「誉める」という行為は、子どもたちの成長において極めて大きな意味を持つものです。集団授業において、講師がしっかりと教えるのはもちろん大切なことですが、それはあくまで出発点にすぎません。それ以上に大切なのは、子ども一人ひとりの努力や挑戦、成長を「誉める」こと、そしてその誉める行為を「みんなで共有する」ことだと私は考えます。
今の子どもたちは、日常生活の中で「誰かに心から誉められる経験」が少なくなっているように感じます。家庭では忙しさに追われ、学校でも競争や評価が先行し、「できて当たり前」「もっと上を目指せ」といったプレッシャーばかりが強調される場面が少なくありません。そんな中で、子どもたちは「自分が認められている」「誰かが見てくれている」という実感を持ちにくくなっているのではないでしょうか。
ましてや、多くの人の前で堂々と拍手や歓声を浴びるような経験ができる子どもは、ほんの一部の限られた存在です。スポーツの大会で活躍する、コンクールで賞を取る、学力テストでトップになる――そんな限られた場面でしか表に出ることができない子どもたちは、全体の中ではごくわずかです。しかし、それ以外の子どもたちにも、それぞれに頑張っていることや、努力していることがあるはずです。その努力を見逃さず、「みんなで拍手をする」という行為は、その子にとって一生の記憶に残る出来事となるかもしれません。
「誉める」ことには、人を変える力があります。誉められた子どもは、自分の価値を肯定されることで、次の挑戦への意欲を持つようになります。ときには照れ笑いを浮かべつつも、心の奥では自信をつけている様子がうかがえます。その照れたような、でもどこか嬉しそうな表情――それこそが、誉めることの持つ力を物語っているのではないでしょうか。
また、「みんなで拍手をする」というスタイルは、誉められた子どもだけでなく、それを見ている子どもたちにとっても大きな意味を持ちます。拍手を送るという行為を通じて、「他人の努力を認め、応援する」心が育ちます。それは、学力以上に大切な、思いやりや共感力といった社会性を養うための貴重な経験でもあるのです。
そして何より、講師自身も、生徒たちから自然と拍手が起こるような授業を目指すべきだと私は思います。それはただ知識を伝えるだけでなく、子どもたちの心を動かす授業、生徒の心に残る授業を展開していこうという覚悟の現れでもあります。拍手は、学びの場を「一方通行」ではなく、「双方向の関係」へと変えていく、素晴らしい力を持っているのです。
「拍手」と「歓声」は、特別な人だけのものではありません。すべての子どもたちが、努力したその瞬間に浴びてよいものです。そして、それを全員で共有することで、教室は「競争の場」ではなく、「認め合い、支え合う場」へと変わっていくのです。
だからこそ、私はこれからも、子どもたちをしっかりと誉め、その瞬間を全員でたたえる授業を大切にしていきたいと強く思っています。
講師は、授業が終わったとき、思わず生徒から拍手が出るような、授業を展開しないと。