2000年前後。ムーンライトを米子で降りて山陰本線で大山口まで、少し歩いたバス停から登山口まで路線バスに乗る。お盆休みだから?朝の下り線だから?10名とお客はいなかった。
下山後も同じバスで大山口駅へ。列車まで1時間以上は待った。バスは米子発着のはず、18切符の有効活用とはいえ当時はもう社会人、何を考えてやら。

ひどい簡素な特急車両をつくったと山陰線を気の毒に思った。直接みるとキハ181系より軽快に走っていて、少し好意的に受けとめられた。

駅前か国道までの公園に展示してあったD51。デゴイチは各地で見かけるから、つい適当に流してしまう。よく見れば地方色、独自の改良のあとがあって少しづつことなる。
列車空襲の慰霊碑もあった。鉄道の軍事利用を考えたくはない。でもウクライナの記事をみてるとまだ切り離せない。そして有事になったら各地で無くしたことを悔やむことだろう。今、まだ残っている地方幹線を国防を理由に再生できないものか。余力のあるうちに。

2010年頃にパソコン画像の整理を試みて、ブログに記憶をとどめようとした形跡にようやく気づいた。当時の記事をみるとまだ日付が残っている。
この時はムーンライト山陰or八重垣、ムーンライト九州、小倉松山フェリー、ムーンライト松山を使って4泊5日の山登り旅行。中国地方最高峰の大山、九州本土最高峰の九重中岳、四国最高峰の石鎚を巡った。
もう18切符で乗れる夜行列車はないし、最寄り駅からの路線バスもないと思う。昔はよかったと言うつもりはない、各所で待ち時間があっていわゆるタイパは悪い行程。でも楽しかった。