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ちゃたろのブログ

何歳になっても線路や電車を見ると気になる元鉄道少年。1980年代90年代の写真を整理するついでに投稿してみました。

 もともと沿線人口が少ない上に、ひとつの町が広く集落内にだいたい何でも揃っている。日常的に隣町に出るのは高校生ぐらい。となると鉄道利用者が見込めないのは当然。

1995年8月深名線北母子里駅

 ダム建設が終わり、貨物輸送がトラックに取って代わられたら廃線も致し方ない。この駅には1日6本の列車しか来ない。名寄への通学に使えそうなのが朝に1本、夕方2本。朱鞠内への通学は無理そうだった。

 駅で周辺を見渡しても建物は少ない。どれほどの通学生が集まることやら。ただ荒野のど真ん中という訳では無い、畑や牧草地、人の手の入った土地は広がっていた。

稚内を出て抜海付近は鉄道を見ながら走ったが、その後は海岸線に沿って南下。鉄道好きは私だけ、地図を見ながら海岸や湿原めぐりしながら、上手いこと言って〝音威子府〟にルートを向けた。

1995年 音威子府駅

北海道がすごいのは、町の間にホントに人家が見られないロケーションがしばらく続くこと。丘陵地帯でかなり遠くまで見通せても、道路、線路以外に人工物が見当たらなくなる。大陸横断鉄道と同じような条件が整い、鉄道に利があるように思うのだが。

 ほんの10分前に〝紋別駅〟を出発したばかり、同行者は〝またか〟と思ったに違いない。でも見つけてしまった、そして〝次の機会〟は無い可能性が高い。

1995年、旧名寄本線渚滑駅。急行も走る〝本線〟を廃止にするのか!と議論は出たが1989年に廃線になって6年目。まだ分岐駅だった面影も感じられた。

 北海道には廃線が多い、見方を変えればそれだけ敷設された。荒涼とした北の大地とは言うけど、夏は植物が繁茂して列車の通らなくなった線路なんて直ぐに飲み込まれてしまう。

 今より条件の悪かった明治時代、厳しい自然に立ち向かって、鉄道を敷く〝魅力〟がココにはあった。大自然の中から〝魅力〟を見つけた人の営みは凄いと思う。

 将来、北の大地がまた人を魅了して惹きつける時が来るかも知れない。