ちゃたろのブログ -14ページ目

ちゃたろのブログ

何歳になっても線路や電車を見ると気になる元鉄道少年。1980年代90年代の写真を整理するついでに投稿してみました。

ここは私にとっても〝鉄道遺産〟でしかない。明治生まれで札幌育ちの祖父は、防波堤ができた頃のこと、設計した北大出身の技師の事も知っていた。祖父にとっては記憶に残る稚内の光景で、私とは見て方が全く違うようだった。

 1995年。今でもそうだろうけど、北海道を旅する人達がドームの下でテントを張って一夜を過ごしていた。

 冷戦が終わり、ソビエトにも旅行できるようになってきて、稚内から船で樺太に渡れるようになるのでは?なんて話も出ていたが・・・。

 その後も北海道の鉄路が寂れていく中、欧州からシベリア経由の鉄道貨物輸送が本格化した時のため、受け手になる北海道幹線鉄道はしっかり残しておくべき、なんて話もあった。

 どちらも実現する日はかなり先だろう。それより辺境防衛を理由に、稚内、網走、根室への鉄路を整備しておく方がリアリティがある。

 結婚式場の宣伝文句かと思えてしまう。愛国から幸福までの切符や切符風の絵葉書なんかがお土産に並んでいた。

1995年。旧広尾線幸福駅。廃線になって公園が整備され、何気に賑わっているのは皮肉な話。国鉄が解体されてまだ8年。この頃はまだ〝記憶残る〟鉄道跡として訪れる人が多かったろうけど、今では思い入れなく〝産業遺産〟としか映らないのかな?
 半日前に日高本線の様似駅を訪れていた。1995年夏、この時も災害運休中で様似駅には閉じ込められた4両が留置されていた。
 一方は廃線のモニュメント、一方はまだ現役。どちらも似たように見えて、日高線の将来が心配になった瞬間だった。

1995年。この年は神戸の震災に地下鉄サリン事件と鉄道も災難だった。九州に出かけた帰り、〝はやぶさ〟のスジ?で出発した〝なは〟で姫路から播但線、福知山線を経由して京都に帰る経験をした。荷物や服装、天気の心配がなければ、新幹線と在来線を乗り継ぎ、灘から住吉を歩いてしまえば前日に帰宅出来たが。


1995年。根室本線池田駅を出発する特急〝おおぞら〟。ダブルデッカーは帯広までの特急〝とかち〟に、〝おおぞら〟にはハイデッカーグリーン車が付いてるはずだったが、どちらも見られなかった。

1995年。根室本線 厚内駅の釧路方3-4Km。県道でしばらく並走していた貨物列車に、踏切で道を譲った。平坦路線だからか、空コン返却だったのか、DDが軽々と引いていて驚いた。非電化区間の長編成貨物も初めてで、力強くかっこよかった。