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孔明の南蛮行
劉備玄徳の死後、魏の曹丕は五路から50万の大軍で蜀を攻め入ろうとする。
孔明は四路には手を打っていたが、残る呉に対しては国交回復を図ろうとする。
呉の孫権が四路の戦況を眺めているうちに、魏軍は敗北し、蜀と呉は同盟を結んだ。
魏軍は30万の大軍で呉に進攻するが、赤壁の大敗に匹敵する損害を出して撤退した。
蜀では、南蛮王の孟獲が迫り、南部四郡の内、三郡が反乱を起こした。
孔明は自ら50万の兵を集め、益州南部へ向かう。
離間の策で三郡の太守を陥して平定し、さらに南蛮の地へ進軍する。
五渓峰での戦いで三洞の元帥達を討ち、孟獲を捕らえるも、南蛮人を心から降伏させるため、孟獲を放つ。
孟獲は兵を集め、再び蜀軍に立ち向かう。
蜀軍は暑さ、害虫、毒蛇などに苦しみながらも進軍する。
馬岱は流沙口を渡り、夾山峪で蛮軍の補給路を断つ。
孟獲は、これを討つために3千の兵を向かわせる。