英語を教える際に、教師が「知識の伝道者」になってはいけないという指摘には、深く共感します。英語学習の本質は、知識のインプットではなく、実際に使えるスキルとしてのアウトプットにあります。そのため、教師のスタンスは「教える人」ではなく、「コーチ」であるべきです。
たとえば、ピアノの習得を考えてみると分かりやすいでしょう。どれだけ優れた指導者から知識を受け取っても、本人が毎日練習しなければ、指は動くようにはなりません。ピアノの先生がするべきことは、演奏のポイントを簡潔に伝え、生徒が自ら練習する時間を最大限に確保することです。英語学習もまったく同じです。教師は必要な知識や方法を的確に提示した上で、生徒が「自分で英語を使う時間」をどう増やすかを考え、支援する存在であるべきなのです。
しかし、現実には、教師が文法事項を細かく日本語で説明し、短い文を分析する授業が多く見られます。これは一見、理解の助けになるようで、実際には生徒の英語力の本質的な向上にはつながりません。なぜなら、こうした授業は、知識を「理解した気になる」だけで、「使えるようになる」こととは別問題だからです。
また、長文対策やリスニング対策、整序問題対策といった「テクニック中心の指導」が行われることもあります。しかし、英語の本質を学んでいない段階でこうした点的な対策をしても、それは「枝葉」を整えるようなもので、根が育っていなければ、結局は実を結びません。つまり、問題演習に追われるだけで、英語という言語に対する感覚や自信を身につけることができないのです。
ですから、英語教師に求められるのは、生徒の練習をどう支援するか、どのようにモチベーションを維持させ、継続的な学習を促すかという「コーチ」としての資質です。生徒に「使ってみる場」「間違える機会」「自分の課題を自覚する瞬間」を与えることこそが、教師の最大の役割だと考えます。
これからの英語教育には、「教える」から「引き出す」への転換が必要です。生徒が自ら主体的に英語に向き合い、使いながら学ぶ環境づくりを、教師がコーチとしてサポートしていくことこそ、真の英語力育成につながると私は考えます。