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シンプルフレーズの書籍がAmazonにて発売です!

 

「ありのままの自分」で、生きられていますか?

 

頑張らなくても
無理をしなくても
ちゃんと生きてる それだけでいい

私は、私でいい
私は、私でしかない

だから今日も
不安を抱えたまま
それでも笑って 歩いていく


「自分の気持ちを見つめる方法」がある・・・

 

 

  不安と心配は捨てなくていい

 

「不安も心配も撲滅する対象ではなく、共に生きる証。
ありのままの自分を見失わないことこそ、最大の自由である。」

 

不安は消そうとすれば増える。
だから、握りしめたまま進めばいい。
“私は私でいい”という言葉は、矛盾だらけの日常で、あなたが生き抜く最小にして最大の魔法です。

 

  これは私の物語・・・

 

簡単な人生だ

生きているから生きているだけ・・・

積み重ねるのは経験か?それとも後悔か?

 

私は経験と後悔は同じだと感じてる。

 

だって、今の私がるのは経験したから・・・ほんの少しの経験とほんの少しの後悔とほんの少しの人生ってやつを

 

書き始めた時は、自分を正当化するため

自分を否定しない為に始めた物語

でも、いつのまにか否定が日常になって、日常が習慣になって、習慣が私を作っていった

 

矛盾と葛藤と、そこから感じた言葉がここにある

 

でも・・・これは私の始まりの物語・・・

きっとこれから先も続く物語の幕間の気持ちの積み重ね

 

  私は私にしか成れない

 

持てる分は両手に持てる分だけ

右手に1つ 左手に1つ

私達には両の手しか無いから・・・2つしか持てない

 

出来る事しか出来ないんだ

頑張ったって、出来ない事は出来ない

無理して頑張って手に入る何か?と、無理して頑張って背負う苦しみ・・・

どっちが良いかなんて分からない。

 

だから・・・

私は選ぶんだ。自分の大切と・・・大切な何かの大切・・・

その2つを持って、その2つの為に出来ることをする。

 

私は私以上の何かには成れないし、私以外の何かにも成れない

だから選ぶしかない。

 

  大丈夫って無責任?

 

大丈夫?

って聞かれたら、「大丈夫」って答える。

 

大丈夫!

って言われたら、もうその先は手を貸せない。

 

そんなコトは分かってる。無責任だって私だって感じてる。

でも・・・他の言葉を知らないし、他に出来ることも言えることもない。

 

そして、私は言ってしまう「大丈夫?」って、「大丈夫!」って

 

なんでか?って?

それは、人は誰にも助けられないし、誰も助けてくれないって知ったから。

自分のコトは、自分が助けて、支えて、押し出してあげないとダメなんだ。

だから伝えたい・・・

 

「大丈夫」

  special thanks

制作協力

挿絵・表紙 スナック園芸

似顔絵   三木響

ギャラクシー出版







◆ペルソナとは?

ペルソナは、心理学者ユングが使った言葉で、もともとは「仮面」という意味。
簡単に言うと――

「社会で生きるためにかぶる、自分の外側の顔」

 

ペルソナは悪いものではなく、社会で人と関わるためには必要なもの。
でも、仮面ばかりに頼りすぎると――
「本当の自分を否定してしまう危険」があるんです。

 

「ペルソナ=社会で生きるための仮面。でも、仮面の下の自分を忘れないことが大事。」

不自由でも謳歌できる人生へ

 

  ◆不自由の中で生きる私たち

 

七夕の短冊に「世界平和」と書く人。
本当はアニメや漫画の話をしたいのに、場がしらけるのを恐れて話題を変える人。
野球もサッカーも興味ないのに、「昨日の試合見た?」と盛り上がる会話に無理に合わせる人。

きっと誰もが経験したことがあるはずです。
「自分を隠す」という行為は、特別なものではなく、日常の中に溶け込んでいます。

「不自由は、私たちが呼吸する空気のように、当たり前に存在している。」

 

  ◆現状維持のためのペルソナ

 

スマホの壁紙をオシャレなブランド品にしている。
本当は誘いたいのに、食事に誘えない。
声をかけたいのに、気にしていることを伝えられない。
告白したいのに、できない。

これらの小さな不自由は、すべて「これ以上悪くならないように」という自己保身の選択です。
人からどう思われるか、嫌われないか、否定されないか――そればかりが気になる。

「現状維持とは、勇気を出すよりも、安心を優先した選択の名前だ。」

 

  ◆自己否定というもう一つの仮面

 

歌が好きなのに、カラオケの点数が悪いから歌えない。
体を動かしたいのに、変な動きだと笑われるから控える。
本当は自分らしく生きたいのに、「無理だから」「どうせ笑われるから」と言い訳を先に作ってしまう。

ペルソナは「守る仮面」であると同時に、「否定する仮面」にもなっている。

 

「隠すことは防衛だが、否定することは自傷だ。」

そして多くの人は、この「自傷のペルソナ」を身につけながら生きているのです。

 

  ◆不満と我慢の正体

 

不満がある。
我慢もしている。
それでも言えない、動けない、変われない。

なぜか?
それは「これ以上悪くなりたくない」から。


未知数の希望よりも、確実に予想できる最悪を恐れるから。

「希望は不確実だが、不安は確実に想像できる。」

だから私たちは、あえて我慢を選ぶのです。

  ◆それでも十分なんだ

 

ここで伝えたいのは、とてもシンプルなこと。
**「不満や我慢は、すべて自分を守るために選んだこと」**だということです。

誰かに合わせて笑っている自分も、黙ってやり過ごす自分も、すべて「自分のために」やっている。
それは決して間違いじゃない。


むしろ、あなたがあなたを生き延びさせてきた証拠です。

「我慢は弱さではない。自分を守り抜いた強さの記録だ。」

 

  ◆不自由でも謳歌できる人生

 

もちろん、不自由は消えないし、不満も残るでしょう。
でも、不自由でも「自分の大切な想い」さえ忘れなければ、それで十分なのです。

不満があっても、我慢があっても。


「今の自分を守るために選んだこと」が、あなたの人生そのもの。
それを否定する必要なんて、どこにもない。

「人生は自由でなくても、謳歌することはできる。」

 ◆シンプルフレーズ

 

あなたがしてきた我慢も、選んできた妥協も、全部「自分を守るための愛」なんです。
だから大丈夫。
その選択は必要で、正しい。
不自由の中でも、あなたはあなたの人生を確かに生きているのです。





🤗シンプルフレーズのお部屋へようこそ✨

いつもシンプルフレーズをご覧いただきありがとうございます。
シンプルフレーズのYouTubeが新しくなって楽しく面白くなります!


哲学を魔法に!世界を彩る言葉に!

読んで、学ぶと難しいって思ってしまう哲学の世界
でも、実際はとっても身近な楽しい世界


これを機会に是非触れ合って欲しいと思います🤭

 

動画のご紹介

いつもご覧いただきありがとうございます。

 

シンプルフレーズのyou tube新しい動画上がりました。

 

『ニーチェ「神は死んだ」分かり易い哲学入門!』

 

シンプルフレーズ

 

 

 

 

「神は死んだ」——この言葉を聞いたことがあっても、その本当の意味を知っている人は意外と少ないのではないでしょうか。
この動画では、ニーチェが残した最も有名でありながら、誤解されがちな哲学のフレーズを、日常に結びつけながら分かりやすく解説しています。

宗教の終焉? 道徳の崩壊? それとも新しい価値の創造?
「神は死んだ」という言葉の裏には、ニーチェが見抜いた 近代社会の弱さと人間の可能性 が隠されています。

  • ただの難解な哲学用語ではなく、私たちの日常にどう関わるのか

  • 「神なき時代」をどう生き抜くのか

  • 自分自身の価値をどう築くのか

を、やさしい語り口でひも解きます。

「哲学なんて難しい」と敬遠していた人も、「あ、これは私の話だ」と感じられるはず。
ちょっとした人生の悩みや生きづらさが、ニーチェの言葉を通して見えてくる……そんな時間をお届けします。

 

こんな人におすすめ

 

  • 哲学に興味はあるけど難解な本は読めない

  • 「神は死んだ」という言葉の意味を知りたい

  • 生きる意味や価値について迷っている

  • ちょっと深い話を日常に取り入れたい

 

▶ 一歩踏み出してみませんか?
あなた自身の「哲学の扉」を、ニーチェと一緒に開いてみましょう。

 

 

・・・・・・・

 

ご挨拶

シンプルフレーズは、素敵な言葉とあなたを元気にするメッセージを探します😌

何が正しいかより、なにが素敵かを大切にして生きて行けたら、 それがきっと一番だと信じてる。

 

合言葉!

 大丈夫!

大丈夫?

 

受け身じゃない、

私から伝えたい「大丈夫」

 

あなたの幸せを願います。

『幸せになれ~💕』

 

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私の言葉は、正しいかどうかじゃなく

私は私の感じた思いをそのままに表現して伝えています。

 

だれかと共感できるかは分からない。

でも、もしどこかで誰かの心に響いたら嬉しいって感じます✨

 

 

「そんなつもりじゃなかったのに」
「冗談のつもりだったのに」
「ちょっとした一言のつもりだったのに」

気づけば誰かを傷つけていた。
そんな経験、ありませんか?

私にはあります。
そしてその瞬間に思うんです。
「あぁ、やっぱり私は人に寄り添えないんだ」って。

人に寄り添えない孤独と、変われない私

 

  ◆些細な一言が、誰かを傷つける時

 

ほんの小さな言葉が、相手にとっては鋭い刃になる。
自分では気づかないまま、誰かの心に深い傷を残してしまう。

それを知ったとき、私に残される選択肢は「離れること」しかない。
もう二度と傷つけたくないから。
怖いから。

 

  ◆「変われるなら変わりたい」

 

もちろん思います。
「変われるなら変わりたい」って。

優しくありたいし、誰かと自然に寄り添える自分になりたい。
でも本質は変わらない。
どれだけ努力しても、同じ過ちを繰り返してしまう。

そのたびに自分に嫌気がさして、
「やっぱり私はダメなんだ」って突きつけられるんです。

  ◆孤独は逃げじゃない

 

だから私は一人でいることを選びます。
孤独は、私にとっての逃げじゃない。
お互いを守るための唯一の救いなんです。

私と関わることで傷つく誰かを守るために。
そして、また傷つけてしまう自分から、自分自身を守るために。

 

  ◆それでも人を求めてしまう矛盾

 

けれど、本当は人を求めてしまう。
近づきたい、分かり合いたい、寄り添いたい。
その願いをどうしても手放せない。

だからこそ怖いんです。
矛盾する自分が。


「誰かと一緒にいたい」と願いながら、「誰とも一緒にいられない」と思ってしまう。

 

  ◆同じ思いを抱く

 

変わりたいのに変われない。
人を求めながら、人を遠ざけてしまう。
その繰り返しの中で、孤独に救いを求めてしまう。

でも、私は知っています。
「一人でいることも、優しさなんだ」ということを。

もし、あなたも同じように感じているなら、
どうかその孤独を恥じないでほしい。
それは弱さではなく、誰かを守ろうとする強さかもしれないから。

 ◆シンプルフレーズ

「孤独は罰じゃない。寄り添えない私が選んだ、私の最後の優しさだ。」






気づけば、私たちは毎日いくつもの顔を持って生きています。
仕事用の顔、家庭用の顔、SNSで見せる顔。
「素直でいたい」「本当の自分でいたい」と思いながらも、
そのままでは傷ついたり、居場所を失ったりするのが現実です。

 

だからこそ、人は仮面をかぶる。
匿名に隠れる。
アバターの姿を借りて、別の自分を生きる。
それは決して逃げではなく、人が人として生きるための方法なのだと思います。

仮面・匿名・アバターの意味

 

  ◆居場所のない苦しさ

 

「本当の自分でいたい」と願っても、社会はそんな素顔を許してくれません。

上司の言葉に笑顔で頷く。社会人の常識で、普通で当たり前・・・

家で自由にしたいと思っても、近所との繋がりに笑顔で答え・・・

ママとも?パパ同士の繋がり?笑顔で対応。

SNS?Xにインスタに、笑顔のキラキラだけまとめてUPする。

アバターで新しい自分を演じて、笑って歌って楽しんで

どれも私ではあるけれど、どれも“私の一部”でしかない。

居場所がないと感じるとき、人は息が詰まるように苦しくなります。
けれど、この苦しさは私一人だけのものではなく、誰もが抱えている共通の体験ではないでしょうか。

 

そして、一人になった時にため息。

 

「今日も頑張った」

「明日も良い日になりますように」

 

本音なんて忘れたよ。私は演じた私しかいないから・・・。

  ◆仮面は生きるための装備

仮面・・・それは他人に合わせるための笑顔

仮面・・・合わせる他人に合わせた笑顔

いくつもある。友人用。他人用。会社用。上司用。家族用。

仮面・・・自分を偽るわけじゃない。私を守るんだ。

 

他人の評価に怯える私は、上手く取り繕って、それなりの笑顔で、嫌われない私で・・・

 

「仮面をかぶることは嘘ではない」
これは、私がずっと感じていることです。

アリストテレスは「人は繰り返しによってつくられる。優秀さとは行為ではなく習慣である」と言いました。
ならば、毎日の仮面もまた「習慣」であり、私の一部になっている。


本当の顔を出せなくても、それは「偽り」ではなく「生きるための装備」なのです。

 

  ◆匿名はやり直すための魔法

 

現実では、一度言葉にしたことは取り消せません。
過去の失敗も、誤解された一言も、ずっと背負わされる。

しかし匿名なら、昨日の自分を否定し、今日の自分を言い直すことができる。
 

別の匿名が助けてくれる。別の匿名が否定してくれる。

別の匿名が補足して、別の匿名が盛り上げて、何なら拡散してくれる。

 

全部、私の匿名かも知れない。全部誰かの匿名かも知れない。

誰も見付けてくれないかもしれないが、誰かが見つけてくれるかもしれない。

 

そこには“やり直しの余白”があります。
ニーチェは「人間は過去を再解釈する存在である」と語りました。
匿名の力はまさに、この“再解釈”を可能にする仕組みだと思うのです。

 

  ◆アバターはもう一人の私

もっと、こうなりたい!

もし、こんな力があれば!これが出来たなら!

夢見る時はいつも自由だ。なりたい自分なんて、向こう側にしかない。

 

チヤホヤされたい。

愚痴や不満を聞いて欲しいし、相談だってしたい。

なにより、私の・・・私が大好きなモノを見て欲しい。

 

私が今まで見て来た、私が知っているこれを、他の誰かにも見て欲しいし

一緒に楽しみたい。私の良いトコロも、悪いトコロも、全部まとめて、私じゃない存在が私の代わりに表現してくれる。

そんな居場所があったら、自由に羽ばたけるって思っても良いじゃないか。

 

仮想空間やアバターの活動は、現実にはない自由を与えてくれます。
ゲームの中で、配信の中で、理想の自分を生きる。


それは妄想や幻想の産物かもしれません。
けれど、現実で折れた翼をもう一度広げてくれるのは、アバターの私なのです。

ボードリヤールは「シミュラークルは現実以上に現実を支配する」と言いました。
アバターが生む「もう一つの私」は、もはや幻想ではなく、現実の生を支える柱です。

 

  ◆値札で終わる哲学

 

現実社会では、すべてに値札が貼られます。
「給与はこれ」「査定はこれ」「あなたの価値はフォロワー数で」
値札が付いた瞬間に、論争も問いもすべて打ち切られる。

 

けれど、それは「哲学が終わる」ということではありません。
終わるのは「哲学を行使できる場所」のほうです。


哲学は、値札社会では使えない道具にされ、意味を剥ぎ取られる。

だからこそ私たちは、仮面の下で、匿名の影で、アバターの世界で、
別の場所に哲学を活かす必要があるのです。

 

  ◆私たちの意味と価値は一つじゃない

 

ここで私がたどり着いた結論はシンプルです。

  • 意味と価値は一つじゃない。

  • 一つの居場所で与えられる意味や価値は、時に値札かもしれない。

  • だからこそ、それ以外の場所で、自分の意味と価値を選び取れる。

誰にも見つけられなくても、認められなくてもいい。
トイレの中でも、お風呂の中でも、妄想や幻想の中でも。
自分の居場所を選んで、意味と価値を生み出すことこそが、生きるということだ。

  ◆私の言葉でまとめると

 

アバターも仮面も匿名も、逃げ道なんかじゃない。
全部、生きる場所をつくるための装備だ。

 

値札で哲学が終わるんじゃない。

哲学を使える場所を失うだけだ。
だから私たちは、自分に合った世界で、自分に合った習慣を選び取り、
そこで自分の意味と価値を見出せばいい。

それは、誰に認められなくても確かに存在する。
そしてそれこそが、私が信じる「生きるということ」なのです。

 ◆あなたへ

きっと、あなたもそうじゃないですか?


「仮面をかぶる自分」「匿名で吐き出す自分」「アバターで羽ばたく自分」


その全部があなたの一部であり、あなたが生き抜くための力なのです。

だから、どうか責めないでください。
あなたはもう、ちゃんと“生きる場所”をつくっているのだから。