「わかりやすい授業」とは、果たして単に説明が上手であったり、資料が整っていたりすることなのでしょうか。もちろん、そうした技術的な工夫も授業を充実させる要素のひとつではあります。しかし、真に「わかりやすい」と生徒が感じる授業には、それ以前にもっと大切な“前提条件”があると私は考えます。それは、授業に入る以前の「地ならし」、つまり、生徒がその先生に対して抱く安心感や信頼感の醸成です。
「この先生なら大丈夫」「この先生についていきたい」――こうした気持ちを生徒が持てるような関係性があってこそ、授業の中身が生きてくるのです。言い換えれば、教室という場において、生徒が心を開き、素直に学ぼうとする姿勢を持てるような“心理的安全性”を教師がいかにしてつくれるかが重要なのです。
そして、この「地ならし」ができていれば、たとえ授業内容が一見難解であっても、生徒たちは「先生には何か意図があるに違いない」とか「今は次のレベルに進むための準備期間なんだ」と、前向きに捉えてくれるようになります。これは、まさに生徒が教師を信頼している証であり、その信頼が「わかりやすさ」を支えているという証明でもあります。
ここで重要なのは、「わかりやすい」という評価が、教師や第三者の視点ではなく、生徒自身の主観に基づくという点です。どれほど構成が理にかなっていても、教師側の説明に自信があっても、生徒が「よくわからなかった」と感じていれば、その授業は成功とは言えません。逆に、多少説明が回りくどくなっても、生徒が「先生の言いたいことが伝わってきた」と思える授業は、確かに「わかりやすい授業」なのです。
ですから、授業の良し悪しを決定づけるのは、授業の技術だけではなく、それ以前に築かれた教師と生徒の関係性であると言えます。授業の始まる前に、教師がどれだけ生徒一人ひとりに関心を持ち、真剣に向き合い、信頼関係を構築してきたか。そうした日々の積み重ねが、「わかりやすい授業」につながるのです。
結局のところ、授業とは人と人との対話であり、信頼と共感を土台にして初めて成り立つ営みです。「地ならし」なくして「わかりやすさ」は存在しません。その意味で、教師の最大の力量とは、生徒の心に種をまき、育む土壌をつくることなのだと、私は強く思います。