一杯のための雑談…【Simple Minds】って何でしょう? -9ページ目

一杯のための雑談…【Simple Minds】って何でしょう?

波乱万丈の人生に少し疲れたかな。

えっ?本当なの?

悲しいよ。本当に悲しいよ…
トム・ペティ、本当に死んじゃったの?
涙…涙…涙…涙…
嘘でしょ?
まだ、貴方の順番じゃないよ!
嘘でしょ?
びっくりし過ぎて、本当に吐きそうです。
 
80年代の洋楽ポップス・ファンの私。
その過去を語るに、なくてはならないアーティストの一人がトム・ペティ。
トム・ペティが死んだって?
嘘だよね?本当なの?
嫌だよ、信じないよ。
 
ナイスなバンド、トム・ペティ&ハートブレイカーズ。
絶対に忘れないよ。
ありがとう、トム・ペティ。
でも、やっぱり何で?
いかないでよ…
いかないでよ…
 
2017年10月2日、トム・ペティ、永眠。
 
A Wasted Life / Tom Petty & The Heartbreakers
(1982年、アルバム「Long After Dark」より)
洋楽好きとして立ち上げた私のブログ。
色々訳あって、今は苦しい子育ての近況ばかり。
今日は、久々に洋楽ネタ。
でも、バカな私に象徴される悲しい記事です。
 
70年代、80年代の洋楽を愛する人ならば、
エイジアの存在を知らない人はいないと思います。
デビューこそ1982年のバンド「エイジア」ですが、
メンバーは70年代に活躍していたベテラン揃い。
オヤジ・バンドでしたね。
個人的に、ヴォーカルのジョン・ウェットンは最高でした。
彼の声が好き。
少し枯れたようなのに、活き活きとした爽快感があり、
決して、癖や無理のない、自然体の発声が魅力でした。
 
今年の1月31日。亡くなられていたんですね。
バカですね~、私は。ちっとも知らなかった。
自身に問います。
「本当に洋楽好きなの?」「何やってんの!」
「日々の忙しさにかこつけて、個性失ってんじゃないの?」
もう、自虐のオンパレードです。
 
とにかく、何か、悲しいよ。
子育ても苦しい。仕事も大変。ジョン・ウェットンはもういない。
自分が生きている意味はあるの?
 
アハハ、大丈夫。私は自らは絶ちませんので。
でも、なぜだか涙が止まりません。
人前では絶対に泣かない、私は。
でも、書くだけならいいよね?
 
時は流れているんですね。
時は刻まれても、エイジアの当時のサウンドは今も不滅です。
今さらながら、
追悼…ジョン・ウェットン。
ありがとう、ジョン・ウェットン。
 
by  simple.m
 
Only Time Will Tell / ASIA (1982年・全米17位)
 
 
 
 
娘と向き合う日々。
毎日が不安と心配、そして何よりも自分への不甲斐なさを痛感します。
もはや一般常識では手に負えない対応が求められます。
 
私は保守的な人間です。
日本国の道徳、倫理観、(戦前)教育を、
今でも心から共鳴(きょうめい)しています。
でも私の娘は、それをことごとく、ぶち壊してきます。
だから、私も自分の常識を打開して、子育てには取り組んでいます。
 
人生は流転します。今だけで判断してはいけませんね。
私にとって今は、じっと我慢、我慢、我慢の時なんでしょう。
いつか、また心から笑える日が来る。
そう信じて進んでいきます。
 
どんな悩ます娘でも「ここにいる」事(= 「Here」が大事。
つらいけどね。
 
常識から逸脱した子育てをする私の味方は、ほとんどいません。
世の中が流転しても、私の孤軍という立ち位置は、やっぱり変わらないか(笑)。
でも、私は男だから大丈夫。日本男児だからね。
※「日本男児」を否定的に捉えているエセ評論家たち、ちゃんと勉強してください。
(アハハ、こうゆう議論になると、少し元気になります)
それに、神様は必ず見ていてくれるはずだから…
 
Here / The Dream Academy
アルバム「Remenbrance Days・1987年」より

私は忘れやすい性格。
きっとこの先、振り返ったとき結婚記念日を絶対忘れている。
そう危惧して、結婚式を自分の誕生日に設定しました。
20年前の話です。

※大訂正! 20年じゃない!!。22年じゃ!!!。
やっぱり忘れやすい性格は健在でした。
ホント、バカな私…6月26日、追記

今日は6月25日。私の誕生日。そして雨の日曜日。
普通なら、家族、夫婦一緒に、記念日を祝うのかな。
我が家は変則的な家族運営なので、
家族一緒の日曜日にはなりません。
本音を言えば、せめて女房とは一緒に過ごしたかった。
少しだけでも語り合いたかった。
今日は私たちにとって特別な日なんだから。

妻へ、ありがとう。

いや~、それにしても大変な年でした。
次女との関係において、とにかく大変な年でした。
つらい年でもありました。
でも、楽しい事もたくさんあった年でした。
何とかまた無事に年齢を重ねることができました。
神様、ありがとうございました。

これからも厳しい日々が続きます。
いいえ、刺激的でエキサイトな日々です…前向きに捉えないとね(笑)。
51歳。まだ無理ができる体です。
頑張るよ。

これからも、よろしくお願いします。

Scenes From An Itarian Restrant / Billy Joel 


毎日が戦い。そう書いた前回の記事。
早速、大きな事変が、その後に起きました。

中学3年の娘が、夜の8時過ぎに黙って外出。帰宅が夜の10時半過ぎ。
私は迷うことなく注意を促します。
勿論、大バトルへ。

娘:「もう、この家にはいたくない!」
父:「この家にいない選択は、もうできないんだよ」
  「それでも嫌なら出ていくしかないんだよ」
娘:「それじゃ、出てく」

「出ていけ」か…
私が、生まれて初めて発した言葉です。絶対に言わないと誓っていたのに。

そして、娘は出ていきました。
また家出です。夜の11時過ぎなのに。
私は止めませんでした。
そして、警察へ連絡。
周囲からは、「体を張ってでも止めるべきだ!」
そう責められました。

深夜2時、警察から連絡があり、隣駅の交番で補導したとのこと。
娘自ら、交番に出頭したようです。
警察署へ引き取りに行くも、彼女は帰宅を拒否。
最終手段として、児童相談所の一時預かりになりました。

児童相談所は県立ですが、かつて電話で相談した時の印象で言えば、
「県民のためには全く役に立たない」でした。
しかし、今回は違いました。

初めて知りました。
児童相談所での一時預かりは、
外出禁止、持ち込みも一切禁止。学校も行けず、勉強道具もない。
着替えはあり、規律的な生活を送り、面会は制限される。…まるで刑務所です。
虐待などの逃げ場(シェルター)としてなら救いの場ですが、
普段、不自由なく生活している人にとっては、居心地は最悪でしょう。
でもそれは当然です。児童相談所を見直しました。

補導された日の早朝4時、娘はようやく児童相談所に入所しました。
私は入所時すら、立ち合いを許されませんでした。
児童相談所の上記のシステムを全く知らなかった私は、
家に戻ってから戸惑いました。

娘には本当に悩まされました。つらい日々の連続でした。
でも、「娘が居ない」のは、もっとつらい。
児童相談所に居る娘を思うと、悲しくて、可哀想で、泣きたくなりました。
「もっと他に手段がなかったのか…」。親として反省しました。
もはや私が望んでも、娘を引き取りには行けないのです。
2日後、児童相談所から連絡あり、「本人が家に戻りたい」とのこと。
あれだけ「こんな家に居たくない!!」と豪語していた娘が、家に戻りたい?
不謹慎ですが、思わず笑ってしまいました。
児童相談所は余程居心地が悪かったのでしょう。
戻りたいからではなく、自分にとって都合が悪かったのでしょう。
それでも私は嬉しかった。これで娘を引き取れる!ってね。

今、娘は戻り、相変わらず返事しない、片づけない、私を避ける…以前のまま。
時として、心が折れます。
でも、それでいい。居ないよりずっといい。
近くに居れる今は、たとえ会話がなくても、
私にとって、とても貴重な時間と空間なんです。

私の周りには、私を救ってくれる様々な天使(エンジェル)がいます。
今日の天使様は、私の娘です。そう、悪魔のような天使です(笑)。

Angel…私の天使 / Fra Lippo Lippi(フラ・リッポ・リッピ)…アハハ






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毎日が戦いです、自分とのね。
何のために働いてきたんだろう。
そして今、何のために働いているんだろう。
自分のため?
私にとって、それはない。
自分のためになんか、どうでもいい。
人は、
「家族」や「人」のためなら、なぜかやってしまう。
頑張ってしまう。
 
きっと、それが日本人。

 

でも、つらいよ。

自分を理解してくれる人が、少しくらいはいないと。

いや、違うか…

ひとりでも頑張るよ。

 

決して心が弾まない、むしろ憂鬱な、ある日曜日。
買い物に出て、ふと空を見ました。
きれいでした。
そう、何だかんだで苦しい日々と思っていましたが、
少なくとも、私の家族は生きている。
それは幸せなこと。
そう思えた一瞬でした。
 
ありがとう、日本の空。
何気ない空。
上を向かないとね…
 
Everybody Got To Learn Sometime (1992-Version) / The Korgis
毎日が修羅場の子育て。
きっと多くの方々が、悪戦苦闘しているのだと思います。

誰かから聞いた事です。
「出来ない事より、出来た事を見るようにしましょう」

私の次女、今日も朝から私の言葉に返事はしない。
ご飯を作っても「いただきます」は言わない。
勿論、「ごちそうさま」も言わない。
学校の事で必要があって聞いているのに、答えない。
でも、一つだけ。
「自分の食べたものは、自分で台所まで持って行きなさい」。
一般家庭ではごく普通の事ですが、
今日、娘がやってくれました。無言でね(笑)。
ちゃんと聞こえていたんだね。
思わず、「やるじゃん!」って、心の中で声をかけました。
ありがとね。

このエピソードで、何て親バカって思う人もいるでしょう。
きっと昔の私なら、そう思ったかもね。
娘は葛藤しているんだと思います。
心のどこかに、素直な気持ちがあるんだと、私は信じているんです。
たとえ親バカでも、私は彼女を信じていきます。裏切られる事が多いけどね・笑

今日は、既出ですが、
今の状態が想像も出来なかった動画をアップします。
決して、昔を忍んでアップしたのではありません。
これからの希望を思って、再度、アップさせていただきます。

2012年、12月撮影 私の宝物動画



自分のつらい気持ちを吹っ切りたくて、
まるで、愚痴を言うように、お恥ずかしい私の姿をさらけ出してしまいました。
でも、ブログ記事にして良かった。
決して甘くない助言も含め、本当にありがとう。
そして、オープンなコメントとして残してくれたブロ友さん、ありがとう。
救われました。

私もつらいけど、娘も、もがいています。
私に似た娘です。だから、娘が私を罵倒する気持ちが理解できます。
今の私は、親として、彼女を遠くから見守るだけなのでしょう。
これからも親として言うべきことは言い続けます。
でも、今はほとんど無視されています。悲しいけど…アハハ。

娘ともっと話がしたいよ。
前みたいに、一緒に買い物にも行きたいよ。
娘の何気ない言葉に、いつも救われてきました。
君(娘)がいたから、私はどんなに仕事が苦しくても、乗り越えられたんだよ。
感謝してる。
そんな君が、今や私がウザイようですね。
でも、私は、絶対に君を見放しませんからね。
あと少しで義務教育も終わり、
私は親としてのおせっかいも出来なくなってしまいます。
だって、君が私のおせっかいを拒否するからね。

でもね、
いつだって、いざとなれば、ここに戻っておいで。
私が生きている限り、私にとっては、君はかわいい、かわいい娘です。 

だって、私はバカ親だから。

これにて、この書庫は終了とさせていただきます。

2017年6月18日、追記
この書庫終了、撤回します。
今、一番悩んで、苦しんで、必死に立ち向かって居る事は、娘の子育て。
今の自分の人生を回想する時が必ず来ます…。
だから、やっぱり残して置くべきと思いました。



次女の娘は4月に転校し、今、私と父子家庭状態です。
部活もやらず、かといって、勉強に集中しているわけでもありません。
その姿を見ていると、心から悲しくなります。
何を間違えてしまったんだろう。
でも、命はあります。それが私にとっての唯一の救いです。

転校して1か月。
何というか…。早くも異性の仲間を味方につけて、
既に家出も決行しています。ある意味、すごいやつです、私の娘は。
異性に対しての興味が強い分、同性からは敬遠される。
そうやって、今までも過ごしてきたのです。
「周りの(女子の)友達は、私を疎外する!」
そういつも言い訳していますが、原因を作っているのは自分であることを、
本人は自覚していません。

彼女は私に似て、とても寂しがり屋です。甘えん坊です。
だから、自分にとって居心地のよいことを言ってくれる人に、
すぐに引かれてしまします。
そして、利用できるものは、とことん利用します。
私がスマホ・携帯を取り上げたのに、
転校して間もない異性の同級生にスマホを借りて、
やっぱり過去の仲間に連絡を取っていたのです。
そして、家出をしました。(ある意味、やっぱりすごいやつです、うちの娘)

中学校の担任から、まだ登校していない連絡があり、
私は10分だけ考えた後、すぐに警察に電話をしました。
仕事はすぐに休める立場ではないので、ここ(職場)でも信頼を失いました。
勿論、心配してくれる人たちもいましたが。
「彼女は決意して出て行った」。
そう考えると、自分の娘への行ないを悔いました。
今朝、私の方が早く家を出ました。
「それじゃ、気を付けて行ってね」
「うん」。
その後、不登校が発覚。

その日の夕方、ひょっこり娘は帰ってきました。
あらためて警察と学校に出向き、何だかんだで夜10時に帰宅。
でも、そこからまた喧嘩です。
「やっぱり戻って来なければ良かった!」
「いいや、戻って来たお前は正解だった」
「嫌だ!」「パパと、ここに居たくない!」…
悲しい口論でした。
警察からは、親としての在り方に私(妻ともに)は非難されました。
私は一体どうすれば良かったのでしょうか。

いいえ、それは自分の人生です。自分で考えないとね。
でも、本当につらい。
子育てをやられている皆さんに、心から敬意を表します。



次女は大学4年生の長女とは7年離れています。
現在は14歳(中学3年生)。
小学生の頃から、活発過ぎるくらいやんちゃでした。
ですから、女子よりも男子とのウマが合っていたように感じます。

バスケットボールが好きで、小学生の時はクラブチームに所属し、
福島県代表として全国大会にも出場した程です。
しかし、チームメイトとは、あまりうまくいっていなかったようです。
それが端的に表れたのが、中学入学後のバスケットボール部の退部でした。
1年生の後半でバスケ部を辞め、陸上部に転身、
3種競技やリレー代表にも選出されました。
しかし一方で、私の与えたスマホで、SNSにハマっていきます。

スマホは悪の元凶です。
娘は異常なほど、スマホのネダリを妻や私にしてきました。
妻は頑として「ダメ!」を貫きました。
私は、週末に一緒にいる時だけ「私のスマホを使用」を条件に使わせました。
これが大きな間違いであったと、つくづく後悔しています。
妻も、この私の行為に幻滅し、夫婦間の信頼関係が崩れていきました。

インターネットや携帯電話。子供にとっては「弊害」があります。
私は、使っていきながら、その弊害への免疫を作っていかせるタイプ。
妻は、時期が来るまでは一切禁止するタイプ。
我が家において、どちらが正しかったかは現実が物語っています。
何だかんだカッコいい事を言っても、私は娘の反抗に屈したのです。

私も注意を促し続けましたが、娘はとうとう危険な行為に走ってしまいました。
学校や警察へも報告が必要な事態に発展したにも関わらず、
娘は態度を変えません。
妻が益々追い込まれていき、同居は無理と判断、ついに転校を決意しました。

今現在は、スマホ・携帯は持たせていません。
でも、それまでの過程には、壮絶な父娘のバトルがありました。
部活もやらず「高校も行かない!」っと突っぱねる次女。
また家出を考えているのではないかと、毎日が心配で気が狂いそうです。
失礼しました…失言です。

私は次女を愛しています。でも、今の状態をどうすれば良いのか…。
八方塞がりです。それでも、日々は流れていきます。
何とかしなければ…。様々な機関にも相談しました。
しかし、現実は厳しい。特に児童相談所って、本当に役立っているのでしょうか?
税金で運営されているこの機関。意味あるのでしょうか。
アハハ、こんな時に…。怒りで少し元気になりました。
バカな私。