強烈な寒気に襲われた今、先輩の訃報が入った。
先輩は恐ろしい人であった。
30代初めに初めて部下として仕えた。多少仕事を覚え、そこそこの部署に抜擢されいささか天狗になった私をあえて放任。生意気だった私に他部課から苦情が入っても「上司として気を付けます」と謝罪するが、私に対しては一言もなかった。失礼ながら生乾きの鬼瓦が息をしているような顔をした上司が、私の眼の前でこんな対応をするのである。これは効いた。さすがに私もそれから考え、行動をわきまえるようになった。
しばらくして、突然、脈絡もなく「勉強しているなぁ」と笑って肩を叩いてくれた。
人事異動の時期、上から予想外の部署を提示されナーバスになった私に「任せておけ」と一言。その後、しばらくして「おう、また来年も頼むわ」と何度も肩を叩いてくれた。
飲むとよく「俺の息子は俺にはもったいない出来た息子で今は自治医科大に行っている。あと10何年かしたら、地元で開業だ。そうしたら俺も左うちわだ」なんて笑っていた。
一番よく覚えているのはお嬢さんの大学の合格発表の日のこと。大学は地元金沢。そんなことを何も知らない私に、「おい、車、出してくれるか」と。気軽に承諾し向かった先が件の大学。車中「実は今日は娘の受験した大学の合格発表の日。母親も娘も怖くて見に行けないという。だから俺が黙って見に行きその結果に応じて対応する。それが親父のつとめだ」。さすがに私も緊張した。これ、合格していればいいが、もしダメだったら帰りの車中はどうすればいいのだろうかと。
しかし幸いにお嬢さんは合格していた。
帰りの車中、鬼瓦がにやにや笑っていた。携帯のない時代、先輩は帰ってすぐ自席の電話から自宅に連絡していた。耳をそばだてて聞いていると一言「オウ、俺や。受かっていたぞ。おめでとう」それだけ言って受話器を置いた。これには、惚れた。
その後も、何度も叱られ褒められ酒を飲んだ。
しかし、先輩が退職したあとは疎遠になった。
数年して、たまたまお会いする機会があったがずいぶん体が弱っているようにうかがえた。ただ、その際「お前の家の近くで息子が開業した。医者だから贔屓にしてくれというのはおかしいが何かあれば使ってくれ。」と言う。確かに近所というか、比較的近い場所にある。
ある日、診てもらうために行ってみた。息子さんの顔を見て驚いた。鬼瓦二世である。必死に笑いをこらえ診察をしていただいたが、若いのに大変信頼感の持てる対応にいたく感激した。そこで思わず「お父さんにはお世話になりました」というと、「ありがとうございます。父にそう申し伝えておきます」とのご返事。私は本当にうれしかった。
その息子さんが明日喪主を務める。
私は、涙をこらえることができるだろうか