般若心経を
皆さんも一度は聞いたことがあると思います
法要やお寺などで聞くお経で、大乗仏教の経典です。
その般若心経の中の
「色即是空 空即是色」
(しきそくぜくう くうそくぜしき)
という言葉を知っていますか?
この言葉は、仏教の根本教理と言われています
「色」というのは、
物質的なもの、形あるもの、実在するもの
という意味です。
「空」というのは、
物質や形としては、実在しないが
物質や形以外の状態として存在している
という意味です。
つまり、
「色即是空 空即是色」
というのは、
「万物を突き詰めると実在はない
実在がないもので万物ができている」
という意味になります
これって、
量子論の素粒子の性質と
全く同じじゃないですかね
世の中の物質をミクロに分解していくと、
分子→原子→原子核→中性子・陽子→素粒子
に行き着く
その素粒子は、
あらゆる場所と時間に偏在し、どこにあるとは言えず、確率の波の状態でしか存在しない。
波の状態ということは、
エネルギーの状態とも言える
つまり、今ここに実在するとは言えない
(エネルギーである電波、音、光などは今ここにあるとは言えませんよね
)
しかし、
その素粒子は、
人間の意識が介在すると、
現れる場所と時間が一点に確定する。
つまり、実在して万物(物質)を作り上げる
仏教用語の
「色即是空 空即是色」を
量子論的に言い替えると、
「物質はそもそも不確定なエネルギーでできていて、
その不確定なエネルギーは人間の意識が介在すると物質化する」
と解釈できます
ということは、
どのようなものであっても、不変の本体はこの世のどこにも実在しないんですね
人間の意識という働きが、実在していると認識させているだけであって、
自分という存在も、意識がなければ実在せず、あいまいな素粒子の塊
意識がなければ、あいまいな不確定な世界なんですね
逆に言えば、
自分の意識しだいで、
自分が望む世界を作る、物質化することができる
と言えますよね
だって、
そもそもこの世は不確定なので、
自分がどういう意識でいるかで
目の前の状態がその意識で確定するんだから
仏教と量子論。
この世の成り立ちでも
同じことを言っていたんですね
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