行動原理と規矩を持たずに、逐次に勝機を見出していく者が勝つ。常に水の如く変化する尊氏のような者が、最後には勝利する。
・世に最も恐るべきは悪人に非ず。己の正義を譲らぬ頑固者である。唯我独尊の道を遮二無二突き進む者である。
・いつの間にかこんな長丁場な絵図を描けるようになった兄に対して、驚きはしていた。
けれども同時に襲ってきた気持ちは、そこまでして自分を救おうとしているのかという感動ではない…。
直義はむしろ、拍子抜けしていた。
なんだ。
やればできるではないか。
正直、そういうことだ。
・兄はあの頃から、ごく自然に虚無のなかに漂っていた。日陰者の生い立ちから来るものだろうが、だからこそ大海原の中に、いっそ自分というものを放下しようとしていた。
さらに自らを虚しくして、宇内そのものに溶け込む。無色透明になっていく。
…
ようやくわかる…。
新田義貞、楠木正成、後醍醐天皇らの稀代の傑物たちは、ただぼんやりしているだけが能の兄の前に、何故に儚くも滅び去ったのか。
当然だ。いくら並外れた器量があっても、誰も世間には勝てないからだ。