今日は「植草一秀の『知られざる真実』マスコミの伝えない政治・社会・株式の真実・真相・深層を植草一秀が斬る」からの記事紹介です。

長崎被爆体験者


長崎平和祈念式城臺美弥子さん魂の演説拡散要請

首相の面前で堂々と正論を提示するその姿勢、またその首相の表情を追ったカメラワークも素晴らしいと思いました。

また「二人の幼き子への遺言の書である『いとし子よ』」というその文章にも大変感銘いたしましたので、その部分の抜粋転載させてもらいます。

ぜひコチラ↓植草先生の紹介文とともに読む事をお薦めします。
祈念式で「いとし子よ」を朗読すべきだった安倍氏

以下全て上記記事より抜粋

「私たち日本国民は憲法において戦争をしないことに決めた。

わが子よ!

憲法で決めるだけなら、どんなことでも決められる。

憲法はその条文どおり実行しなければならぬから、日本人としてなかなか難しいところがあるのだ。

どんなに難しくても、これは善い憲法だから、実行せねばならぬ。

自分が実行するだけでなく、これを破ろうとする力を防がねばならぬ。

これこそ、戦争の惨禍に目覚めたほんとうの日本人の声なのだよ。

しかし理屈はなんとでもつき、世論はどちらへでもなびくものである。

日本をめぐる国際情勢次第では、日本人の中から憲法を改めて、戦争放棄の条項を削れ、と叫ぶ声が出ないとも限らない。

そしてその叫びがいかにも、もっともらしい理屈をつけて世論を日本再武装に引きつけるかもしれない。

もしも日本が再武装するような事態になったら、そのときこそ…誠一(まこと)よ、カヤノよ、たとい最後の二人となっても、どんな罵りや暴力を受けても、きっぱりと〝戦争絶対反対〟を叫び続け、叫び通しておくれ!

たとい卑怯者とさげすまされ、裏切り者とたたかれても〝戦争絶対反対〟の叫びを守っておくれ!

敵が攻め寄せたとき、武器がなかったら、みすみす皆殺しにされてしまうではないか?――という人が多いだろう。

しかし、武器を持っている方が果たして生き残るであろうか?

武器を持たぬ無抵抗の者の方が生き残るであろうか?・・・

狼は鋭い牙を持っている。それだから人間に滅ぼされてしまった。

ところがハトは、何ひとつ武器を持っていない。

そして今に至るまで人間に愛されて、たくさん残って空を飛んでいる。・・・

愛で身を固め、愛で国を固め、愛で人類が手を握ってこそ、平和で美しい世界が生まれてくるのだよ。

いとし子よ。

敵も愛しなさい。愛し愛し愛しぬいて、こちらを憎むすきがないほど愛しなさい。

愛すれば愛される。愛されたら、滅ぼされない。

愛の世界に敵はない。敵がなければ戦争も起らないのだよ。」

「理屈はなんとでもつき、世論はどちらへでもなびくものである。

日本をめぐる国際情勢次第では、日本人の中から憲法を改めて、戦争放棄の条項を削れ、と叫ぶ声が出ないとも限らない。

そしてその叫びがいかにも、もっともらしい理屈をつけて世論を日本再武装に引きつけるかもしれない。」


この言葉を永井隆博士は1949年に遺した。

安倍晋三氏はどうせ読み上げるだけなら、こちらの原稿を読み上げるべきであったと思う。





映画 ハンナ・アーレント 予告編


人間の残虐性の原因を追っている間に彼女の事を知り、早速映画を借り観てみました。人間性(ヒューマニティ)というものを考える人には超・おすすめします!

イェルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告


アウシュヴィッツのナチ将校、アイヒマン裁判への透徹した観察。〈悪〉の陳腐さを衝いた問題作。

アーレントが裁判レポートの中で指摘した二つの見解によって、彼女はイスラエルやユダヤ人社会から激しい嵐のような非難と攻撃にあいました。それまで親しかったユダヤ人の友人を殆ど失いました。それでも彼女は信念を曲げる事はありませんでした。世界に衝撃を与えたその見解とは以下の様なものでした。

アイヒマンは、単に上の命令に従っただけの凡庸な官僚で、悪の無思想性、悪の陳腐さを持った人間でしかなく、反ユダヤ主義者でもなかった。

ユダヤ人指導者が、アイヒマンの仕事に関与してた。少数(数千人)のユダヤ人を救うためにナチに協力し、それが450万人~600万人ともいわれるユダヤ人大虐殺につながった。


あれから50年以上たった私たちは、様々な心理学実験の結果や、更なる歴史的な研究検証などを踏まえて、当時の人々よりアーレントの主張を理解できるところまで来ているのではないでしょうか?

アーレントは、ユダヤ人であり、自らも抑留経験のある被害者という立場にありながらも、冷静に、民族、同胞という狭い思念に縛られた狭義の思想ではなく、人間という広義の哲学的思想によって考察していったのです。そして不屈の精神でどんなバッシングにも負ける事なく信念を貫いたのです。

心から尊敬します。

最近の私は、社会のヒステリックな否定的な反応があった所に真実があるのでは?と思うようになっています。目を背けたくなる己の真実を語るものは、必ず思いやりのない、非情な人間だとバッシングされます。世界のどこでも、いつの時代でも、誰であっても。

私はシオニズム思想の権力を握った人々と、被害者である一般ユダヤ人を分けて考えなければいけないと感じています。それが世界中でユダヤ人に対する歴史観を含む全ての理解を複雑にしていると思っています。

映画の最後では、アーレントが学生たちにむけての講義の場で、世間への反論を展開します。感動的です。以下映画の書き起こしです。
 
彼のようなナチの犯罪者は、人間というものを否定したのです。そこには罰するという選択肢も、許す選択肢もない。彼は検察に反論しました。・・・“自発的に行ったことは何もない” “善悪を問わず、自分の意志は介在しない” “命令に従っただけだ" と。

こうした典型的なナチの弁解で分かります。世界最大の悪は、ごく平凡な人間が行う悪です。そんな人には動機もなく、信念も邪心も悪魔的な意図もない。人間であることを拒絶した者なのです。そしてこの現象を、私は“悪の凡庸さ”と名付けました。

生徒A: 迫害されたのはユダヤ人ですが、アイヒマンの行為は“人類への犯罪”だと?

ユダヤ人が人間だからです。ナチは彼らを否定しました。つまり彼らへの犯罪は人類への犯罪なのです。

私はユダヤ人です。ご存知ね。私は攻撃されました。ナチの擁護者で同胞を軽蔑してるってね。

何の論拠もありません。これは誹謗中傷です。アイヒマンの擁護などしていません。私は彼の平凡さと残虐行為を結びつけて考えましたが、理解を試みるのと許しは別です。この裁判について文章を書く者には、理解する責任があるのです!

・・・

人間であることを拒否したアイヒマンは、人間の大切な質を放棄しました。それは思考する能力です。その結果モラルまで判断不能となりました。思考ができなくなると、平凡な人間が残虐行為に走るのです。過去に例がない程大規模な悪事をね。

私はこの問題を哲学的に考えました。"思考の嵐"がもたらすのは、知識ではありません。善悪を区別する能力であり、美醜を見分ける力です。私が望むのは、考えることで、人間が強くなることです。危機的状況にあっても、考え抜くことで ー 破滅に至らぬよう。

ありがとう。



人間であるということは、思考する事。
そして善悪、美醜を見分ける能力を持つ事。

強く胸に刻みました。


NHKのウェブサイトに素晴らしい解説文を見つけました!



視点・論点 「ハンナ・アーレントと"悪の凡庸さ"」
NHK 解説委員室 解説アーカイブスより

フェリス女学院大学教授 矢野久美子
 
 今から50年ほど前の1960年代前半、ナチスの犯罪をめぐる裁判レポートが、大きな論争を引き起しました。これからお話しするのは、その裁判レポートの著者が何を語ろうとしたのか、ということについてです。

著者の名前はハンナ・アーレント。昨年、映画でも話題になったその人です。
1906年にドイツに生まれたユダヤ人女性で、政治哲学者です。彼女は、ヒトラーの反ユダヤ主義政策によって、ドイツから脱出せざるをえなくなり、1933年にパリに亡命しました。しかし、第二次世界大戦によってフランスで生きることも危うくなり、アメリカ合衆国へと避難し、そこで1945年の終戦を迎えます。

 ナチスの全体主義政権下では、ユダヤ人をはじめとする大量の人間が、強制収容所やガス室をともなう絶滅収容所で、生きる価値を奪われ意味なく殺戮されるという事態が起こりました。人間を無用のものとするような言語道断の国家犯罪がなぜ起こったのか、どのようにして起こったのか。こうした問いが戦後のアーレントの思想の出発点でした。
彼女はこの「絶対の悪」と向き合い、1951年には『全体主義の起原』という大著を公刊しました。 

 アーレントは、戦後ドイツには戻らず、アメリカの大学で教えながらニューヨークで暮らしていました。1960年、あるニュースが彼女の心を揺さぶります。ナチスの官僚で、アルゼンチンに逃亡していたアドルフ・アイヒマンが、イスラエルの諜報機関によって逮捕されたというニュースでした。
 
アイヒマンは、ヨーロッパの各国から、ドイツ東部やポーランドにある収容所へと、ユダヤ人を移送する業務を統括していた、重要人物でした。前代未聞の犯罪を担った人間を、この目で見なければならないと強く感じたアーレントは、雑誌『ニューヨーカー』の特派員として、アイヒマン裁判を傍聴します。そして、裁判レポートを発表するのです。

 裁判レポートは、一九六三年二月から三月にかけて『ニューヨーカー』に連載され、五月には本として出版されました。タイトルは、「イェルサレムのアイヒマン―悪の陳腐さについての報告」というものでした。アーレントは、一人の報告者として、裁判が自分の目にはどう見えたかを語りました。しかし、彼女の見解は許されざるものとして、イスラエルやニューヨークのユダヤ人社会から、激しい非難と攻撃をうけることになりました。彼女は本を書いただけでしたが、猛烈な批判をうけ、それまで親しかったユダヤ人の友人をほとんど失いました。

 なぜそれほどの非難の嵐が起こったのか、主な論点をあげてみましょう。
問題の一つは、アーレントがユダヤ人組織のナチスへの協力にふれたことでした。アイヒマンが統括したユダヤ人移送業務において、効率的な移送のために必要な、一覧表の作成などを、ユダヤ人リーダーたちが行っていたということがありました。これはすでに他の歴史家によって指摘されていたことではありましたが、アーレントは総攻撃を浴びました。この問題は彼女の裁判レポートのテーマではまったくなく、ほんの数行しか言及されていない事柄でした。ところが、彼女の言葉は、ナチスの犯罪の共同責任をユダヤ人に負わせるものとして受け止められました。イスラエル国家では、そのユダヤ人リーダーたちが、主要なポストについていたということもありました。

 そして最大の、今でも論争が続いている論点は、「悪の陳腐さ」「悪の凡庸さ」という言葉にありました。裁判でアーレントが見たアイヒマンは、怪物的な悪の権化ではけっしてなく、思考の欠如した官僚でした。アイヒマンは、その答弁において、紋切り型の決まり文句や官僚用語をくりかえしていました。アイヒマンの話す能力の不足は、考える能力、「誰か他の人の立場に立って考える能力」の不足、と結びついている、とアーレントは指摘しました。無思考の紋切り型の文句は、現実から身を守ることに役立った、と彼女は述べています。ナチスによって行われた巨悪な犯罪が、悪魔のような人物ではなく、思考の欠如した人間によって担われた、と彼女は考えました。しかしユダヤ人社会では、大量殺戮が凡庸なものだったというのか、ナチの犯罪を軽視し、アイヒマンを擁護するのか、といった憤激と非難の嵐が起こりました。

 アーレントにとって、人間の無用化をはかったナチスの犯罪は、ユダヤ人に対する犯罪というよりも、「人類に対する犯罪」でした。政治によって生きる価値のない人種が定められ、官僚によって行政的に大量の人々が殺戮されるという現代の悪は、アーレントにとって許されざるものであり、なぜそのようなことが起こったのか、徹底的に向き合い、考えなければならない問題でした。しかし、それは被害者たちにとっては普遍的すぎる視点であり、アーレントはユダヤ人同胞から、ユダヤ人への愛はないのか、と批判されます。論争のなかでアーレントを擁護した社会学者のダニエル・ベルさえ、「彼女が要求する普遍的な正義は、世界を判断する物差としては厳しすぎる」と述べました。

 アーレントは、「悪の陳腐さ」という言葉で何を言おうとしていたのでしょうか。批判への応答のなかで、彼女は、「悪の表層性」を強調しています。悪は「根源的」ではなく、深いものでも悪魔的なものでもなく、菌のように表面にはびこりわたるからこそ、全世界を廃墟にしうるのだ、と述べています。アーレントは、20世紀に起こった現代的な悪が、表層の現象であることの恐ろしさを、述べようとしたといえるでしょう。「悪の凡庸さ」という言葉で「今世紀最大の災いを矮小化することほど、自分の気持ちからかけ離れたものはない」と、アーレントは語りました。「底知れない程度の低さ、どぶからうまれでた何か、およそ深さなどまったくない何か」が、ほとんどすべての人びとを支配する力を獲得する。それこそが、全体主義のおそるべき性質である、とアーレントは考えました。

 アーレントにとって「思考の欠如」とは、表層性しかないということでもありました。
怪物的なものでも悪魔的なものでもない、表層の悪が、人類にたいする犯罪、人間をほろぼしうるような犯罪をもたらすという、前代未聞の現代の悪のありよう。それが、彼女の導き出した結論でした。

 アーレントはそうした悪に抵抗しうる可能性として、思考すること、考えることを追究します。「ものごとの表面に心を奪われないで、立ち止まり、考え始める」ことを彼女は重視しました。アイヒマン論争においては、アーレント自身が、そうした、自立的な思考をつらぬきましたが、彼女の事例は、表層的になった社会のなかで自立した思考が孤立するとき、生きることはどれほど過酷で、思考はどれほど勇気を必要とするか、を表しています。こうした思考が孤立したり、攻撃されたりしないような世界のあり方を、アーレントに学びつつ、考えたいものです。


ショックドクトリン(抜粋版)


実は上のこの動画↑ではなくて、Democracy Now! のサイトにあるコチラ↓の動画の方をご覧頂きたいです。

「ショックドクトリン 大惨事につけ込んで実施される過激な市場原理主義改革」 ナオミ・クライン新著を語る 1

ドキュメンタリーでビジュアル化されたものを見るのは、効果的だと思いました。サイト内の動画には少しピックアップされています。

「惨事便乗型資本主義の正体」

大惨事は大企業に大もうけの機会を与え、政府が「惨事資本主義」を推進する契機となります。「自由市場」の歴史はショックによって綴られてきた。


政変・戦争・災害などの危機的状態の直後を狙って、国民が混乱してパニックになっているうちに、平常時なら有権者の反対意見が大きくてできない、大胆な自由市場改革を断行する。逆らうことができないように管理体制を固める。という手口です。その改革とは、大多数の有権者には不利であり、金と権力を持った人たちの利益に繋がるというものです。

ケインズ主義に反対して徹底した自由市場主義を主張したシカゴ学派の経済学者ミルトン・フリードマンは、「真の変革は、危機状況によってのみ可能となる」と述べました。この主張をクラインは「ショック・ドクトリン」と呼び、現代の最も危険な思想とみなします。近年の悪名高い人権侵害は、とかく反民主主義的な体制によるサディスト的な残虐行為と見られがちですが、実は民衆を震え上がらせて抵抗力を奪うために綿密に計画されたものであり、急進的な市場主義改革を強行するために利用されてきたのだ、とクラインは主張します。

以上色付けしてある所はDemocracy Now! からの抜粋、書き起こしです。


「天賦人権」ー すべての人間は生まれながらに自由かつ平等で、幸福を追求する権利をもつという思想。

これは、それまで抑圧されていた人々が立ち上がり、専制君主から勝ち取った、人権だと私は理解しています。

国家の役割は警察と契約強制以外はすべて民営化し、ってちょっと恐ろしくないですか?あらゆる事が企業への利益のために決定され運営されるという事ですよ。

すべて市場の決定に委ねるという考え方は私は反対です。今まで嫌という程、人々の安全(命)より経済(金)が優先されてくるのを見てきたからです。国や権力側の都合で自由に国民の権利を制限したり没収する事は人の進化の流れに逆らう者だと思っています。



米大統領がイラク限定空爆を承認、過激派の北部侵攻で
2014年 08月 8日 13:36 JST


大統領は「我々は虐殺行為を防ぐため、慎重にかつ責任を持って行動できる」と発言。「このため、必要な場合、限定的な空爆を認めることを決めた」と述べた。Reuters JPより一部抜粋

パレスチナ人への虐殺行為を続けているイスラエルへは支援し続けている大統領。なんなんでしょうか?この矛盾。(今の私のオバマ大統領に対する見解はエイミーグッドマンさんの言葉を紹介した神保哲生さんの言葉に共感します。)

私は、内戦、紛争、戦争の火種となる過激派の活動の背後には、戦争によって利益を被る人々による資金、軍事援助があり、綿密な育成プログラムのもとに、テロリストが要請されている思っています。

一日も早く、世界中の一人でも多く人が、下記の動画の人々のように目覚めて欲しいです。

「NATOに反対、戦争に反対」NATO首脳会議場に向けて帰還兵が従軍メダルを返げつける




フィリップ・ジンバルド -普通の人がどうやって怪物や英雄に変貌するか1


フィリップ・ジンバルド -普通の人がどうやって怪物や英雄に変貌するか2



どうして人間が、これ程までの残虐的な行為を行えるようになるのか?

バッド アップルだったから?

極悪非道な人種であったから?

でも戦争に行く前は善良な一般市民として普通に生活していたと思うのです。どうしても納得ができなかったので、そのメカニズムを追ってきました。

イスラエル軍のパレスチナ人虐殺
大日本帝国軍の中国人虐殺
アメリカ軍のベトナム人虐殺
オウム真理教信者の一般市民無差別テロ殺人
アメリカ軍のイラク人拷問・虐殺

と、ランダムにピックアップして紹介してきましたが、このような残虐的な行為は、世界中で、いつの時代でも枚挙にいとまがないです。

キーワードが見えてきました。洗脳・・・誰にでも起こりえる事だというのです。

フィリップ・ジンバルド博士は言います。腐ったりんごではなくて、腐っていたのは樽の方でしょう。人ではなくシステムが悪いと。


ここまでみてきて、共通点が見えてきました。最終的に実行に移すまでになった人間は、日常生活での通常の精神状態とは全く別の洗脳状態に陥っていて、相手は同じ人間ではなく、家畜、家畜以下と認識しているのです。当然、相手の恐怖や痛みや苦しみを認識する想像力が完全に欠如する状態にまでなっています。マル激トークにとても参考になる映画の紹介があります。「5金スペシャル 映画は歴史的悲劇をどう描いたのか」

けれども、その状態に至るまでは、社会的、心理的なプロセスがあるのです。


以下が、上の動画内での、フィリップ・ジンバルド博士の説明です。

悪の滑りやすい坂に油を塗る 7つの社会的プロセス
7 Social Processes that Grease the Slippery Slope of Evil

1.考えもなく最初の小さなステップを踏むこと
2.他人の人間性を剥ぎ取る
3.自身の没個性化を測る(容姿を変えて匿名になる)
4.個人の責任を曖昧にする
5.権限へ盲目的に服従する
6.グループの基準には無批判に従う
7.怠慢や無関心によって受動的に悪を許容する


それは初めてやよく知らない状況で起こるのです。
あなたの習慣的反応パターンが働きません。
あなたの個性と道徳が遊離します。

普通の善良な人を変容させるのに、薬なんて必要ではないのです。
社会的、心理的なプロセスで充分なのです。

スタンフォード実験で得られた教訓はすべて軍事活動にあてはまります。
それは虐待への処方箋です。

個人のみに焦点を置いた医学的モデルからは離れていきます。
状況やシステムが病気の媒介となる事を認識しました。
公衆衛生モデルに向かいます。

いじめは病気です。 偏見は病気です。 暴力は病気です。

宗教裁判からずっと私たちは個人のレベルで問題に対処してきました。うまくいきませんでしたね。

アレクサンドル・ソルジェニーツィンが善悪の境界線は、あらゆる人間の心の中にあるといいます。つまり境界線は外にはないのです。それはあなたが決めなくてはならないこと。個人的なものです。

悪(EVIL)の心理学的な定義は「力の行使」です。パワーの問題なのです。人々を故意に精神的に傷つけ、身体的に傷つけ、人々やアイディアを致命的に破壊します。そして人道に反する罪を犯します。



私の考察に過ぎませんが、7つのプロセスを踏む段階で1~4を経ると、相当悪の坂を転がり落ちやすくなるのでしょう。

それでも同じ状況下においても、かろうじて踏みとどまる者もいます。キーポイントは5~7の性質だと思うのです。日常生活でもそういう性質があまり強くなかったのかもしれません。

善悪の境界線は、私の中に、あなたの中にある。誰もが善悪を内包しているということ。

それは恐ろしい悪魔が心の中に巣くって隠れていて、ある時目覚めて突然出てくるといった、分けられたイメージではなく、なんていうか、私たち人間は、グラディエーションをもった、天使と悪魔が同一化した存在なのかもしれません。いつでも。誰でも。

あ~、私にコンピューターグラフィックとITの才能があったらこんなスクロールバーを作ってみたいな。

例えば、右と左(上下でもいいんですけど)に動くスクロールバーがあって、一方が悪魔(モンスター・般若)度 100%、もう一方は天使(英雄・仏様)度100% っていう感じ。そのスクロールバーを動かすと、顔が、悪魔の顔←→ニュートラルな顔←→天使の顔に変わる。

私は今、この出来事に対して、善と悪の境界線をここに引いて、行動しました。

さて、ここはどこかな? おっと、悪魔度29% いつのまにかこんなところまで来ていたのか、自分では気がつかなかった!そういえば顔も悪魔顔になってきている。みたいな感じ。

なんてね。こんなレベルの私には実際の事はわかりませんが、生きるというのは、究極、目の前で起こる一つ一つの出来事に善悪の境界線を自分はどこに引くか?という、あくまでも静かで個人的なものなのかもしれない。とふと思いました。英雄になるとか、功績を残すとか、利益があるとか不利益があるとか考えて境界線の場所を決めるような感じではなくて・・・。

その境界線がどこにあったかという客観的な判断は、死んで神の視点に戻れてからじゃないとわからないと思うのです。生きているうちでは、あまりにも生きていくための言い訳、恐怖やエゴがありすぎて客観的には判断することは不可能だと思うし。


ヒトラーとかアイヒマンとか麻原とか、極端に悪の坂道を転げ落ちたと思う人をみて思うのは、劣等感(劣等感の裏返しである優越感・虚栄心等を含む)が強い性格は、さらに坂道に潤滑油を供給することになるのかなと思いました。






ザ!世界仰天ニュース「地下鉄サリン事件!恐怖の洗脳」


はじめの20分ぐらいのところにある、特別な状況下におかれた人間の行動心理が実験によって紹介されていて、とても興味深かったです。実験開始前は洗脳状態になかった人でも、このような行動を起こすという事実に衝撃を受けました。

ということは、一定の洗脳状態におかれ、何かを盲目的に信じる状態になった場合、更に残虐性を表すという事なんでしょう。それがテロであり、戦争なんだと思いました。


「ミルグラム実験」閉鎖的な環境下における、権威者の指示に従う人間の心理状況を実験したものー俗称としてアイヒマン実験

結果:人は閉鎖された環境の中では権威ある人に命令されると従う。


「スタンフォード監獄実験」普通の人が特殊な肩書きや地位を与えられると、その役割に合わせて行動してしまう事を証明しようとした実験

結果:強い権力を与えられた人間と、力を持たない人間が狭い空間で常に一緒にいると、次第に理性の歯止めが利かなくなる。人はもともとの性格に関係なく役割を与えらただけで、受け入れエスカレートしていく。


そして、完全な洗脳状態にあったとされるオウムが起こした大量殺人。その洗脳の手口をみてみます。

薬による幻覚と拷問による恐怖→絶対服従
閉鎖された空間により洗脳状態をさらに強める。


なぜ人は洗脳されてしまうのか?この例えがわかりやすかったです。

あなたが通常の環境におかれているところ、誰か知らない人が話しかけてきたとします。そこでは通常の批判力や常識が働いています。

けれども、例えば自分が言葉もしきたりもわからない外国で不安な状況におかれているとします。そこに同じ人が話しかけてきたとしたら・・・まったく違う印象になりますよね。


ということは、洗脳したければ、部屋に閉じ込め隔離して、膨大な情報を流して、混乱させて、極度に精神的不安定な状況を作りだし、その後それを解決に導く様な提案すれば受け入れやすくなるということですね。

不安、孤独、混乱した状況を同時に作り出し、理性が働かない、批判力をなくした状態になっていないか、自らをチェックしていきたいものです。


戦時や災害時を、彼らは狙ってくるのでしょう。


彼らとは、当然、洗脳を行いたい人々です。


ショック・ドクトリンという言葉が思い浮かびます。


追記:今日は8月6日69年目の広島「原爆の日」でした。
私たちは戦争と被曝を知っている国民なのに・・歴史から学ぶ事ができないのでしょうか・・・





また、人間の残虐性に陥る心理について書く前にもう一つ紹介したい方を思い出しましたので、先にUPします。

ベトナム戦争帰還兵である、元米海兵隊員アレン・ネルソンさんをご存知ですか?私はこの方について、当時よく拝読していたきくちゆみさんのブログで知りました。

今この時こそ、故アレンさんが何を訴えていたか、耳を傾けなければいけないです。映画やストーリーでは描ききれない本当の戦場とは?戦争の本質とは何か?見つめ直さなければいけないと強く思うのです。誰が自ら殺人兵器になりたいと思うのですか?どうして人間が虐殺という行為を行えるようになるのか、その心理的流れを垣間みることができます。

こちらの記事に、必ず目を通してもらいたいです。

「アレン・ネルソンさんのトークライブに感動」きくちゆみのブログとポッドキャストより

PR版「9条を抱きしめて」~元米海兵隊員アレン・ネルソンが語る戦争と平和~




また、以下の様なウェブサイトを見つけたのですが、ホームが削除されているようですので、ネット上から消えてしまわないように、ここに全文転載させてもらいます。

以下全文転載

「元海兵隊員アレンネルソンさんは訴える 兵士よ故郷アメリカへ帰ろう!」

アレンネルソン 1947年生まれ。アフリカ系アメリカ人

 1966年、海兵隊員として、ベトナム戦争に従軍。ベトナムへの途上、沖縄のキャンプハンセンに駐留。 

 除隊後はボランティアとして、軍隊にはいるかどうかで悩む青年の相談相手を長年勤め、現在、ニュージャージー州、カムデン市で教育活動をしている。

 カムデン市はアメリカの中でも貧しく、犯罪の多い町だが、その中で黒人とヒスパニック(中南米系)の中学生や高校生に勉強できる場を提供し、大学進学への道をつくる。

 今年、2月、ニュージャージー州とコロラド州を中心に、沖縄にいた元宣教師や、教師、それに市民運動家が集まってつくった「沖縄駐留米軍をアメリカに連れ戻すネットワーク」の呼びかけ人の一人。今回、同ネットワークの活動で来日した。

講演記録(要旨)96年5月20日、東京の早稲田奉仕園で開かれた
アレン・ネルソンさんの講演会の記録(要旨)です。 

 ようこそおいでくださいました。私は一週間ほど沖縄で過ごし、今日、沖縄から東京に来たばかりです。沖縄ではとても素晴らしい平和に満ちた人たちに会い、貴重な時間を過ごしました。前回、私が沖縄に来たのは18歳の時でした。1966年にベトナムに行く途中で、現在の私とはだいぶ違っていました。その時にはアメリカ海兵隊に属していました。

 今日、みなさんにお話ししたいのは、どんな人たちが軍隊を構成しているのか、彼らはどういう人たちなのか、なぜ軍隊に入ったのか、ということです。ほとんどの人たちは同じような境遇、すなわち私と同じ境遇の人たちが軍人になっているということをおわかりいただけると思います。

 海兵隊に入ったわけ

 私はニューヨークの郊外の貧困地域で母親に育てられました。母は4人の子どもがおりましたが、母一人で私たちを育てました。とても大変なことでした。母も、そして私も、子どもとしてたくさんの家庭内暴力を見、そのために私は怒りに満ちた人間になってしまいました。もう一つ、私を怒りやすい性格にしたのは、貧しい暮らしです。外出するときにも、汚い格好でいくしかありませんでした。

 私の父親が母を殴るのを見ると、私は翌日、学校で誰かを殴っていました。私は怒りに満ちていたからです。とても傷ついていたからです。どうして、他の子供たちが微笑んだり、校庭で遊んでいられるのかわからなかったのです。だから私は、微笑んでいる子どもを見つけると殴っていました。どうして彼の人生がそんなに「良く」て、私の人生がこんなに「悪い」のか、理解できなかったからです。

 私の両親はよくけんかをしましたが、たいていそれはお金のことで、それは夜でした。あるとき、両親は昼間からけんかを始めました。私が6、7歳の頃です。それはすごいけんかで、近所の人が警察を呼びました。私の地域でけんかぐらいで警察を呼ぶということはまれなことでした。警察が来て、ドアをノックしたので私がドアを開けにいきました。そこには2人の大きな私服警官が立っていました。

 けんかがひどくなった原因は、母が父に反撃したからです。母はただ殴られて寝室に行くというタイプの女ではなく、綿やタバコを摘み取っているような強い、田舎育ちの女でした。母はいつもやり返すのでけんかはいつも激しかったんです。

 警官はアパートに入ってきて、父に「一緒に来い」といいました。父がちゅうちょしていると、警官は父に飛びかかって、殴りつけました。父は殴るのをやめるように警官に懇願し、泣いていました。母も殴るのをやめるように頼みました。私は泣き、妹たちも泣きました。警官はついに殴るのをやめ、アパートから出ていきました。母と私と妹たちで父を抱いて寝室に連れていき、ベッドの上に寝かせました。父はそのまま2週間ベッドの上に寝たきりでした。子どもの私はベッドの上の父のところにいき、父の手を握っていました。父は元気になると家から出ていき、2度と帰ってきませんでした。

 16歳になると、私はこのような境遇から抜け出したいと考えるようになりました。何か、今までと違ったものを、自分のために欲しくなりました。テレビや映画で見るような素晴らしいところを見たくなりました。与えられていた唯一の選択肢は海兵隊に入ることでした。海兵隊はたいへん暴力的な軍隊だということを知っていましたが、私にとってそれは問題になりませんでした。私のそれまでの人生そのものが暴力的でしたから。家の中で暴力は十分に見てましたから…。だから海兵隊に入ったときに暴力的なことをすることは、私にとってきわめて自然なことでした。それどころか私が「ニガー(黒人の蔑称)」でなくなるチャンスを海兵隊は与えてくれたのです。アメリカ社会においては黒人は「ニガー」でしかありません。しかし海兵隊員になるということは素晴らしいことです。人々に尊敬され、職を得ることができ、みんなから「ありがとう」と言われます。また、「海兵隊になればそういうものが得られる」と言われました。

 こんな話をしたのは、私がベトナムに行ったときは、とても怒りに満ちた人間であったということをわかってもらうためです。その怒りを誰にぶつけようと気にしませんでした。アメリカ海兵隊は、その怒りをベトナムの人たちにぶつける機会を与えてくれたのです。

 ベトナムへ

 海兵隊が最初に新兵におしえること、それは「命令に従うこと」です。「疑問を持つことなく命令に従うこと」です。洗脳された兵士は、いったん戦場に行けば、与えられた命令はどんなことでも遂行するように仕込まれます。考えることなしに、質問することなしに、疑問を持つことなしに実行します。海兵隊にはこういう言葉があります。

「考えるのはおまえの仕事ではない。おまえの仕事は、実行し、死ぬことだ」。

 命令に従うことを教え込んだ後は、「殺し方」を教えます。多くの時間を「殺し方」を習うのに費やし、海兵隊に入って18歳になるまでに、25種類もの人の「殺し方」を覚えました。有益で、役に立つ技術です。それこそが兵士が持たねばならない技術だからです。兵士というのは、平和を維持する人(ピースキーパー)でもなければ、ソーシャルワーカーでもありません。兵士はピースキーパーとして訓練されていません。兵士は「殺す」ことを訓練しているのです。それが彼らの仕事です。「殺す」ことです。

 

 私はベトナムに着いたとき、とても興奮していました。アメリカという国に対して、私が価値ある人間で、いい仕事をし、教育もあることを証明し、私を黒人としてではなく、何をおいても国に対して奉仕した者として見てくれることを喜びました。だからベトナムに着いたことをたいへんうれしく思いました。ジャングルにいることは好きだし、私は速く走れるし、何が身の回りで起きているかといった観察力は優れているし、人を「殺す」ことも得意でした。

 私が初めて人を殺したとき、上官がやって来ました。上官はとてもうれしそうでした。というのも私がついに「敵」を殺したからです。私が「頼りになる」ことが証明されたからです。彼は私にナイフを渡して、「おまえの勲章を切り取れ」と言いました。「勲章」とは、耳のことです。海兵隊はベトナムで人を殺したとき、(勲章として)その耳を切り取る習慣があり、みんなそれをひもに通して首の回りに下げていました。

 私は自分が殺した男のところへ行き、耳を切り取ろうとしたときに、耳をぶら下げている兵士たちのまわりにはハエがぶんぶん飛んでいて、とても臭かったのを思い出しました。それで私は耳を切り取るのをやめ、その死んでいる男から立ち去りました。

 私はへんな気持ちになりました。自分のしたことが正しかったのか。なんか胃袋がキューっとなりました。上官がやってきて「どうかしたのか」と尋ねました。私は「へんな気がする」と答えました。上官は「初めて殺したときには、みんな同じような気分になる。気にしなくていい。すぐに良くなるさ」と言いました。しかし、「人を殺す」ことについて、その感情を克服することはできませんでした。私は、「人を殺す」たびにその感情を味わいました。気分が悪く、めまいのするような感じ…。「もっとたくさん殺せば、その『病気』は克服できる」と言う人もいますが、たくさん「殺す」ことによって、克服したり、慣れたりするということはありません。

 私を変えた出来事

 一方、私は与えられた任務をこなし、危険な作戦に何度も参加し、昇進し、隊の中での評価も高くなっていきました。よく「あなたのような人が、なぜ今、平和のために活動しているのか。何が変化をもたらしたのか」と聞かれます。この事についてお話ししたいと思います。

 私たちはベトナムで、ある村に入りました。そして迫撃砲を撃ち始めました。ベトナムの人たちはみんな家の後ろに防空壕を持っていてアメリカ軍が空から攻めてくると、みんな子どもを抱えて防空壕に逃げ込みます。私は壕まで降りていき、攻撃しました。すると誰かが私のそばにいるのに気がつきました。よく見ると、それは16~17歳ぐらいの若いベトナム女性でした。最初にすべきことは彼女を「殺す」ことです。「殺人」は今までにもしてきたことであり、子どもでも、老人でも、誰でも殺しました。それは「命令」なのです。アメリカ兵は戦争を「ゲーム」のように思っています。オリンピックのようなもので、笛が鳴ったら急いで多くの人を殺すという「ゲーム」のように。私が「子どもでも誰でも殺した」と言うと、みんな驚きます。戦争とは、残虐な「ビジネス」です。人間が戦争でどんなことをしているのか、理解するのは難しいでしょう。

 さて、私は彼女を撃とうとしましたが、何かが私がそうするのを止めました。彼女の出血の仕方が今まで見たこともないようなものだったからかもしれません。けがをしているのか、なんだかよくわかりませんでした。とにかく、私は一瞬ちゅうちょし、よく見てみると、彼女は壕の中の壁を背に座り込み、何かを押し出すような、そんな動きをしていました。彼女は汗びっしょりでした。彼女に呼びかけると、私に殺されるのではないかとおびえていました。彼女は相変わらずなにかを押し出すような動作をしていました。

 ふと、両足の間を見ると、小さな頭のようなものが見えました。私は、高校で「出産」のことを習ったこともなかったし、映画でも見たことがなかったので、それが「出産」だとはすぐには気がつきませんでした。彼女は、さらに押しだそうとしており、私は思わず両手を差し出して、赤ちゃんを受けとめたのです。

 小さい目は閉じられたまま、小さな手は握りしめられ、へその緒もついたままでした。彼女はへその緒を口でかみきると、私の手から赤ちゃんを奪い取り、自分の着物に包んで壕から急いで逃げていきました。

 目の前で起きたことが信じられませんでした。あまりにも一瞬の出来事でした。もし、私の手にその「出産」のあとが残っていなければ、幻覚だったと思ったかもしれません。

 壕から出てきた私は、壕にはいる前と、違っていました。仲間の海兵隊員も「どうかしたのか」と声をかけてきました。私の気持ちが動転していた理由、それは、ベトナム人も「人」だということに気づいたからです。 海兵隊での訓練では、ベトナム人は「Gooks(=よごれ、いなかっぺ、黄色人種)」または「Slant eyes(目のつり上がった東洋人種-軽蔑的表現)」、「共産主義者」、「人間ではない」、「共産主義者=人間ではない」と教えられました。「Gooksは自分たちと同じような父、母を持たない」と教えられました。

 私は気がついたのです。自分がこれまで殺してきたベトナム人は、同じ「人間」であり、故郷で待っている自分の妹と同じくらいの年齢の少女たちを殺してきたのだということを…。私はいてもたってもいられない気持ちになりました。私はずいぶんひどいことをベトナム人にしてきたのです。また、今現在それを続けていることに気づいたのです。私はどうしたらいいのか、悩みました。以前の私を「攻撃的」というなら、「防衛的」になりました。以前は「狩り」をするために「獲物」を探していましたが、もはや「狩り」もしたくなければ、「獲物」を見つけたくもありません。どうしても殺さなければならないときだけ、非常に限定して、銃を使うようになりました。

 ジャングルの中で敵を見つけるには、まず彼らの排泄物を探します。ベトナム人はきれいに隠しますが、私は観察力が優れていたので、見つけるのが得意でした。排泄物は(戦場の兵士にとって)必要なすべてのことを教えてくれます。「何人いるのか」「何を食べているのか」「どのくらいの期間そこにいたか」、また、この「排泄物がある」ということは、「敵が近くにいる」「自分たちを狙っている」ということを意味しますので、これを見逃すことは死に直結します。こういうことを軍隊では教えるのです。「どうやって(戦場で)生き延びるか」ということを。しかし、私はこういうことをすることを、すべてやめてしまいました。

 ベトナム人・白人・黒人

 しかし、戦争は続き、私はまだベトナムにいました。あの「出産」の事件を機に、ベトナムの人を友人と思えるようにまでなりました。私たちのベースキャンプから遠くないところに、ある一人のベトナム女性が住んでいました。名前は知らなかったのですが、みんな彼女のことを「ママさん」と呼んでいました。彼女は私のことを「アル」と呼びました。ある日、ママさんのところへ行くと、彼女が私に言いました。「アル、海兵隊員、おなじ、ない」このように言うのです。「ママさん、どういう意味だい?」。「アル、海兵隊員、おなじ、ない、あなた」と言って彼女は私の顔をなでるのです。「わたしの、いえに、きなさい」「すわって、ビール、のみなさい」そして言うのです。「海兵隊員、言う、あなた、ママ、しっぽ、持ってる」。

 私は、彼女が何を言っているのかわからず、何度も聞き直してやっとわかったのですが、白人の海兵隊員がママさんの家に来て、ビールを飲み、ママさんに「黒人のおかあさんたちはしっぽを持っている」と教えていったと言うのです。

 奇妙な感じでした。私はここベトナムに来て、ベトナムの人を殺したり、ものを燃やしたりしています。しかし、(ベトナム人が)私に対して人種差別的な態度をとるということはありません。私のことを「ニガー」と呼んだりしません。「ベトナム人がアフリカに爆弾を落とした」という歴史はありませんし、「人々を鎖でつなぎ、たんぼで働くよう、連行した」こともありません。

 ところが、私たちはここで、ベトナム人を撃ち殺しています。それなのに、いっしょに作戦についている白人たちが、私たちのことを「ニガー」と呼び、ベトナムの人たちに「黒人の母親にはしっぽがついている」と教えている。

 「出産」の事件と、この話のはざまで、私は何がなんだかわからなくなりました。私はママさんに「私のお母さんにしっぽはない」と言いました。ママさんのような人が「しっぽの話」を信じるのは無理もありません。私のような友人がいなかったら、いまだに信じていたでしょう。

 この出来事のすぐ後に、私たちは村を攻めに行きました。40人ほどを殺しました。近く、村長選があるので、この村を「確保」しておきたかったのです。アメリカ政府の指示でその村を全滅させたのは、ベトコン(ベトナム兵)の影響下にある村の人を選挙に行かせたくなかったからです。そのため、40人の村人を殺し、また25人程の米海兵隊員が殺されました。こうして村は「確保」され、選挙は行われました。

 私たちはベースキャンプに戻りました。それは、ジャングルの中にあり、そこに我々は住んでいました。私は11歳の妹から手紙をもらったのですが、その中にニューヨークタイムスの記事が同封されていました。アメリカ南部では、マーチン・ルーサー・キング牧師と黒人のグループが選挙権を求めて運動しており、それに対して警察隊が犬や消火栓のホースで放水したり、棒で殴りつけたりしている記事が載っていました。

 これを読んだことは、私の「変化」に弾みをつけました。アメリカの南部では黒人は参政権も持っていない。私はベトナムにいて、これから選挙に行こうとしている(ベトナムの)人たちを撃ち殺している。

 私は自分の考えを変え始めていましたが、それは少々危険なことでした。というのは、私はまだ戦争のまっただ中にいたからです。

 さて、これから私がベトナムにいて、最後に起きた出来事についてお話しします。

 激戦、そして帰還

 私は30人の兵士とともにパトロールを命じられました。ヘリコプターが私たちをどこともわからない場所へ連れていき、そこに降ろして、何日かルートを調べるために歩き回り、またヘリコプターが来て私たちを拾い上げます。ある時、私たちは降ろされて間もなく、北ベトナム兵に待ち伏せされました。私ともう一人、「チーフ」というニックネームのアメリカインディアンの兵士の他は、みんな傷を負いました。丘に逃げ、傷ついた仲間たちを塹壕に隠し、地雷などの限られた武器で敵の攻撃に備えました。ベトナムでは、昼の時間はアメリカが制圧していましたが、夜は彼らが有利です。夜8時半、彼らの激しい攻撃が始まり、朝の4時にその熾烈な闘いは終わりました。

 すでにお話ししたように、私はすでに「生き方」を変えていたので、このままベトナムでは死にたくありませんでした。どうしても、生きて家に帰りたかったのです。しかし、再び北ベトナム兵に戦闘を開始されたらおしまいです。我々は自分たちを「気が狂った人間」と思わせるために、あたりに何百とあった死体の破片を、丘の上からベトナム兵の方に向かって投げつけ始めました。その結果、ベトナム兵は我々を放って去っていき、我々は生き延びることができました。アメリカ政府(海軍)はこの丘での功績を讃え、私にシルバースターの勲章をくれました。この丘の戦いは「881高地の戦い」として、アメリカ史上に残る戦いとなりました。

 アメリカ海兵隊が、この一晩で何人殺したのか、私たちは数え切れませんでした。翌朝、海兵隊は565人まで死体を数えましたが、ベトナム兵は、自軍の兵士の死体を運べる限り運んでいってしまうので、最終的に(ベトナム兵の)死体は何体になるのかわかりませんでした。

 私は、この丘を立ち去るときには、かなりイカレていました。帰りすがら、死体の頭をナイフで切り刻んで、投げ捨てたりしました。軍隊では、殺せば殺すほど勲章をくれます。海軍が私にくれたシルバースター以上の勲章は、これまで3人しかもらっていなかったものでしたが、私はその勲章を地面に捨てました。というのは、私は家に帰りたかったからです。勲章をもらうことよりも、家に帰りたかったのです。そして私は家に帰りました。

 「あんたは誰だい?」

 私は家に帰りました。

 私の風貌は(家を出たときにくらべると)たいへん変わっていました。家の中に入っていくと、母は私の顔を見て言いました。

「あんたは誰だい?」

 私は家を出て、海兵隊に入ったときの私ではありませんでした。家を出ていった「彼」は人を殺すような気違いでもなかったし、死体を運ぶようなこともしなかったし、人の排泄物を掘り返したりする人でもありませんでした。

 私は全く違う人間になってしまったのです。夜には眠れず、眠るといまお話ししたようなことを夢に見てしまい、うなされました。毎晩です。誰かが階段を下りていく音を聞くと、私は不安で眠れませんでした。アパートのまわりを歩いてチェックし、子どもが寝ていることを確かめ、妻が寝ていることを確かめ、窓、ベッドの下、タンスの中を確認しました。娘が「お父さん、どうしたの?なにもないから、安心して寝て」と言ってくれても、ベッドにも行けないし、眠ることなんてできませんでした。「戦争後遺症」にさいなまれていました。

 私は今、みなさんにお話ししていることを話せるようになるまで、何年も何年もかかりました。というのは、この話は、自分の犯した「罪の告白」に過ぎないからです。自分が「人殺しをした」ことを言うのです。上官は「撃て!撃て!よし!撃ち損ねた?気にするな!」こんな調子です。私たち兵士は全員、殺すことに責任を持ってます。殺したい人を殺します。

 それは兵士たちにとって、最も困難な告白です。上官は命令します。「あのばあさんを撃て!あのじいさんを撃て!あの子どもを撃て!撃て!」

 子どもを撃つのは難しいんです。老人は簡単です。彼らは走れないから。老人を見つけたとしても、まず他の難しい獲物からやり、10分後に戻ってきてもまだ間に合います。

 今回、沖縄を訪問し、たくさんの女性に会う機会がありました。彼女は90代だと思います。彼女たちは、沖縄戦についてよく話しました。とてもひどい、ひどい話でした。私はベトナムに行った経験があります。ベトナム(の戦場)では、女性たちは子どもを抱いて走らなくてはなりませんでした。子どもといっしょに逃げなくてはなりません。子どもを抱いて逃げるなんて、誰ができますか。今、この部屋に窓から「敵」がやってきたとしたら、どうやって逃げますか、しかも子どもと一緒になんて。

 ある沖縄のおばあさんがこの本をくれました。沖縄戦のことを書いています。今、私が話した内容と同じことが、この中に書かれています。「戦争」というものは変わってないのです。

 ベトナムでは、女性と子どもが大変苦しめられました。女性は、子どもといっしょにジャングルの中を逃げなくてはいけません。子どもの食べ物も必要です。母乳の出ない母親にたくさん会いました。それは爆撃や銃撃などの精神的ショックや死体の悪臭のせいなのです。もし、母乳が出なくて、子どもに与えるものが何もなかったとしたらどうしますか。

 私がベトナムにいるときに起きた、たくさんの出来事の中から二つだけお話ししました。私はこの話ができて、少し気が楽になりました。アメリカ軍は、ベトナムから引き上げていきました。私が殺してしまった人たちの魂も、安らかに休んでもらえるように祈っています。

 私は、幸いにして、このように戦争体験を話せるようになりましたが、私と同じような考え、意見を持っていても、戦争に参加したことによる精神的後遺症のために、自分の戦争体験を話せる人は多くはありません。きちんとした精神的ケア(治療)を受けていないからです。

 沖縄でこの話をすると、「それで、私の父は第二次大戦に参加したけれども、戦争中の話を全くしないのですね」と言う人がいました。



 平和を沖縄に

 今の課題は、どのようにして平和をつくっていくのかということです。私がお話した通り、兵士というのは戦争のために働くのであり、私たちは、平和のためにいったい何ができるでしょうか。新聞を見ると、誰かが何かをしなくてはいけない、なんて書いてありますが、こんな記事は何の役にも立ちません。ガンディーは「兵士というのは寝るところ、食べるものに不自由しても、それでもなお献身的な人たちだ」と言ってます。ただし、「人殺しのために」ですが…。

 沖縄の人たちはたいへん平和的な人々で、基地をなくすために、平和のために、アメリカ政府、そして日本政府に積極的に、平和的に立ち向かっていきました。先ほど言いました90代になる女性は沖縄戦の様子を覚えています。しかも、いまだに軍隊が目の前に存在しています。彼女が働く近くでは、タッチ・アンド・ゴー(離発着)訓練が行われています。これが平和だと言えるでしょうか。特に沖縄のような地方に押しつけておいて。

 私は沖縄に駐留している米軍基地の撤去を支持します。沖縄に駐留している米軍は「人殺しの訓練」をしているからです。解決策はあります。自分たちをピースキーパーと呼んでいる軍隊は、すべての戦車、すべての銃、戦闘機を捨て去り、ガンディーのしていたような眼鏡を支給し、髪の毛はそり、ガンディーの絵がプリントされたシャツを着て、平和維持のために行進させればいい。こうすれば平和は非暴力的に維持することができます。

 (今は平和的ですが)次世代の沖縄の人たちが、あるいは三世代、四世代、先の沖縄の人が暴力的になるかもしれないということを私は心配しています。米軍基地を撤去するためにです。その時には多くの血が流されるでしょう。ですから、私たちキリスト教徒や、平和を訴える人たちが、この問題に精力的に取り組まなくてはなりません。平和的な方法で、隣人たちと共存するために、軍隊を世界から無くさなくてはいけません。余りにも多くの暴力や銃がはびこり、軍隊ではない仕事や、そういった仕事につく機会が十分にないのです。

■会場との質疑応答

「アメリカでは、犯人が黒人だから差別的に取り扱ったと言う報道がされたそうですが…」

 まず第一に、アメリカではこの件について、あまり報道されていません。「沖縄で3人の海兵隊員が12歳の少女を強姦し、逮捕されました。次に天気予報です」程度です。

 次に、沖縄の人たちは、これを人種の問題としてではなく、基本的に強姦事件、そして軍事基地の問題としてとらえています。私が沖縄を訪問してびっくりしたのは、(私が黒人なので)私に今回の事件について話すのをちゅうちょするのではないかと思っていましたが、そんなことは全くありませんでした。

 私自身の意見として、「強姦」というのは「女性全体」に対する犯罪です。世界的規模の問題で、この事について、これまで十分に訴えられていないと思います。強姦を犯した男性については、きびしく罰して、男性に対して、女性に関する教育をしていかないといけません。

〔アメリカの平和運動の現状〕

 アメリカの平和運動は、分裂していて、共に活動しようとしていません。女性運動、ゲイの運動、環境問題、子どもの問題、虐待問題、性差別問題、人種問題など、多くの問題がありますが、それぞれがそれぞれの問題だけに取り組み、少ないお金を奪い合っています。60年代には、共に活動し、成果を得ることができましたが、今ではてんでバラバラになってしまっています。政府は、我々が一緒に話し合わないので、喜んでいます。そんなこともあり、私たちは個人として、問題を提起していかなければなりません。

〔カムデン市の教育活動〕

 私の住んでいるニュージャージー州カムデン市はアメリカにおける貧しい市のひとつで、高校生の80%が中退してしまいます。去年は、67件の銃による殺人事件があり、これらの事件の被害者である子供たちの80%は18歳以下で死亡しています。11~12歳の子どもが銃を持ち、コカイン、マリファナなどの麻薬を売っています。

 この写真は、麻薬に関連した事件で死んだ若者たちの、レンガ塀に描かれた追悼の絵です(死んだ少年たちの絵が描かれている)。私の住んでいる地域にあり、カムデンで麻薬売買の最も盛んな地区です。それぞれの絵の上にその子の名前と誕生日と死んだ日が書かれています。

 私は、活動する場として、このカムデン市を選びました。というのは、この市は、私の見た中でも、最も荒れた地域だったからです。ここは、平和のために働く人にとってもためになり、単に話し、議論するだけでなく、歩き、実行する場でもあるからです。人々は、私たちが何をやっているのか、ミーティングハウス(クエーカー教徒らの礼拝堂兼集会所)を見にやってきます。私たちがやっているのは、教育援助プログラムで、14人のアフロアメリカン(黒人)、ヒスパニック(中南米系の人)、の若者に提供しています。「読み」、「書き」、「数学」を教え、この子たちが大学に入れるようにすることが目標です。

 それに暴力を無くす(暴力に訴えないようにする)トレーニング、軍隊以外の仕事につくトレーニング、そして私はこの子たちに地域でのリーダーになってもらいたいので、リーダーシップ要請トレーニングをしています。ひとつ心配していることは、彼らが大学に入り、ミドルクラス(中産階級)になったら、この町から郊外に出ていってしまうのではないかということです。私たちは中産階級を育てるためにこのプログラムをしているのではありません。教育を受けたらこの町にとどまって、この地域を良くしていってもらいたいのです。

 みなさんはこの写真を見て「なんてひどい町なんだ。こんな町に良く住めるな」と思うかもしれません。しかし、郊外にはカムデンよりも暴力的な面があるのです。

 カムデンから郊外に歩いて行けば、車庫に2台、車を持っている家や裏庭にプールのある豪華な家があります。彼らこそ、「暴力的」なのです。カムデンのことを放置しておいて気にかけないからです。彼らが問題を起こしているのです。たくさんのお金、プールなどの財産を貯め、子どもは私立学校に行かせ、一方、カムデンの子どもは、十分なバスルームもありません。どちらの方が暴力的なのでしょうか。

 私たちのプログラムは、クエーカー教徒によって出資、運営され、主にフレンズスクール(クエーカー教徒による学校)の生徒たちが運営しています。実際に、東京のフレンズスクールの生徒が一人、交換留学生として来ており、私たちのセンターで働いています。子供たちとすぐになじみました。

 このプログラムではいろんな子供たちを交流させています。白人、上流階級、中流階級、高い教育を受けた子ども、クエーカー教徒の子ども、クエーカー教徒ではないけれども、フレンズスクールに行っている子供たち、などが週に3回やってきて、読み、書き、数学を教えています。最初、彼らがやってきたときに、彼らはこう言いました。「こんな空き缶やゴミの散らかっているところの子どもをどうやって教えたらいいのかわからない。こんなに散らかってる中でなんで笑っていられるんだ」。けれども、今ではきちんと教えています。

 東京では差別されたフィリピン人の子どもや韓国人の子どもがいると聞いています。彼らにこちらから手を差しのべていかなくてはなりません。彼らを放っておいたら、私たちは人種差別をしているのと同じことなのです。

 

 私がこのプログラムを始め、各家庭のドアを叩いたときには、町の人は誰もドアを開けてくれず、私が黒人であるということもあって、嫌っていたようでした。「教育プログラム」をベビーシッターのように思っている人もいました。この活動を始めて3年目にやっと、ドアをノックすると「どうぞお入り下さい」と言われるようになったのです。

 よく、「住民が自分のことをちゃんと受けとめてくれない」と言って、すぐに活動をやめてしまう人がいますが、冷たくされるのは当たり前です。どこの誰かもわからないのですから。信頼を得るまで、続けなくてはいけません。

 白人のクエーカー教徒のボランティアもたくさん来ますが、順調というわけではありません。肌の色も違うので、子供たちになかなか信頼されなかったり、感情的に傷ついていたりして、ボランティア自身、いろんな試練を乗り越えて、センターを出たり入ったりしながら成長していってるのです。いろんなボランティアが来ますが、ボランティアの条件は一つだけです。「子どもが好きだ」ということです。子どもが好きでない人が来ても、うまくいかないのです。子供たちに対しても、「まわりにいる人たちはあなたのことを愛しているんだよ」と言ってますので、このことはとても重要です。

 センターで活動する人、働く人は必ず、異文化交流トレーニング、男性・女性に関するトレーニング、人種に関するトレーニングのすべてのコースを受けます。

[平和運動の進め方]

 スリランカや他の紛争国、第三世界の国々は不幸にもたくさんの銃を持っています。食べ物よりもたくさん持っています。私は「平和運動」の進め方としてこう思っています。「国が兵器を持つことを禁止する」のです。しかし、「兵器」はきわめて大きなビジネスです。企業や、ロシア、ドイツ、アメリカは、銃や弾丸をどんどん送り出し、第三世界の人々は「調停」ということを考えることさえできなくなっていて、「平和的な手段によって解決する」ということに目がいかなくなっているのです。

 もし、武装を解除することができたら、「暴力」そのものを無くしてしまうことはできないかもしれませんが、かなりの効果があります。もし、彼らが銃ではなく、棒や石で闘うことになったらどうでしょうか。「銃を使う」ということとは、全くレベルが違うのです。

 私たちはアメリカが武装解除し、世界的に武器の輸出入ができないように訴えていかねばなりません。

 もし、「軍備」を放棄したら、武器を与える代わりに、食料、教育、そして若者たちのための旅行手段を与えることができるのです。

★米海兵隊は日本にいらない!
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前回のアップでは、恐ろしい殺戮者となったイスラエル人に悪魔と叫びたい気持でいっぱいです。と書きました。そして今回は人間の心理についての動画を紹介しようと思ってたのですが、その前に日本人なら必ず知っておかなければいけない事実を先に紹介するべきだと思いました。

私たち日本人はこの歴史に背を向けてはいけないと思うのです。人間として。どうかこの動画を見てください。

花岡平和記念館を訪問 花岡事件と中国人強制連行を知っておく。


強制連行、収容所での虐待、慰安婦問題、大量虐殺、日本人も恐ろしい加害者になった過去をしっかり見つめなければいけないと思うのです。

誇張や歪曲があるという主張には同意できません。数や規模や経緯を論じるより、実際に日本人による犠牲者がいるのです。その事実をしっかり受け止めて日本の非を認め謝罪した上で、それから建設的に未来に向けて進むように日本が努力するべきだったと思うのです。そうでないからいつまでも歪んだままの関係で、さらに国の政治的思惑も加わり悪化したのだと思うのです。当事者達が参加できなかったサンフランシスコ講和条約での取り決めによる賠償金によって解決済み謝罪なし。それでは建設的な前向きな関係を築くのは無理です。

以前紹介させてもらった、「演題:[おしどりマコのドイツ見聞録]」での、この動画の30:10頃からのドイツでのエピソードを聞いてもらいたいのです。

2/4:核戦争防止国際医師会議への出席報告(前半)


「ドイツが、どうやって第二次世界大戦のナチスの大虐殺について反省しているか、それをアピールしているか、見て帰って欲しい、日本の人にはもうちょっと知って欲しい。」というドイツ在住日本人ジャーナリストとのエピソードです。

ドイツの国をあげた取り組みを知り、私は圧倒的な国の成熟度の違いに愕然としました。一方の日本を見れば国のトップの思想をみてもわかるように、あまりの民度の低さに自分の国を恥ずかしく思いました。自らを省みる事もなく、己を美化し続け、人種差別という偏見にとらわれ、戦争すら美化する人々、同じ地球に住みたくないです。

従軍慰安婦については、小野院長先生が『蛍の航跡-軍医たちの黙示録』という書籍を以前紹介していたのがとても印象的でした。1日80人・・・どんな理由を付けてもそのような女性を辱める様な発言をする事は許される事ではありません。私はそういう人間を心底軽蔑します。

「SEX SLAVEは必要だった・・橋下徹 その発言の波紋と慰安所の実態」記事の下の方になりますが、ぜひ目を通していただきたいです。

また私が高校時代の話ですが、日本史が第二次世界大戦の時代になった頃、クラスメートが祖父が持っていたという写真を持ってきて、歴史の先生に見せたのです。それを横で見ていました。その写真は折り重なる死体の大きな山を背景に誇らしげにポーズをとっている日本兵の写真でした。先生はそっとその写真をしまって、授業で使う事はありませんでした。とても不思議に思った事を今でもよく覚えています。

同じ人間が加害者にも被害者にもなりえる。

人間の心理は表裏一体。その深さを考えます。

一般的におとなしく暴力を好まない日本人。けれども状況が整えば豹変する事もあると言う事です。

戦争というマインドコントロールは人間を確実に狂気に追いやるのです。


次はマインドコントロールについて考えたいと思います。




追記:皮肉な事に今この記事をUPした直後にこのような記事を読みました。
ドイツで反ユダヤ運動が激化!ユダヤ教礼拝所に火炎瓶も!「ユダヤ人に死を」「ガス室に送れ」 真実を探すブログより

この趣旨のデモが国民のどれ程の支持を得ているか注視していかなければいけないと思います。メディアが少数派の主張をさも多数派の様に報じる扇動プロバカンダの意図の可能性もあります。けれどももしこれが本当に多数派を占めているのなら、この先どんな暗黒の世界がやってくるのか覚悟をしなければいけないということだと思うのです。


書く事は自分の思考の整理です。そして参考にしたい情報と自分の思考を忘れないようにブログにしるしてきました。始めてよかったなと思うし、これからも続けていきたいです。だって、ブログを書いたおかげで、自分は環境や人の体にやさしい暮らしをしたいのだと気がつき、田舎でエコライフという人生の目標が見つかったのです。そして今本当に田舎で暮らしていますから。(エコガーデンにはまだほど遠いですがにひひ

これからしばらくいろんな動画をアットランダムに紹介させてもらいたいと思います。一人でも多くの人にシェアしたいですし、自分があの動画をまた見たいと思った時に簡単に探せるように。


このドキュメンタリー映画は三宅洋平さんのブログで知りました。

「お願いします。どうか今夜は、テレビやパソコンを消して、48分の時間を作ってください。そして、・・・・」という言葉から始まり紹介されていました。

「これが、迫害され、侵略される側からの、ささやかな、非軍事的抵抗です。これが、イスラエル政府と防衛軍がやっている事の実態です。」
三宅日記より一部抜粋させてもらいました。

5台のカメラが壊された~パレスチナ~


映画はどうしようもなく心を鷲掴みにします。パレスチナの一般市民の目線で撮られたものです。村人の日常が映し出されて、豊かな文化を垣間みることができます。子どもたちの笑顔があります。私はパレスチナはニュースで見る破壊された戦闘地区しかイメージを持っていませんでした。2005年から2011年までの記録です。2014年のこの村はどうなっているのでしょうか?今のガザへのイスラエル軍の悪魔の様な虐殺光景を見ながらあまりにも苦しいパレスチナ人の苦難と不条理に打ちひしがれています。

驚いた事にこの映画の監督はパレスチナ人とイスラエル人による合作なのです。

映画の中でもイスラエル人がパレスチナ人と一緒に抗議活動をしています。そしてイスラエル軍に攻撃されているのです。

私が言いたいのは、ここなのです。人種でくくってはいけないと強く思うのです。

人道的な心を持っているとか、非人道的な行いをするとか、それは人種でくくって判で押した様なジャッジはできないという事です。

ユダヤ人はナチスによる恐ろしいホロコーストによって大量虐殺という犠牲者になりました。その被害者が今パレスチナ人に対して侵略略奪虐殺という恐ろしい加害者となっています。

被害者と加害者を単純にわけることはできない。というこのイスラエル人の監督の真実を世界に伝えるその強さと勇気にも賛辞を贈りたいです。

壊された5つのカメラ 監督インタビュー



パレスチナ、ユダヤ、イスラエル、本当に歴史が長く複雑で理解する事が容易ではないです。私には簡単にジャッジすることはできないです。けれどガザの惨劇を前にして悪魔と叫びたい気持でいっぱいです。イスラエル在住の日本人の発信をいくつか目にしましたが、イスラエル人の目線とはこんな感じなのかなと思わせたりもします。共感できないでいます。とても人間とは思えない残忍な所業にもプロパガンダ、洗脳というキーワードが浮かび上がります。


次は人間の心理について考えさせられた動画を紹介したいと思います。





私たちはどこへ向かっているんだろう。

世界中の先進国と言われる国々で、10年前より社会がよくなった、生活が向上したという実感のある国はあるのかな?と思うのです。

行き過ぎた経済至上主義の資本主義社会の終焉に来ていると感じている人はどれくらいいるのだろうか。

国民のための医療、福祉、教育という予算は削られる一方、増税額は増え、その反面、大企業のための法律改正は次々と可決され大企業の納税額は軽減されていく。物価は上がる一方。戦争の種があちらこちらでくすぶっていて防衛費は膨らみ、既に大量虐殺が行われている。軍需産業と表裏一体の原子力産業も結局は世界が推進を認めている。

一般市民の首を絞め、足かせをつけていく方向に世界が向かっている。その先に管理社会・警察国家という得体の知れないアジェンダがあるのではないかと感じているのです。

それは弱肉強食の世界。この先「権力者と奴隷」の社会を確立するために、「戦争と財政破綻」が必要で、その崩壊と混乱の中、権力へ逆らう力を封じ込めるために、徹底した管理社会を築こうとしているのではないかと憶測しているのです。

今までも片鱗は見えていました。でもやっぱりまさか・・と思っていました。けれどももう自分をごまかせない所まできているように思えるのです。ここ数年のうちにウィキリークス、スノーデン氏による公文書の内部告発によっていろんなことが表に出てきています。

社会主義国家や独裁国家による管理社会をみればその恐ろしさを想像することができるのではないでしょうか?権力に都合の悪い情報は隠匿。国家権力にたてつけば、冤罪、拘留、拷問、抹殺。密告の義務により誰をも信用できなくなります。

私はそんな世界に生きたくないです。そんな世界を子供達に残したくないのです。

でもこの流れを変えることが、今の私たちなら出来ると思っているのです。

私は多様性を持った、平和で、互いを認めあって、共生する、持続可能性のある社会で生きていきたいのです。

まだ世界の主要国では、主権は国民にあります。憲法で私たちの人権は守られているのです。日本の平和主義も私は守るべきものだと信じています。

これらを失わないように世界中の人が行動を起こす事が、自分のためだけではなくて、子どもたちの未来のためにするべき事だと焦燥感に駆られているのです。選挙に参加する事、政治・権力を監視する事、声を上げること。一人一人の小さな声の集積が必要なんです。

無関心と無気力が一番、支配欲のある層に力を与えているのです。

その層の人々は、一般大衆(もちろん私も含みます)が、簡単に持ってしまう偏見を利用して、人々の間に分断意識を持たせて、人種差別を増長させていると感じるのです。互いが憎しみあうように。それが引いてはテロ、戦争を生み出してしまうのです。

私は移民を受け入れているオーストラリアで17年暮らしていますから、それなりにいろんな国籍の人と出会ってきました。これまでの出会いの中、好感を持った人も嫌だなと思った人もいます。でもそれを国でカテゴライズしたいと思いません。どこの国の人であっても、合う人は合う。合わない人は合わない。それはお互いの人間性によるものだと思うからです。

日本人だったら誰でも好きなんですか?特定の国の人だったらみんな嫌いになるのですか?

ナンセンスです。まぎれもない偏見です。

何年も前に一時期、ネトウヨ情報を読みあさったことがあります。日本国内の外国人参政権については私も危惧します。私自身オーストラリアの永住権は持っていますが、この国の選挙権はありません。でもオーストラリア国籍を取らない限り選挙権が与えられないのは当然の事かと思っています。

私はもちろん左翼ではありません。けれどもネトウヨの自らの非は全く認知せず、自己(日本)を美化し、他人ばかりを下品に攻撃するその姿勢とロジックを見て、彼らが一生懸命非難している相手のやり方と一つも変わらない。読む価値なしと蓋をしました。2008年の事です。その後ネトウヨ人口は増えたようですね。

彼らの主張の中に少しの事実はあるかもしれません。国民の不満のはけ口に反日教育を利用して誇張している面もあるかもしれないです。けれども歴史的史観の判断は当事者では難しいです。利害関係のない第三者に見直してもらえば違う史実が見えてくるかもしれません。けれども全体的な像として見た時、プロパガンダで反日を煽る方も、全く非を認めない日本の右翼の方も極端な面があると思うのです。

結局互いが憎しみ合うように分断工作の命を負ったエージェントのエッセンスが両方の活動に入り込んでいると判断します。そしてその扇動に乗った一般の人々がいる。確かに日本の中の右にも左にも違う国籍文化のバッググランドの人が入りこんでいる事実はあると思います。でもそんな扇動にのって同じレベルで人種差別論を振りかざすのは、やっぱり人間としてのレベルはどうなのだろうと思っています。


アンテナを張らないとやられます。サバイバルの時代に入っていると思うのです。

そして玉石混淆の情報を取捨選択できる感覚を養わないといけないです。

でも、ここで必ず書いておかなければいけないことがあります。

私は不完全な人間です。人間として成熟している訳でもありません。能力が特に優れているものはありません。社会的な肩書きもないただの主婦です。

今の私の見解はまちがえているかもしれません。

それでもまちがいを恐れずに、まちがえたらそのまちがえを訂正して前に進みたいのです。


繰り返しになりますが、私が向かいたい先は、平和と共生、持続可能性のある社会です。だから戦争と原発をこの地球からなくしたいのです。


まちがいといえば、私は2007年頃から環境問題や人類の行く末について少しづつ考えるようになりました。そして次第に問題の解決法としてニューエイジ系のスピリチュアル思想にはまっていきました。2012年のアセンションを信じてしまいましたし、自分がワクワク楽しくポジティブでいれば世界がよくなると本当に信じていました。でも2012年に入ってしばらくして考えを変えました。放射能汚染問題を考えるようになって、流行のスピリチュアル思想ではただの無関心を増長させているだけで世の中の問題は解決しないと気がついたからです。その経緯についてはこれまでに何度も書いてきました。

スピにはまった私を何年も横で冷ややかに見ていたトレバー君は正しかったと今の私は思っています。私はそんな彼への文句をブログに書いていましたにひひ( それでもいまだに見えない意識の世界はあると信じていますけどね。)


さて、初めの方に書いた管理社会への懸念は陰謀論的なものの見方による懸念です。これもトレバー君は拒否反応を起こします。他のまわりの人にも受け入れられると感じていません。だから今後私の見当違いだったと思えるようになったら、その時はちゃんと訂正します。けれども今のところその懸念を打ち消すほどの情報に出会えていません。

こういった概念も2007年頃から読みあさるようになりました。きっかけは1993年に読んだ書物なんですけどね。半信半疑で読んでいましたが、ここ数年、内部告発で表に出てくるようになって、普通のメディアで確認できるようになってきて、背筋が凍る様な思いになっているのです。かといって陰謀論系のほとんどの情報は今でも疑いながら読んでいるつもりです。

以前にも書いたことがありますが、まだ不可解な事が多いです。何が本当の最終目的なのかが見えないからです。優生学、人口削減などの思想がちらつく統制管理社会が現実となった後どんな地球になるのか?

それはアジェンダを遂行している、金の亡者は、地球という惑星を傷め続けることを何とも思っていないようで、自分自身にすらナイフを突きつけていると思うから不可解なんです。このまますすんだら人類自体がこの地球で存続できるのかという疑問が消えないのです。彼らは本当に何を求めているのか??

それこそ、巨大太陽風が直撃して日本の原発の全てが同時に電源消失したら・・・どうなることでしょうね。何ヶ月も電力が止まってしまったら・・・世界のどこで起きても大変なことになります。
2012年7月、巨大太陽風で電源喪失していたかもしれない!カレイドスコープより


マザーアースだけではないです。ファザースカイからみても、人間の科学、知識なんて、無力なものだと思うのです。それともその自然の力を凌駕する科学と英知を持っているのでしょうか?彼らは・・・