私は頑張ってる!

私はこんなに努力している!

私は、毎日・・・こんなに苦しんで・・・頑張って・・・

やっているのに!!!!!

 

なんで!?どうして!?

 

「どうして、分かってくれないの?」

 

そして・・・

 


私達は、自信を見失う

 

思うように、自分のことを認めて貰えない時なんて、

正直・・・実際・・・いつものこと・・・

頑張っても、頑張っても・・・その頑張りをちゃんと認めてくれて、評価してもらえるのはなかなか無い。

 

毎日頑張っていて、毎日続けていて、体調が悪い時も、苦しい時も、どんな時も無理して頑張っていても・・・

その事を認めてくれて、感謝してもらえることは・・・なかなか無い。

 

自分が何かに取り組んで、作り上げて、完成させて・・・

その評価を誰かにして貰う時には、最高の評価と感想を貰える時もあるだろう。

 

でも、それはある程度経験をして、実績を積んで、結果が出るようになった時に、その評価と感想を貰えて、認めて貰えるようになる。

それまでは、沢山の挫折を繰り返すことになるかもしれない。

なかなか、自分の願うような評価や感想を貰えない時が多いだろう。

 

自分が頑張って積み上げてきたもの、作り上げたもの、そして、頑張っている時の姿・・・。

それを見て貰っても、褒めては貰えないし、認めて貰えることは少ない。

 

そして、私達は自分の求めるような言葉や態度も貰えないことを経験していく。

その経験の中で、だんだんと・・・

 

「自分がダメだから・・・」

「私がこうだから・・・」

「原因は自分だから・・・」

image

って、自分のせいにしてしまう。

自分が悪いと感じてしまって、錯覚してしまって、思いこんでしまう。

実際の状況や理由はそれぞれ違うから、きっと自分の頑張っている姿や、作り上げて、積み上げたものが評価されない理由が有るのかもしれない。でも、自分の望む結果が得られない時に、私達は『自分が悪いから』だと、勘違いしてしまう。

その積み重ねの結果が・・・

私達は自分の自信を見失うことに繋がっていくだろう。

 

そうじゃなく・・・

自分が作り上げたもの、積み上げてきたものを、

 

ダメだしされたり

否定されたり

自分の望んでいた答えと真逆の答えを貰うことになった時・・・

 

その時も同じように、自分のせいにして、

「作れない自分が悪いから」「出来ていない自分が悪いから」と・・・

自分で自分のせいにして、自信を無くしていく。

 

そして・・・・

一番、自分の自信を見失ってしまう原因・・・

 

トラブル・失敗・誰かを傷つけてしまった時、それは、原因や経緯がどこかにあって、仕方のない時もある。

避けられない時もあるし、自分だけの原因ではない時も多々あるだろう。

それなのに・・・

 

その結果だけを見てしまい・・・

 

「私が悪いから」「私がこんなだから」

「私が出来ないから」「私が至らないばっかりに・・・」と、

 

全部を自分の責任だと感じてしまう。

 

理由があって、原因があって、経緯がある。それなのに・・・

 

全部を自分のせいにしてしまう。

その積み重ねで、自信を無くしてしまう。

自分の大切なモノを大切に出来なくなってしまう。

 

その先にあるのは・・・

自分を否定して、自己嫌悪に陥って、自分が嫌いになって、

自分のことも、他のなにかのことも、大切に出来なくなってしまう。

人との繋がりが怖くなって、素直な自分を探すことも出来なくて、自分のことを見たくなくなってしまう。

 

何事も、自分のせいにすることは大切かもしれない。

でも、本当に大切なことは、自分のせいにする前に、

その原因や理由、そして自分の気持ちをしっかり見つめて、

その原因や理由とちゃんと向き合うことで、自分の気持ちを整理して、自分の気持ちとも向き合っていくことだと、

私は感じている。

 

「秩序」は優しい顔をして近づいてくる。
「正しさのため」「みんなのため」――そんな言葉で包まれて。

ルールや規範やモラルや道徳や共感圧力たちが私達の周りを取り囲む。

 

でも、その内側にあるのは、沈黙の強要と、思考停止のご褒美じゃないだろうか。
私は「いい人」でいるために、どれだけ自分の違和感を飲み込んできただろう。

 

普通が良い、当たり前が良い、みんなと同じでないと・・・私の思いも夢も感情も全部の蓋をする。

 

だからこそ言いたい。
哲学は、もともと“秩序への抵抗”から生まれたのだと。

 

秩序は常に誰かに甘く、弱者に辛い

 

 

  秩序を皮肉った先人たち~

 

「吟味されない生は、生きるに値しない」
――ソクラテス

 

「事実というものは存在しない。あるのは解釈だけだ」
――ニーチェ

 

「存在は忘却されている」
――ハイデガー

 

  秩序はなぜ甘いのか

 

秩序は、私たちの不安を静かに丸め込む。
「それが普通」と言われると、反論する自分が悪い人のように思えてしまう。

 

学校でも職場でも、“空気を読む”ことが万能通貨になっていて、疑問はノイズとして処理される。
でも、疑問こそが“生きている”ことの証だ。


疑うことは、敵意ではなく呼吸の仕方なのに、私たちはいつからか、それを「悪」と呼ぶようになった。

秩序が甘いのは、考えなくても安心できるからだ。

 

管理する側・順応できる人・疲れて思考を放棄したい人・観客でいたい人たち

そんな人の意志を縛る側と、自分の意思を放棄したい人に、秩序って言う拘束はとても甘美なぬるま湯になる。

 

 考察

「なぜ甘いのか」の心理・・・4つのメカニズム

  1. 不確実性嫌悪:分からないより、間違っていても決まっているほうが楽

  2. 同調の報酬:仲間外れの痛みを避ける、承認の小さな“ドーパミン”

  3. 損失回避:失敗したら自分のせい、というリスクを下げられる

  4. 思考コスト回避:意思決定の疲労からの一時避難所

「多数が信じることは、真理の証拠ではない」・・・ニーチェ
それでも私たちは、“信じられていること”を・・・つい甘く感じてしまう

 

そして、その安心は「誰のための秩序か?」という問いを奪っていく。

 

  三人の「秩序破壊」講座(やさしい解説付き)

 

ソクラテス ― アテナイの秩序を壊す

何をしたのか。
ただ街角で、「それって本当に善なの?」と問い続けただけ。

 

なぜ抵抗だったのか。
常識は「みんなそう言ってる」に寄りかかる。
ソクラテスは「あなたはどう考える?」と、個人を呼び戻した。

 

今の私たちへ。
「いいねの数」より「自分の理由」。
それを声に出す練習をしよう。

 

ニーチェ ― 道徳の秩序を壊す

何をしたのか。
“善悪”という神話を引きはがし、「誰が得をする善なのか?」と暴いた。

 

なぜ抵抗だったのか。
“優しい暴力”ほど、残酷なものはない。
「善」を装う同調圧力に対して、彼は「私は私の価値を創る」と言い放った。

 

今の私たちへ。
“優しさ”に隠れた支配を疑おう。
親切な言葉が、呼吸を奪っていく瞬間があることを、私たちはもう知っている。

 

ハイデガー ― 存在の秩序を壊す

何をしたのか。
便利と効率に飲み込まれ、“在る”ことを忘れた私たちに、「いま、ここ」を叩き返した。

 

なぜ抵抗だったのか
世界を「役に立つかどうか」で測り続けると、私自身が取引可能な部品になる。

 

今の私たちへ。

成果も改善も大事だけれど、“ただ在る”時間を、奪われたままにしないでほしい。
ハイデガーの問いは、「人間を“使われる存在”ではなく、“在る存在”に戻す」ための哲学だった。

 

  皮肉で言えば、秩序は“やさしい監獄”

 

ルールを守れば褒められ、疑問を口にすれば「扱いづらい人」になる。
「迷惑をかけないで」が合言葉。
でも、本当に迷惑なのは、考えることをやめさせる圧力じゃないだろうか。

「みんなが幸せに」と言いながら、一人ずつ声を失わせていく社会。
それを“幸福”と呼んでいいのだろうか。

 

「多数が信じることは、真理の証拠にはならない」
――ニーチェ(意訳)

 

秩序が甘いのは、それを信じるほど楽だからだ。
だが、その“楽”が続くほど、人は“自分の感覚”を失っていく。

 

少なくとも私は秩序が甘美なモノには感じられない。

私の自由を奪われているような、強制された孤独のような、弱者を当然と切り分けるような、集団に馴染めず、居場所を探せないような・・・そんな私は常に秩序の外に居るような疎外感を拭えない。

 

  それでも私は、秩序をまるごと否定しない

 

秩序は必要だ。
道路標識も、避難経路も、社会を守るための最低限の枠組みとして。


だが、“生き方”まで指示されると、心は空室になる。

だから私は選ぶ。

  1. 使うための秩序 ― 道具としてのルール。

  2. 壊すための問い ― 自分を守るための疑問。

  3. 創るための価値 ― 「私の理由」で決める日常。

哲学は、暴くための武器ではない。
生き延びるための“呼吸法”だ。

 

だから私は・・・甘さを嫌わない・・・けれど・・・甘さで眠らない・・・

 

  小さな抵抗から始めたい

私は、頑張るって言う言葉が嫌いだ。

「頑張れ」って言う言葉が嫌いだ。

頑張った先にあるのは何だろうか?

 

頑張って得られた成果があれば最高に素敵なコトだろう。

でも、頑張っても、頑張っても、頑張っても、成果が得られなかったら?

 

きっと、自分を責めることになるだろうから・・・

「どうしてできないんだ?」「私はダメな奴なんだ」「私は出来ない存在だ」

自分を責めて、嫌いになって、否定して、自分を止めたくなってしまう・・・

 

そして、社会と秩序は常に「頑張り」を求めてくる。

成果を要求して、結果を評価して、価値を付けてくる。

私はそんな秩序を簡単に飲み込めるほど、人間が出来ていない。

だから、ほんの少しの皮肉と秩序に傷つけられた自分を癒す抵抗を捨てたくない。

 

・「なぜ?」を一回だけ増やす。頼まれごとにも、善意にも。

・“私はこう思う”を一行だけ書く。メモでも、独り言でもいい、感じたいのは私の思いだ。

・「在る時間:何もしない時間」をつくる。

 

成果ゼロでいい、どうせ何も見つかりなんてしない。

でも、その無駄が最高に秩序を皮肉っていると私は思う。

 

問いは、世界を壊さない。
むしろ、世界を“やさしく更新”する。

 シンプルフレーズの哲学

 

「秩序は安心の代名詞。でも、生の代用ではない。
哲学は敵意ではなく、回復の技法だ。
抵抗とは、私の“在る”を、私の手に戻すこと。」

 

ソクラテスが問いを返し、ニーチェが価値を疑い、ハイデガーが“在り方”を呼び戻した。
その線上に、私の今日がある。

“いい人”の仮面で息切れしているなら、少しだけ外してみよう。
秩序に寄りかかるのではなく、秩序を「使う」側に立つ。
それだけで、呼吸が戻ってくる。

 

何度も何度も・・・同じ場所でウロウロしてる。

勇気を持って先に進みたい。

見えない世界に、見えない未来に挑戦したい。

言うのは簡単さ・・・

 

後悔の良さと執着の大切さと

勇気の重さに振り回されているのも・・・

後悔で人は変わる

後悔って、悪いことだけじゃないと思うんだ・・・
だって、後悔しなきゃ、反省も、成長も、変化も起こらない。


あの時の選択が間違っていたって気づくこと。
それが、次の自分を作るきっかけになる。

だから、私は何度も後悔してきた。


人との距離の取り方も、
言葉の選び方も、
チャンスを逃した瞬間も。

全部、後悔でできている。後悔が続いている・・・
後悔で、私は変わってきた・・・つもりだけど、まだまだ変われない・・・・

 

  💭でも、後悔に縛られると勇気が動けなくなる

 

だけど・・・
後悔に執着すると、動けなくなる。

「あの時みたいになったらどうしよう」
「また同じ失敗を繰り返すかも」

そんな記憶が、足首に絡みついて離れない。


勇気を出そうとするたび、
「前にも失敗したでしょ?」って声が聞こえる。

後悔って、本当は過去の出来事なのに、
なぜか“未来の恐怖”になっていく。


その矛盾の中で、私はいつも立ち止まってしまう。

 

  🪞後悔に縛られている方が、生きやすい

 

挑戦しないって、
新しい後悔を生まない方法なのかもしれない。

 

安全な場所にいれば、
誰も傷つけないし、傷つかない。
誰にも迷惑をかけないし、期待もされない。

 

それは、弱い私の生存戦略。
勇気を持たないことで、自分を守る術。

変われないのは、怠けているんじゃない。
「これ以上、壊れたくない」っていう、
心の防衛反応なんだと思う。

 

でも・・・
現状に不満があるのも、事実だ。

 

  ✍️詩:葛藤の中で

 

後悔で人は変わる。
でも、後悔に執着すると勇気が縛られる。

 

変わりたい。
けれど、また傷つくのは怖い。

 

安全に生きたい。
けれど、このまま終わるのも怖い。

 

後悔に縛られている方が、
生きやすいと知ってしまった。

 

だけどそれは、生きているとは言えない気もする。

 

変わることを恐れて、
変われないままの私が、
今もここにいる。

 

  💬引用の考察

 

ニーチェは言った。

 

「希望は最大の苦悩を長引かせる。」

 

希望を持つから、苦しむ。
勇気を出そうとするから、怖くなる。
それでも希望を手放せないのが、人間の矛盾。

 

たぶん私も、
この“矛盾”という名の十字架も・・・背負って生きている。

  🔚

 

後悔と希望の間で揺れて、
勇気と恐れのあいだで止まって、
それでも、明日が来る。

私は変われないまま、
変わりたいと思っている。

その矛盾が苦しくて、
でも、少しだけ愛おしい。

答えなんていらない。
この葛藤こそが、私の“今”だから。

私も、嫌いな人の一人や二人いる

苦手な人の三人や四人もいる

 

絶対、仲良くなれない人もいるし

二度と会いたいくない人なんて、片手じゃ足りない・・・

 

でも、気にしない!

 

だって、私とその人は違う道を進む人だから

 

 

嫌いな人・苦手な人の事を考える時間がもったいない

嫌いな人の事を考えて、夜も眠れなくなる?

ただでさえ、なかなか寝付けない時にその思考は本当に辛い・・・

 

苦手な人に会いたくないって、学校や仕事が行きたくない?

学校も仕事も、行くだけで大変で、行っても大変なのに、そんな人の事を想ったらさらに辛い・・・

 

よくあること・・・。

それが本当に私達にとって無意味なコトなんだろうと思うけど、でも・・・それに左右されて縛られている私達

少し・・・楽しくないと思うよ

 

でも、そんなもんなのかもしれない・・・

 

だから、私は割り切って、忘れるんじゃなくその熱量を違うところに向けて見る。

 

 

  誰かのことを想うなら、大切な存在のコトを考えるようにしたよ

 

苦手な人、嫌いな人の一人や二人・・・?数えきれないくらい、そんな人たちとは出会いと別れを繰り返してる。

 

苦手な人対策を考えて、乗り越えて克服できるように頑張っちゃう!

嫌いな人と関わらないように、方法を探して合わないように頑張っちゃう!

 

よくある事・・・

でも、実際にはどうしようもない。

顔を合わせるから、苦手だって感じるし、嫌いって思うようになる。

それを何とかしようとしても、どうしようもない。

 

だって、無理なモノは無理なんだもの。

私の何かが言っているんだろう・・・ダメだって💦無理だって💦

 

どうしようもないことを考えても、答えは出ないし解決しない

だったら?

どうせなら?

 

好きな人、大切な人の事を考える時間にしたら良いんじゃないかな?

マイナスな感情が人の感情の中でも、強いモノなのはとても良く分かる。

だから、そのマイナスの感情をそのまま好きな相手に向けられたら、すごく強い気持ちで大切に出来るようになるんじゃないだろうか?

 

マイナスの感情が生きる糧になることもあるだろう

でも、それを大切なモノを見つけて、大切にする為に使えたら・・・っていうのは、ただの理想論なのかな?

それでも私は、素敵な方を選びたいって感じてます。

 

  限りある時間を有効に使う?それも自由なのよね

 

何に自分の時間を使うかは、その人次第・・・

 

嫌いな人の事を考えて、見返してやろう?って時間を使う?

見返すために、自分を磨いたり、今までより良くなる為の努力をして、自分を輝かせるようにする。

それも素敵な時間の使い方ですね。

 

大切に感じるモノを探しに行く、まだ知らない世界を探しに行く?

今までの自分の現実では出会えなかった大切に思える存在。を、求めて時間を使う?

人生が変わるかもしれない出会いが出来るかもしれない。

それも素敵な時間の使い方じゃないですか?

 

なにに自分の大切な時間を使うかは、その人次第。

 

だから、何を想って、誰のコトを考えても大丈夫だろう。

それが、一つの選択なんだから。

 

でも、どうせなら・・・・

自分が輝けるようになる、輝かせる方法を探すために時間を使えたら素敵だろう。

苦手な人や嫌いな人の事を考えても、正直どうしようもない。

でも、悔しい、悲しいっていうどうしようもない感情があるのもとても分かる。

だからこそ、見返したいって思う時もあるだろうし、

何かで勝ちたいっていう気持ちになるのも良く分かる。

その気持ちがある事で前に進めて、輝くきっかけになるのならとても素敵なコトだろう!

 

同じ時間を使うなら、

好きな人、大切な人を想う時間に使うのもありだと私は感じている。

大切なモノを大切にする方法が、同じ時間を共有することだとしたら、

他のことを考えている時間ももったいない。

より多くの時間を使えるように試行錯誤をするのも素敵だと感じてる!

 

苦手な人も嫌いな人も、自分から関わらなかったら別々の道に進んで行くことになるだろう・・・

ずっと、一緒に同じ道を進んで行くなんて、稀なコト

むしろ、無理だと思った時点で、同じ道にはならないから。

自分の道と、相手の道が同じになることなんてほとんどない

 

だって、その人の目指すものと、私達が目指すものは違うから。

目的地が違うのに、同じ道を進むはずがない。たまたま道が重なって、交わって、すれ違っただけのコト。

その瞬間には、それが全てで、世界はそこにしかないから

視野も狭くて、苦しみの渦中にしか会かも知れない。

でも、それはたまたま道が交わっただけのコト。

 

私達は、迷わず自分の道を進めば良いだけのコト。

私の道は、大切なモノを大切にする方法を探して、大切にしていきたいって思うだけ。

自分の好きなコト、自分の想いのままに生きてみて・・・

その先で、誰かの幸せが交わったら素敵だと感じている。

自分の道を進むときに、苦手な人や嫌いな人に時間を使うのはもったいない。

好きな人や大切な人に時間を使えたら素敵だろうし

自分を輝かせる為に使えたらとっても素敵

 

自由に自分の時間を使って、自分を輝かせることが出来たら、それが素晴らしい

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私の趣味は神社巡り・・・

色々行くけど、どこも同じに見える。

でも、どこも違うからとても楽しい!

 

今では、神社の由緒や御祭神や信仰って言うモノより、観光地としての需要が高い。

それが悪いわけじゃない。

神社に人が集まるのは、私はとても嬉しいから

 

ただ、神社側が観光地化を推進して、やたらと多い分社や摂社や末社・・・

そんなに居るのか?って思うほどのおみくじに札にお守り・・・

 

悪いわけじゃない。でも、ただの商売になってしまっているのは・・・

なんとなく寂しい

 

真清田神社/国府宮/津島神社
青空の下、御朱印片手に「今日は自分へのご褒美デー!」🤍

神社の中で休める場所があると本当に嬉しい。

今回逝った場所には、ベンチがあったのは・・・


真清田神社だけだった。多分、私が見つけられなかっただけ・・・

 

どこも、大きな神社だから人も多い、ゆっくりできるか?って言われたら、そんな雰囲気もないくらいの11月。

それでもいいんだ!神様のことが好きなだけだから。神社が好きなだけだから。

その時々の雰囲気があるから、それも好きな理由かもしれないな~

 



  🍁秋晴れとともに神社めぐりスタート!

 

季節が変わると、同じ参道でも足音が違う。
夏の熱気が落ち着いて、空が高くて、風がやさしい。
そんな秋の尾張を、今日は気ままに三社めぐり。
そしてもちろん…御朱印をもらって大満足!✨

 

「ご利益もいいけど、記念に残るトロフィー感がたまらない!」

 

私の場合、どこの神社で何を願うか?とかそういうのは無いのだよ。

願いはいつも同じだし、感謝もいつも同じなんだ。

 

神社って良いよね!って思うのだよ!私はね!

 

  ⛩️一宮・真清田神社

御祭神:天火明命(あめのほあかりのみこと)

 



朝いちばん、参道の空気がまっすぐで気持ちいい。
七五三の子どもたちが可愛くて、自然と笑顔になる。
拝殿前で深呼吸したら、気持ちまでシャキッと整う。

📍アクセス:名鉄一宮 or JR尾張一宮駅からすぐ
🎁御朱印:力強い筆致で「真清田大神」!気持ちまで凛とする一枚。

 

「姿勢を正すって、心の掃除みたいだなぁ」

 



もう境内に神社多過ぎ・・・回るだけで大変💦

いいのよ?ご利益いっぱい的な?今はやりのあれでしょ?オールインワン?

 

  🪶国府宮(尾張大國霊神社)

御祭神:尾張大國霊神(おわりおおくにたまのかみ)
はだか祭りの神社だよ!

 



大きな楼門と赤い提灯がどーん!
空の青と木の影のコントラストが最高。
ここでは「力」と「やさしさ」が共存している感じ。

📍アクセス:名鉄国府宮駅から徒歩すぐ
🎁御朱印:どっしりとした字が印象的。まさに“男前”なデザイン。

 

「祈りって、前向きなリセットボタンかもしれない。」

 



参道が広くて気持ちいいね!お祭りや年始にはきっと屋台が並ぶんだろうな!

でも、今の時期にはベンチがあったら私は嬉しいよ!あの空間で楽しむ秋の空~最高じゃないか?

 

  🌅津島神社

主神:建速須佐之男命

 



夕方の鳥居が赤く光る時間にぴったり到着。
夕日と朱色のコラボがもう絶景!
家族で七五三詣りしている姿にほっこり。

📍アクセス:名鉄津島線・津島駅から徒歩圏
🎁御朱印:美しい墨の流れにうっとり。今日の締めくくりにぴったり。

 

「願いは“叶える”より、“整える”が先。」

 



以前は家族で行ったかな・・・キツネが追いかけてくるって子供たちが騒いでたのが思い出だよ。

そして、以前はスルーしてしまった(知らなかった)池?公園?あそこは最高だね。

近所にあったら毎日行きたいね!

  💡おまけ:秋の神社めぐりTips

  • 歩きやすい靴+小さめバッグで軽やかに

  • 御朱印帳は忘れずに!御朱印帳に描いて貰うのが私の流儀!

  • 神社の参拝は、午前中が理想!しかし、起きれないから仕方ない!

  • 七五三シーズンは笑顔いっぱいの幸せ空気に包まれる♪ついでに露店があるからたまらん!

  • 愛知の紅葉はまだ先のようだ・・・イチョウもまだまだ青い葉をつけていた。

  💬今日のご褒美フレーズ

 


「御朱印は、心のアルバム!旅行のトロフィー!」
ページをめくるたびに、あの日の空気が蘇る。
一人で行っても、時間の流れの素敵さを感じられる。

 

“神社めぐり=自分の心を整える小旅行”
そんな秋の日に、ありがとう。