ここは私にとっても〝鉄道遺産〟でしかない。明治生まれで札幌育ちの祖父は、防波堤ができた頃のこと、設計した北大出身の技師の事も知っていた。祖父にとっては記憶に残る稚内の光景で、私とは見て方が全く違うようだった。
1995年。今でもそうだろうけど、北海道を旅する人達がドームの下でテントを張って一夜を過ごしていた。
冷戦が終わり、ソビエトにも旅行できるようになってきて、稚内から船で樺太に渡れるようになるのでは?なんて話も出ていたが・・・。
その後も北海道の鉄路が寂れていく中、欧州からシベリア経由の鉄道貨物輸送が本格化した時のため、受け手になる北海道幹線鉄道はしっかり残しておくべき、なんて話もあった。
どちらも実現する日はかなり先だろう。それより辺境防衛を理由に、稚内、網走、根室への鉄路を整備しておく方がリアリティがある。