★★★⭐︎⭐︎

漢中王劉備

曹操は20万の兵を率いて漢水へ迫る。
対して劉備は、黄忠と趙雲を向かわせ、魏軍の食糧庫を襲うなどして撃退する。

曹操はその心境を「鶏肋」(鶏肋は食べようとしても肉はない、しかし捨てるには味がある = 進んでも勝は目はなく引けば他人が笑う)と例えたが、その心のおくそを見透かして都へ引き揚げの準備を始めた楊修を、軍律を乱すとして処刑した。
「才は才に亡ぶ」

曹操は討って出るが、蜀軍はなだれを打ってせまり、命からがら京兆府に逃げ、魏軍は全面撤退した。

劉備は漢中に入り、漢中王を名乗った。
曹操は、呉に荊州を攻めさせようと謀る。
呉の孫権は関羽に協力させようとするが、関羽に一蹴される。

孔明の策で、魏に先手をとって関羽は樊城に進撃する。
曹操は、于禁と龐徳を向かわせる。仲間たちから裏切りを疑われた龐徳は、潔白を示すため柩を携えて樊城へ向かった。

関羽との戦いのなかで于禁は、龐徳に手柄を渡すまいと布陣を変える。
関羽は樊城を、取り囲んだまま、筏をくんだり川の上流に堰を作ったりし、連日の雨で水が溢れそうになったのを見計らい、堰を切った。

魏軍は壊滅し、于禁は荊州の獄に送られ、龐徳は関羽の手によりその生涯を閉じた。

呉では、関羽が樊城を攻めている間に荊州を取ろうと呂蒙を送るが、呂蒙は荊州の防御が完全なことから、仮病を使って一旦建業に戻り、関羽を油断させることを画策する。

★★★★★

今年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、義経を"性格は欠点ばかり"として描こうとしている…らしい。

ある意味、この司馬さんの義経に近いのではないかと思えた。

これからのドラマの展開を楽しみにしたい。


・義経はその後の多くの戦術の天才たちがそうであったように微妙すぎる波立ちをもった心情と、過敏すぎる神経をもっていた。
 臆病といえば、それにまぎれもない。が、同時にその臆病がそのまま異常な勇気に転化できる気質のもちぬしであった。
(人よりも百倍臆病であるとすれば、百倍勇気をふるい立たせればいいではないか)

・かれら(坂東人)がいう合戦とは、あくまでも敵の中の「個人」との格闘であり、そういう各個の格闘のかずかずをよせあつめたものが「合戦」ということになっていた。
 が、義経はちがう。まるでちがった合戦観をもっていた。敵味方を対立する組織として義経はみていた。… そう捉える以上、戦術を工夫し、戦術をもって味方を動かし、敵を突き崩した。
 しかし、「戦術」という、こういう抽象的思考が手柄として評価できるであろうか。

・かれ(義経)にあっては軍勢は個人の集まりではない。集団であった。集団として考えた。たとえば坂東の騎馬武者の戦力を、いままでのような各個の格闘だけに用いることをせず、騎兵として集団使用した。そのことがたとえば一ノ谷において大勝を得しめ、屋島において奇勝を得さしめた。義経において、用兵の概念がかわった。


★★★★★

有岡城の戦いの中、城内で起こる事件の謎を通して、荒木村重と牢内の黒田官兵衛との対峙を、重厚に描いている。

戦国ミステリーではあるが、戦や武将達の駆け引き、事件と事件が繋がり、やがてそれらの背後にあるものが見えてくる。

とても面白かった。

・この戦は荒木家の、ひいては毛利家、本願寺の浮沈を賭した大戦である。他家のことなど斟酌する余裕はない。黒田家が絶えようと続こうと、村重には何の関わりもないことだ。
 一方、村重は、官兵衛を捕らえることで松寿丸が殺されることになるとは、露ほども考えていなかった。…
 考え尽くして決したことには、その結果はどうあれ、村重が悔いることはない。だが、考えが及んでいなかったことには ー 薄い、紙のように薄い、悔いが残る。

・「進めば極楽 退かば地獄」
… 進めば極楽とはつまるところ、自らの力で自らを救おうとする、教えに沿わざる振る舞いぞ。退かば地獄とは、阿弥陀仏がなにとてそのようなことを誓われようか。
… 進もうにも進めぬ者にも極楽はあるのだ。
(進まずとも極楽はあるぞ)

・官兵衛はおのれの知略を、一人のおとこの名を永遠に貶めるために用いた。だがその結果はどうだ。
… おれはたしかに、我が子に誉れなき死をもたらした村重の、名を殺そうとした。それが何をもたらすか、考えもせずに。

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張飛の智略

曹操と孫権は総力戦の激戦を続けた後、一時的に和睦する。

曹操の下に左慈と名乗る幻術を使う老人が現れる。
その後、曹操は占いの名人という管輅(かんろ)の言葉を信じ、都で起きた反乱を防いだ。

四川の巴西では、魏軍 5万が蜀との境に集結し、張飛、馬超と睨み合う。

張飛は張郃を打ちのめす。
張郃は汚名を晴らそうて再び出陣するが、劉備軍の二人の老将、黄忠と厳顔の活躍により、夏侯徳が討ち取られ、兵糧を蓄えていた天蕩山も奪われた。

劉備はこの機に漢中を奪る決意をし、10万の兵で漢中へ向かう。これに対し、曹操は40万で漢中へ向かう。

その頃、黄忠率いる蜀軍は定軍山を攻め、魏軍は漢水へ落ちのびていった。

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成都攻略戦

雒城を落とした劉備は、人心を安心させながら成都へ進む。

蜀の劉璋は、敵国である漢中の張魯と講和を結び援軍を頼むという下策に出る。

漢中からは、身を潜めていた西涼の馬超が援軍の将として出てくる。その戦いぶりから、劉備と孔明は策をもって馬超を説得し、馬超は劉備に降る。

そして劉璋は降伏し、劉備玄徳は蜀を平定、魏、呉、蜀の三国が形成された。

魏では曹操の権力が増大しており、献帝の妃とその一族が謀反を企てたとして虐殺される。

曹操は、蜀の前に漢中を攻略するため西征し、平定する。これを脅威として、劉備は荊州の三郡を返す代わりに合肥を攻めるよう呉の孫権を説得する。

孫権は、大惨敗をして引くが、曹軍が40万の大軍で呉に向かっていると聞き、これを迎え討つ。