へなちょこ ユテコ の Don't Worry, Be Happy -15ページ目

へなちょこ ユテコ の Don't Worry, Be Happy

僕らは地上では「旅人」
                                          ここでは 感じるまま、気ままに、思ったままを「音楽」と共に・・・。

。。。。。。。。。。

 

psm71:1  主よ。私はあなたに身を避けています。私が決して恥を見ないようにしてください。

psm71:2  あなたの義によって、私を救い出し、私を助け出してください。あなたの耳を私に傾け、私をお救いください。

psm71:3  私の住まいの岩となり、強いとりでとなって、私を救ってください 。あなたこそ私の巌、私のとりで です。

psm71:4  わが神よ。私を悪者の手から助け出してください。不正をする者 や残虐な者の手からも。

psm71:5  神なる主よ。あなたは、私の若いころからの私の望み、私の信頼の的です。

psm71:6  私は生まれたときから、あなたにいだかれています。あなたは私を母の胎から取り上げた方。私はいつもあなたを賛美しています。

psm71:7  私は多くの人にとっては奇蹟と思われました。あなたが、私の力強い 避け所 だからです。

psm71:8  私の口には一日中、あなたの賛美と、あなたの光栄が満ちています。

psm71:9  年老いた時も、私を見放さないでください。私の力の衰え果てたとき、私を見捨てないでください。

psm71:10  私の敵が私のことを話し合い、私のいのちをつけねらう者どもが共にたくらんでいるからです。

psm71:11  彼らはこう言っています。「神は彼を見捨てたのだ。追いかけて、彼を捕えよ。救い出す者はいないから。」

psm71:12  神よ。私から遠く離れないでください。わが神よ。急いで私を助けてください。

psm71:13  私をなじる者どもが恥を見、消えうせますように。私を痛めつけようとする者どもが、そしりと侮辱で、おおわれますように。

psm71:14  しかし、私自身は絶えずあなたを待ち望み、いよいよ切に、あなたを賛美しましょう。

psm71:15  私の口は一日中、あなたの義と、あなたの救いを語り告げましょう。私は、その全部を知ってはおりませんが。

psm71:16  神なる主よ。私は、あなたの大能のわざを携えて行き、あなたの義を、ただあなただけを心に留めましょう。

psm71:17  神よ。あなたは、私の若いころから、私を教えてくださいました。私は今もなお、あなたの奇しいわざを告げ知らせています。

psm71:18  年老いて、しらがになっていても、神よ、私を捨てないでください。私はなおも、あなたの力を次の世代に、あなたの大能のわざを、後に来るすべての者に告げ知らせます。

psm71:19  神よ。あなたの義は天にまで届きます。あなたは大いなることをなさいました。神よ。だれが、あなたと比べられましょうか。

psm71:20  あなたは私を多くの苦しみと悩みとに、会わせなさいましたが、私を再び生き返らせ、地の深みから、再び私を引き上げてくださいます。

psm71:21  あなたが私の偉大さを増し、ふり向いて私を慰め てくださいますように。

psm71:22  イスラエルの聖なる方

psm71:23  私があなたにほめ歌を歌うとき、私のくちびるは、高らかに歌います。また、あなたが贖い出された私のたましいも。

psm71:24  私の舌もまた、一日中、あなたの義を言い表わしましょう。それは彼らが恥を見、私を痛めつけようとする者どもがはずかしめを受けるからです。

。。。。。。。。。。


おはようございます。

人生色々あります。

昨晩は転職希望の友人と、喫茶店のオーナーとゆったり現状とその中にある問題・思いを話しました。

今、僕らは失望する事も選べる。

でも、神様を知った僕らはそれがただのサタンの嘘の囁きだと知っている。



てな事で今日も共に詩篇を。

今日僕の心に留まったのはこんな言葉。

psm71:11  彼らはこう言っています。「神は彼を見捨てたのだ。追いかけて、彼を捕えよ。救い出す者はいないから。」









よく、聞くでしょ・・・。


この言葉。

誰の言葉ですか?



・・・何故こんな言葉がくるのですか?

もしかして、神様の祝福を妬んでるアイツの仕業かもよ~。




だって、

神様の恵みを受け取らせないようにする為には、この言葉めちゃ効果的だもんね。

・・・神様はお前を見捨てられた・・・なんて。



だから、サタンにいってやりまへんか。。


あ~ほ~!!って。

神様の本質を忘れてまう時、僕らはそう思いがちだけど、、

神様は契約の神。

僕らへの約束は絶対破る事はないんじゃ~!やよね。



「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」』



それを知ってるから、

どんだけ感情が僕らを真実から目を背けさせようとしても

僕らは神様の実際を選び、

ダビデさんと一緒に、その言葉を発することが出来るから。


psm71:20  あなたは私を多くの苦しみと悩みとに、会わせなさいましたが、私を再び生き返らせ、地の深みから、再び私を引き上げてくださいます。



確かに暗闇の中で

この言葉を発することはかなり難しい事に違いない。


でも、

神様はどんな時でも代わることのない方だ。



だから

心がどれだけ否定しても

サタンの囁きに従って、僕らから神様が見捨てられたなんて言葉信じる必要がない。



大丈夫。


僕らと神様の関係は、どんな強い力でも引き裂く事は出来ないから。








心が否定しても、バイブル(神様)の言葉を選んで過ごせたらいいですね。
だから、大丈夫だ!と言葉を発してみませんか?




僕らは今日も大丈夫!!


神様・・

eps1:17  どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、与えてくださいますように。

eps1:18  また、心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

eps1:19  また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、が知ることができますように。



ジーザス(イェス様)の名前で
a-men.





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詩71篇 「再び・・・をする」 שׁוּב シューヴ

〔カテゴリー愛顧〕

20節「あなたは私を多くの苦しみと悩みとに会わせなさいましたが、私を再び生き返らせ、地の深みから、再び私を引き上げてくだいます。」(新改訳)
20節「数多い重い苦悩を私に負わせたあなた、そのあなたはふたたび私を生かしに来られ、地の淵から私を引き上げるだろう。」(バルバロ訳)

Keyword; 「再び」again

  • 「再び」と訳された原語はシューヴשׁוּב(shuv)です。本来、シューヴは「返る、帰る」といういう意味ですが、ここでは「再び」という意味で使われています。
  • 20節には「私を再び生き返らせ、・・再び私を引き上げてくださいます」と訳されていますが、原文直訳では「あなたが帰るתָּשׁוּב あなたが私を生かすでしょうתְּחַיֵּינִי ・・あなたが帰るתָּשׁוּב あなたが私を引き上げるでしょうתַּעֲלֵנִי」です。主語は「二人称単数、未完了」で、「あなた」、すなわち、神の恩寵が強調されています。「あなたが帰る」とは、再び神が私とかかわってくださるという意味です。そのことによって、神が私を生かし、私を引き上げてくださるのだという意味になります。主語である「あなた」を意識して訳しているのはバルバロ訳です(上記参照)。
  • このシューヴשׁוּב(shuv)は実に興味深い動詞です。用途を調べてみると、これは、恩寵、礼拝、敵対の三つの領域において用いられています。これらの三つの領域は別々のものではなく、三つの領域が互いに関連しあって、同時に起こり得る動詞だということです。

(1)神の恩寵用語としてのシューヴשׁוּבは「もとに返す、生き返らせる」という意味で、「捕われて人を(もとに)帰すーreturn」(詩85:1)、「主は(主の教えは)私のたましいを生き返らせーrestore」(詩23:3、詩19:7)とか、「あなたの救いの喜びを私に返しーrestore」(詩51:12)で使われています。他には「主は・・私に償いをされたーreward」(詩18:20, 24)、「怒りを押しとどめるーrestrain」にも使われています。

(2)礼拝用語としてのシューヴשׁוּבは「神に立ち返る、神の方向に足(心)を向ける、悔い改める」といった意味です。「罪人はあなたのもとに帰ります」(詩51:13)、「悔い改めて、生きよ。」(エゼキエル18:32-repent)

(3)敵対用語としてのシューヴשׁוּבは「(敵が)退く、後退する」という意味です。

  • このように私たちが神に立ち返るとき、神が再び私たちとかかわりをもってくださり、そのことによって敵が退くという三つの領域の霊的現実が引き起こされるのです。
  • キリスト教の歴史を振り返る時、変革が起こったときには必ずと言ってよいほど、シューヴの現実が見られます。どこに立ち帰ったかといえば、それは、神であり、神が語られた聖書に立ち返っているのを知ることができます。現代の危機の時代に生きる教会も、またキリスト者ひとり一人も真剣にシューヴする必要性に迫られているかもしれません。

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【詩篇70篇】o19  指揮者のために。ダビデによる。記念のために


psm70:1  神よ。私を救い出してください。主よ。急いで私を助けてください。

psm70:2  私のいのちを求める者どもが、恥を見、はずかしめを受けますように。私のわざわいを喜ぶ者どもが退き卑しめられますように。

psm70:3  「あはは。」とあざ笑う者どもが、おのれの恥のためにうしろに退きますように。

psm70:4  あなたを慕い求める人がみな、あなたにあって楽しみ、喜びますように。あなたの救いを愛する人たちが、「神をあがめよう。」と、いつも言いますように。

psm70:5  私は、悩む者、貧しい者です。神よ。私のところに急いでください。あなたは私の助け 、私を救う方。主よ。遅れないでください。

。。。。。。。。。。


おはようございます。

なんともう、金曜ですか・・・。

一週間は早いものですね。



では、早速詩篇を。

今日僕の心に留まったのはこんな言葉。

psm70:4  あなたを慕い求める人がみな、あなたにあって楽しみ、喜びますように。あなたの救いを愛する人たちが、「神をあがめよう。」と、いつも言いますように。







今日はこんな解説を抜粋。

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  • 「あがめよう」と訳されたガーダルגָּדַל(gadal)は本来、「大きくする」という意味です。これが神の恩寵として使われる場合には、「大いなる者とする」という意味になります。「神をあがめよう」(新改訳、新共同訳)、「大いなれ、神」(岩波訳)、「ヤーウェは大いなるかな」(関根訳)、「神は大いなる者」(フランシスコ会訳)、「神は偉大な方」(典礼訳)、「神は偉大なもの」(バルバロ訳)
  • この言葉が聖書で最初に登場するのは、創世記12章のアブラハムの召命にある「わたしはあなたを大いなる国民として、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう」(2節)とあります。逆に、礼拝用語として使われる場合には、神の名を「大いなるものとする」ということで「あがめる」(新改訳、新共同訳)と訳されます。
  • 「あがめる」という礼拝用語の背景には、神によって高く上げられ、大いなるものとされるという祝福の恩寵があってはじめて成り立つことができます。

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なんか凄いでしょ。



神様と僕ら人との関係。





どれ程、僕らは特別な存在として居るのかを。

僕らはどれ程大切な存在かを知ることで、僕らの生き方は全く変わる。


だって

神様が僕らの味方なんだから。




僕らは否定的なサタンが頭に送り込む言葉を信じなくてイイ。

神様からの言葉に信頼すればいい。


神様だけで、もう大丈夫だから。




心が否定しても、バイブル(神様)の言葉を選んで過ごせたらいいですね。
だから、大丈夫だ!と言葉を発してみませんか?




僕らは今日も大丈夫!!


神様・・

eps1:17  どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、与えてくださいますように。

eps1:18  また、心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

eps1:19  また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、が知ることができますように。



ジーザス(イェス様)の名前で
a-men.





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詩70篇 「大いなるものとする」 גָּדַל ガーダル

〔カテゴリー愛顧〕

4b節「あなたの救いを愛する人たちが、『神をあがめよう』といつも言いますように。」(新改訳)

Keyword; 「大いなるものとする」―「あがめる」という礼拝用語の背景にある恩寵としてー 
make great,

(1) 詩70篇と詩40篇13~17節との比較

  • 詩70篇は、詩40篇13~17節とほとんど内容は同じです。しかしなぜ同じ内容のものが置かれているのかが問題です。似ているように見えるだけで、よく比べてみるなら微妙に違っています。たとえば、神が主になり、主が神になって表現されています。しかしこの程度の違いならばそれほど問題はありません。その他の違いが重要です。なぜなら、それによって強調点が異なってくるからです。詩40篇にあって詩70篇にないもの。逆に詩70篇にあって、詩40篇にはないものがあります。比べてみましょう。
  • 詩40篇13節「主よ。どうかみこころによって、私を救い出し、主よ、急いで、私を助けてください。」 詩70篇1節では「神よ。私を救い出してください。主よ。急いで私を助けてください。」となっています。詩70篇には詩40篇にある「どうかみこころによって」という部分がありません。この部分のヘブル語はラーツァーרָצָה(ratsah)で、好意を示すことばで、受け入れる、親しくする、走り寄る、喜ぶ、といった意味です。
  • 詩40篇17節「私は悩む者、貧しい者です。主よ。、私を顧みてください。あなたはわたしの助け、私を救い出す方。わが神、遅れないでください。」とあります。詩70篇5節では「私を顧みてください」と部分がなく、代わりに、「わたしのところに急いでください。」となっています。「顧みる」と訳された恩寵用語はハーシャヴחָשַׁב(chashav)で、自分のことを考え、心配りしてくれ、ねんごろに思う、といった意味です。
  • 詩40篇にみられるラーツァーרָצָהにしても、ハーシャヴחָשַׁבにしても、神の親しさがこめられた動詞です。しかし詩70篇にはそうした親愛を示す動詞がなく、「急いで」ということばが強調されています。つまり、詩70篇では自分を顧みてくださいといった悠長な態度ではなく、「急いでください」と神の助けを緊急に求めています。、この「急いで」という緊迫性、切迫性こそが、詩70篇の大きな特徴であると言えると思います。
  • ちなみに、「急ぐ」ということばは、フーシュחוּשׁ(chush)が使われています。旧約では17回、詩篇では9回、-そのうち7回は「急いで私を助けてください」という嘆願、命令形で使われています(22:19/38:22/40:13/70:1, 5/71:12/141:1)。

(2) 「早急さ」と詩70篇4節との関係

  • 「苦しいときの神頼み」ということばがあります。私たちは「苦しいこと」がないと神を求めようとしない利己的な性格を持っています。しかも求める時には早急な神頼みです。詩70篇もそのような性急な祈りかといえば、決してそうではありません。むしろ身勝手な祈りを否定する表現が4節にあります。「あなたを慕い求める人がみな、あなたにあって楽しみ、喜びますように。あなたの救いを愛する人たちが、『神をあがめよう』といつも言いますように。」という部分です。同義的並行法で書かれたこの部分が、単なる、早急で、身勝手な祈りを排しています。
  • 「あがめよう」と訳されたガーダルגָּדַל(gadal)は本来、「大きくする」という意味です。これが神の恩寵として使われる場合には、「大いなる者とする」という意味になります。「神をあがめよう」(新改訳、新共同訳)、「大いなれ、神」(岩波訳)、「ヤーウェは大いなるかな」(関根訳)、「神は大いなる者」(フランシスコ会訳)、「神は偉大な方」(典礼訳)、「神は偉大なもの」(バルバロ訳)
  • この言葉が聖書で最初に登場するのは、創世記12章のアブラハムの召命にある「わたしはあなたを大いなる国民として、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう」(2節)とあります。逆に、礼拝用語として使われる場合には、神の名を「大いなるものとする」ということで「あがめる」(新改訳、新共同訳)と訳されます。
  • 「あがめる」という礼拝用語の背景には、神によって高く上げられ、大いなるものとされるという祝福の恩寵があってはじめて成り立つことができます。
  • この「ガーダル」に対応するギリシヤ語は「メガリューノー」μεγαλύνωです。ルカ1:46「わがたましいは主をあがめμεγαλύνω」、ピリピ1:20「・・生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストがあがめられるμεγαλύνωことである。」(口語訳)などで使われています。日本語では同じ「あがめる」ということばでも、原語では異なる動詞が使われ、意味合いも違いがあることが分かります。
  • 旧約聖書で「あがめる」と訳されているもう一つの言葉は「ルーム」רוּםです。これは詩篇特愛用で、本来的には、神が人を引き上げる、高く上げるという恩寵用語ですが、礼拝用語として使われる場合には、神を高く上げるということで、「あがめる」と訳されます。新改訳の詩篇では「ルーム」רוּםが「あがめる」と訳されていのは14回ほどあります。
  • もうひとつ、「ルーム」רוּםの類義語で「サーガヴ」שָׂגַבがあります。「高く上げる」(詩篇20:1/59:1/69:29等)という恩寵用語ですが、礼拝用語として、詩篇148:13では「主の御名があがめられ」と訳されています。
  • 詩70篇の作者は、緊急の祈りの中にも、「いつも」、神をあがめる生活をしていたことが分かります。このような生き方は一朝一夕にできません。常日頃から、いつも意識して、神とともに生きることを選んだ者にのみできる生き方であると信じます。
  • 「神を慕い求める人々」、「主を愛する人々」とは、「みな」(例外なく)、「いつも」、神にあって楽しみ、喜ぶー享楽的な喜びではなく、自分がどこまでも愛されているという存在論的な恩寵―ように裏打ちされて、神をあがめる(神を偉大にする)ことのできる者たちと言えます。

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【詩篇69篇】o19  指揮者のために。「ゆりの花」の調べに合わせて。ダビデの調べ


psm69:1  神よ。私を救ってください 。水が、私ののどにまで、はいって来ましたから。

psm69:2  私は深い泥沼に沈み、足がかりもありません。私は大水の底に陥り奔流が私を押し流しています。

psm69:3  私は呼ばわって疲れ果て、のどが渇き、私の目は、わが神を待ちわびて、衰え果てました。

psm69:4  ゆえなく私を憎む者は私の髪の毛よりも多く、私を滅ぼそうとする者、偽り者の私の敵は強いのです。それで、私は盗まなかった物をも返さなければならないのですか。

psm69:5  神よ。あなたは私の愚かしさをご存じです。私の数々の罪過は、あなたに隠されてはいません。

psm69:6  万軍の神、主よ。あなたを待ち望む者たちが、私のために恥を見ないようにしてください。イスラエルの神 よ。あなたを慕い求める者たちが、私のために卑しめられないようにしてください。

psm69:7  私は、あなたのためにそしりを負い、侮辱が私の顔をおおっていますから。

psm69:8  私は自分の兄弟からは、のけ者にされ、私の母の子らにはよそ者となりました。

psm69:9  それは、あなたの家を思う熱心が 私を食い尽くし、あなたをそしる人々のそしりが、私に降りかかったからです。

psm69:10  私が、断食して、わが身を泣き悲しむと、それが私へのそしりとなりました。

psm69:11  私が荒布を自分の着物とすると、私は彼らの物笑いの種 となりました。

psm69:12  門にすわる者たちは私のうわさ話をしています。私は酔いどれの歌になりました。

psm69:13   しかし主よ。この私は、あなたに祈ります。神よ。みこころの時に。あなたの豊かな恵みにより、御救いのまことをもって、私に答えてください。

psm69:14  私を泥沼から救い出し、私が沈まないようにしてください。私を憎む者ども、また大水の底から、私が救い出されるようにしてください。

psm69:15  大水の流れが私を押し流さず、深い淵は私をのみこまず、穴がその口を私の上で閉じないようにしてください。

psm69:16  主よ。私に答えてください。あなたの恵みはまことに深いのです。あなたの豊かなあわれみにしたがって私に御顔を向け てください。

psm69:17  あなたのしもべに御顔を隠さないでください。私は苦しんでいます。早く私に答えてください。

psm69:18   どうか、私のたましいに近づき、贖ってください。私の敵のゆえに、私を贖ってください。

psm69:19  あなたは私へのそしりと、私の恥と私への侮辱とをご存じです。私に敵対する者はみな、あなたの御前にいます。

psm69:20  そしりが私の心を打ち砕き、私は、ひどく病んでいます。私は同情者を待ち望みましたが、ひとりもいません。慰める者を待ち望みましたが、見つけることはできませんでした。

psm69:21  彼らは私の食物の代わりに、苦味を与え、私が渇いたとき には酢を飲ませました。

psm69:22  彼らの前の食卓はわなとなれ。彼らが栄えるときには、それが落とし穴となれ。

psm69:23  彼らの目は暗くなって、見えなくなれ。彼らの腰をいつもよろけさせてください。

psm69:24  あなたの憤りを彼らの上に注いでください。あなたの燃える怒りが、彼らに追いつくようにしてください。

psm69:25  彼らの陣営を荒れ果てさせ、彼らの宿営にはだれも住む者がないようにしてください。

psm69:26  彼らはあなたが打った者を迫害し、あなたに傷つけられた者の痛みを数え上げるからです。

psm69:27  どうか、彼らの咎に咎を加え、彼らをあなたの義の中に入れないでください。

psm69:28  彼らがいのちの書 から消し去られ、正しい者と並べて、書きしるされることがありませんように。

psm69:29  しかし私は悩み、痛んでいます。神よ。御救いが私を高く上げてくださるように。

psm69:30  私は神の御名を歌をもってほめたたえ、神を感謝をもってあがめます。

psm69:31  それは雄牛、角と割れたひずめのある若い雄牛にまさって主に喜ばれるでしょう。

psm69:32  心の貧しい人たちは、見て、喜べ。神を尋ね求める者たちよ。あなたがたの心を生かせ。

psm69:33  主は、貧しい者に耳を傾け、その捕われ人らをさげすみなさらないのだから。

psm69:34  天と地は、主をほめたたえよ。海とその中に動くすべてのものも。

psm69:35  まことに神がシオンを救い、ユダの町々を建てられる。こうして彼らはそこに住み、そこを自分たちの所有とする。

psm69:36  主のしもべの子孫はその地を受け継ぎ、御名を愛する者たちはそこに住みつこう。

。。。。。。。。。。。


おはようございます。

やっぱり、朝はサム~ございますね。

皆さん体調管理にはくれぐれも気をつけましょうね。



では早速、共に詩篇を。

今日僕の心に留まったのはこんな言葉。

psm69:1  神よ。私を救ってください 。水が、私ののどにまで、はいって来ましたから。





少し考えさせられた問題がある。

それは

神様の助けは何故遅いのか?もしくはもうダメ!と諦めた後なのか・・・?って事。




何故だと思います?





僕は昨日こんな考えが心に入ってきた。

それは

サタンは神様からの祝福を遮る・・・という事。



ならば

サタンが一番効率のいい遮り方はどのタイミングなのか?って感がえた。

すると・・・

やはり、神様がその人に与えようとするタイミングの直前なのかも・・・。




どう?





皆さんはどう考えられます?





サタンは神様が創造された僕らと神様との関係を妬んでいる。

どうして、神よりも優れた(サタンが勝手に思ってるだけ)オレよりも人を大切に大切に扱うのか?

何故、人だけを愛する存在として創造したのか?

(サタンは神様から与えられた知恵と力とにすがって神様から離れた。

与えられたものなのにも関わらず・・・。)


サタンは神様から切り離され

永遠の滅びを受ける事に決められたときから、一番神様が大切にしている人を狙った。

サタンの目的は、此処だけに絞られた。神さまの祝福を受け取らせずに殺す事。




だとしたら・・・

僕らには神様からの祝福は用意されてても

色んなサタンの策略によって、阻まれている。




だから、

僕らは神様からの祝福を受け取る手前で失望させられうなだれる事が多いんだと思わされた。




でも、今日のダビデさんの詩篇でもそうだけど

それを解決する方法が一つだけ用意されている。


ダビデさんを通してその見本を神様は僕らに与えられている。

それは、賛美だ。


賛美って歌を歌う・・ラララってなだけじゃない。

そもそも、賛美とは神様の実際を言葉として発する事。


その為には、目に見えるコトや、感じる事に縛られずに、

神様の用意された将来の事実に目を留める必要がある。


そして、未だ見ぬ神様の備えられた事実がなると信じてソレを選ぶ事が必要となる。




邪魔するのは何?

それを阻もうとするのはなんだろう?



ソレは、サタンによる将来へのイメージ。

コイツが結構効いてる。。


そいつを一掃するのが賛美でもあったりする。

サタンの与えるイメージを一掃するのは僕らの力では無理だ。


神様じゃないと。

神様の領域に入れば、サタンの力は完全に消滅する。

(サタンは其処に居座る事ができないからね。)



だから、いつもの様に自然と頭に送られてくるサタンのイメージをそのまま選ぶ必要はない。


今日僕らもダビデさんのように

神様の実際を言葉に発しようと行動を選ぶ事が出来るのだから。

・・・・・・・・・・


psm69:30  私は神の御名を歌をもってほめたたえ、神を感謝をもってあがめます。

psm69:31  それは雄牛、角と割れたひずめのある若い雄牛にまさって主に喜ばれるでしょう。

psm69:32  心の貧しい人たちは、見て、喜べ。神を尋ね求める者たちよ。あなたがたの心を生かせ。

psm69:33  主は、貧しい者に耳を傾け、その捕われ人らをさげすみなさらないのだから。

psm69:34  天と地は、主をほめたたえよ。海とその中に動くすべてのものも。

psm69:35  まことに神がシオンを救い、ユダの町々を建てられる。こうして彼らはそこに住み、そこを自分たちの所有とする。

psm69:36  主のしもべの子孫はその地を受け継ぎ、御名を愛する者たちはそこに住みつこう。

・・・・・・・・・・

僕らは常に何かを選んでいる。

いつも神様を選び続けていたいですね。






心が否定しても、バイブル(神様)の言葉を選んで過ごせたらいいですね。
だから、大丈夫だ!と言葉を発してみませんか?




僕らは今日も大丈夫!!


神様・・

eps1:17  どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、与えてくださいますように。

eps1:18  また、心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

eps1:19  また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、が知ることができますように。



ジーザス(イェス様)の名前で
a-men.



・・・・・・・・・・

詩69篇(1) 「御顔を向ける」 פָּנָה パーナー

〔カテゴリー愛顧〕

16節「あなたの豊かなあわれみにしたがって、私に御顔を向けてください。」(新改訳)
16節「あなたのあわれみの豊かなるにより、わたしを顧みてください。」(口語訳)

Keyword; 「御顔を向ける、顧みる」to turn, to turn toward,
25:16/40:4/46:5/69:16/80:9/86:16/90:9/102:17/119:132

  • パーナーפָּנָה(panah)の基本的な意味は、「ある方向に向く、行く、見る」こと。「向きを変える、向き直る、振り返る」です。礼拝用語としては、御顔を「仰ぎ見る」という意味で使われます。恩寵用語としては、「御顔を私の方に向ける」という意味で使われます。
  • パーナーפָּנָה(panah)は、旧約では134回、詩篇では9回使用されていますが、そのうちの4回はほとんど似ています。似ている点とは、すべてが嘆願の祈りであり、「あわれみ」ということばが附随していることです。換言するならば、御顔を自分に向けていただけるということは、主の豊かなあわれみ以外のないものでもないということになります。
  • 「私に御顔を向けて、私をあわれんでください。」(25:16/89:16/119:132)
  • 「あなたの豊かなあわれみに従って、私に御顔を向けてください。」(69:16)
  • 人はだれでもしっかりと自分に向き合ってくれる存在を必要としています。心に一物がある場合には、顔を向き合わせることはありません。顔を向き合わせることなく、無視したり、背を見せたりすることは明白な交わりの拒否的行為です。創世記4:5には「カインはひどく怒り、顔を伏せた」とあります。逆に「心に喜びがあれば顔色を良くする」(箴言15:13)ということになります。このように、「顔」つきは私たちがどのような者であるかということに関係し、私たちの感情やムードや性質など、内面で起こっていることを反映します。「顔」はその人の内側のものが映し出されるのです。
  • イエスの弟子ペテロは決して自分がつまずかないことを大言壮語していましたが、いとも簡単にイエスを裏切りました。そのとき聖書には「主が振り向いてペテロを見つめられた。ペテロは、『きょう、鶏が鳴くまでに、あなたは、三度わたしを知らないと言う』と言われた主のおことばを思い出した。」(ルカ22:61)とあります。イエスはペテロの裏切りを予見していました。そしてペテロに対する主のまなざしは実にあわれみに満ちたものでした。このあわれみに満ちた御顔のまなざしこそ、ペテロを悔い改めに導いたと信じます。もし主の御顔が厳しく怒ったものであったなら、ペテロは立ち直れたかどうかわかりません。
  • 「主は、あわれみ深く、情け深い、怒るにおそく、恵み豊かである。主は、絶えず争ってはおられない。いつまでも、怒っておられない。・・主は、私たちがちりにすぎないことを心に留めておられる」(詩103篇8節)のです。-主のあわれみに満ちた御顔のまなざしこそ、私たちにとって救いなのです。

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詩69篇(2) 「高く上げる」 שָׂגַב サーガヴ

〔カテゴリー救出〕

29節「・・神よ。御救いが私を高く上げてくださるように。」」(新改訳)
29節「・・神よ。あなたの救いがわたしを高い所に置かれますように。」(口語訳)

Keyword; 「高く上げる、保護する、強大にする」 lift high, protect, be keep,
20:1/59:1/69:29/91:14/107:41/139:6/148:13

  • 「高く上げる、高い所に置く」と訳されたサーガヴשָׂגַב(sagav)は、旧約で20回、詩篇では7回使われています。このことばが礼拝用語として用いられるときには、神を「あがめる」という意味ですが、恩寵用語として用いられるときには、神が人を「高く上げる」「保護する」「強める(強大にする)」という意味になります。
  • ちなみに、詩篇で「高く上げ」と訳されているのは59:1、69:29、91:14、107:41の四箇所です(ただしいずれも新改訳。NIV訳では107:41のlift以外は、すべてprotectが当てられています)。つまり、「高く上げる」というのは、「守る、保護する」と同義であることが分かります。
  • 本文では嘆願として使われていますが、状況としては、作者が自分は「苦しんでいます」(v.20)、「ひどく病んでいます」(同)、「奔流が私を押し流しています」(同)、「悩んでいます」(v.29)、「病んでいます」(v.29)とあるように、悩みと心の痛みの中で自分の置かれている状況を訴えています。それは、さげすみそしり、のけもの、孤独-同情する者も慰める者もだれひとりとしていないーゆえの苦しみと心の痛みです。
  • そんな状況の中で作者は神に呼びかけています。「私を高くしてくださるように」と。現代の日本の若者たちには「悩む力」が欠けていると言われます。「悩む力」とは、問題意識、危機意識を持つ力です。その力が希薄であるということは悩まないということであり、問題意識が希薄であるということです。
  • 詩篇の作者は、悩みの中で、主の保護を求める同時に「私は神の御名を歌をもってほめたたえ、神を感謝をもってあがめます。・・それは主に喜ばれる」(30節)ことだとしています。問題が解決してから、悩みがなくなってからではなく、そのただ中で神を賛美できることは、神によって高く上げられた証拠です。それは容易にできることではありません。
  • 肉体的な痛み、心の痛みは、ときには生きる意欲を失わせ、集中力さえ奪ってしまいます。痛みに心のすべてが集中してしまいやすいのです。しかし、詩篇の作者は神によって力づけられ(strenghth)、強められて、高くされています。傍目から見るならば、神によって「守られている」ように見えるはずです。これはやがて私たちの救い主として来られるイエスの姿を指向しています。そしてそのような姿を見て、「柔和なる者はこれを見て喜ぶ。ヤーウェを求める者よ、君たちの心は生きる」 (32節、関根訳)としています。信仰の創始者であり完成者であるイエスを仰ぎ見るとき、このことが私たちの内に実現するのです。

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【詩篇68篇】o19  指揮者のために。ダビデの賛歌。歌


psm68:1  神よ。立ち上がってください。神の敵 は、散りうせよ。神を憎む者どもは御前から逃げ去れ。

psm68:2  煙が追い払われるように彼らを追い払ってください。悪者どもは火の前で溶け去るろうのように、神の御前から滅びうせよ。

psm68:3  しかし、正しい者たちは喜び、神の御前で 、こおどりせよ。喜びをもって楽しめ。

psm68:4  神に向かって歌い、御名をほめ歌え。雲に乗って来られる方のために道を備えよ。その御名は、主。その御前で、こおどりして喜べ。

psm68:5  みなしごの父、やもめのさばき人は聖なる住まいにおられる神。

psm68:6  神は孤独な者を家に住まわせ、捕われ人を導き出して栄えさせられる。しかし、頑迷な者だけは、焦げつく地に住む。

psm68:7  神よ。あなたが御民に先立って出て行かれ、荒れ地を進み行かれたとき、セラ

psm68:8  地は揺れ動き、天もまた神の御前に雨を降らせ、シナイもイスラエルの神 であられる神の御前で 震えました。

psm68:9  神よ。あなたは豊かな雨を注ぎ、疲れきったあなたのゆずりの地をしっかりと立てられました。

psm68:10  あなたの群れはその地に住みました。神よ。あなたは、いつくしみによって悩む者のために備えをされました。

psm68:11  主はみことばを賜わる。良いおとずれ を告げる女たちは大きな群れをなしている。

psm68:12  万軍の王たちは逃げ去り、また逃げ去る。そして家に居残っている女が獲物を分ける。

psm68:13  あなたがたは羊のおりの間に横たわるとき、銀でおおわれた、鳩の翼。その羽はきらめく黄金でおおわれている。

psm68:14  全能者 が王たちをかしこで散らされたとき、ツァルモンには雪が降っていた。

psm68:15  神の山はバシャンの山。峰々の連なる山はバシャンの山。

psm68:16  峰々の連なる山々。なぜ、おまえたちは神がその住まいとして望まれたあの山を、ねたみ見るのか。まことに、主はとこしえに住まわれる。

psm68:17  神のいくさ車は幾千万と数知れず、主がその中に、おられる。シナイが聖の中にあるように。

psm68:18  あなたは、いと高き所 に上り、捕われた者をとりこにし、人々から、みつぎを受けられました。頑迷な者どもからさえも。神であられる主が、そこに住まわれるために。

psm68:19  ほむべきかな。日々、私たちのために、重荷をになわれる主。私たちの救いであられる神。セラ

psm68:20  神は私たちにとって救いの神。死を免れるのは、私の主、神による。

psm68:21  神は必ず 敵の頭を打ち砕かれる。おのれの罪過のうちを歩む者の毛深い脳天を。

psm68:22  主は仰せられた。「わたしはバシャンから彼らを連れ帰る。わたしは海の底から連れ帰る。

psm68:23  それは、あなたが、足を血に染めて、彼らを打ち砕くために。あなたの犬の舌が敵からその分け前を得るために。」

psm68:24  神よ。人々は、あなたの行列を見ました。聖所でわが王わが神の行列を。

psm68:25  歌う者が先に立ち、楽人があとになり、その間にタンバリンを鳴らしておとめらが行く。

psm68:26  「相つどうて、神をほめたたえよ。イスラエルの泉から出た者よ。主をほめたたえよ。」

psm68:27  そこには、彼らを導く末子のベニヤミンがおり、その群れの中にはユダの君主たち、ゼブルンの君主たち、ナフタリの君主たちもいる。

psm68:28  神よ。御力を奮い起こしてください。私たちのために、事を行なわれた神よ。御力を示してください。

psm68:29  エルサレムにあるあなたの宮のために、王たちは、あなたに贈り物を持って来ましょう。

psm68:30  葦の中の獣、それに、国々の民の子牛とともにいる雄牛の群れを、叱ってください。銀の品々を踏み汚す戦いを喜ぶ、国々の民を散らしてください。

psm68:31  使節らはエジプトから来、クシュはその手を神に向かって急いで差し伸ばす。

psm68:32  この世の王国よ。神に向かって歌え。主に、ほめ歌を歌え。セラ

psm68:33  昔から、いと高き天に乗っておられる方に向かい、ほめ歌を歌え。聞け。神は御声を発せられる。力強い声を。

psm68:34  神の力を認めよ。みいつはイスラエルの上に、御力は雲の上にある。

psm68:35  神よ。あなたはご自身の聖なる所におられ、恐れられる方です。イスラエルの神 こそ力と勢いとを御民にお与えになる方です。ほむべきかな。神。

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おはようございます。

さむ~。。朝はホンマ寒くなったね。

しかし、昨日仕事で判断を誤った。奥が深い・・・難しい。

もう4年目の作業だけど商品の色の味方・形状の確認の感覚がまだまだ甘いようだ。

僕は、まだまだ・・でございます。



では早速共に詩篇を。

今日僕の心に留まったのはこんな言葉。

psm68:19  ほむべきかな。日々、私たちのために、重荷をになわれる主。私たちの救いであられる神。セラ






重荷をになわれる・・・。

荷物を背負う人って誰なんだろう?


それは、僕らを創られた方。




ん・・・。

ホンマ?・・凄くない?




僕らはこんなにも凄い立場に居てる。

僕らは神様の特別な子であり、その神様の友でもあるんだから。



僕らは特別なんだ。

本当に。







問題の最中でも、僕らは恐れる事は無い。

失敗を繰り返しても、大丈夫。

何も出来なくても・・・。



だって、

僕らの神様は、僕らの重荷をになわれる方なんだから。




きっと、大丈夫。



心が否定しても、バイブル(神様)の言葉を選んで過ごせたらいいですね。
だから、大丈夫だ!と言葉を発してみませんか?




僕らは今日も大丈夫!!


神様・・

eps1:17  どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、与えてくださいますように。

eps1:18  また、心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

eps1:19  また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、が知ることができますように。



ジーザス(イェス様)の名前で
a-men.




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詩68篇「(重荷を)担う」 עָמַס アーマス

〔カテゴリー愛顧〕

19節「ほむべきかな。日々、私たちのために、重荷をになわれる主。」(新改訳)

Keyword; 「担う、負う、」 bear,  67:19のみ

  • 「になう」と訳されたアーマスעָמַס(`amas)は、旧約で9回、詩篇ではここ詩篇67:19の1回のみです。使用頻度が少なくとも神のことばには違いありません。特に、ここでのアーマスעָמַס(`amas)は、詩67篇でも重要な言葉となっています。
  • イスラエルの民はすでに主の胎内にいるときから、神の敵によって戦いを余儀なくされる運命にありました。しかし、その戦いにおいて、神がひとたび立ち上がられるならば、敵は「散り失せ」「逃げ去り」ました。逆に、神の民は神に向かってこおどりして喜びました。神の民の歴史において戦いは必然です。
  • しかし結果は、19節の「ほむべきかな」です。「日々、私たちのために、重荷を担われる主。私たちの戦いの神であられる神」と告白しています。ここでの「重荷」とは戦いのことです。この重荷を神が「担い、負って」下さるわけですから、民の側からすれば、安心して休むことができます。フランシスコ会訳は次のように訳しています。「われらの救いなる神は、われらから荷をおろす」と。
  • アーマスעָמַס(`amas)は、人に重いくびきを負わせる、ろばに荷物を負わせる、という意味で用いています(創世記33:13、列王第一12:11、歴代第二10:11、ネヘ4:7, 13:15参照)が、神が民を荷うという意味で使われている箇所は、詩67篇19節とイザヤ書46:3~4です。イザヤ書では、「胎内にいるときから荷われて(עָמַס)おり、生まれる前から運ばれた者よ(すなわち、ヤコブの家、イスラエルの家のすべての者のこと)。あなたが年をとっても、わたしが同じようにする。あなたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしが背負って、救い出そう。』と約束しています。
  • 「になう」というのは、強制的にさせられるという意味ではなく、自ら、自発的にそうするという意味です。神が私たちの重荷(戦い)をになってくださるとき、私たちははじめて安心することができるのです。主イエス・キリストは弟子たちこう言われました。
    「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたをを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎがきます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」(マタイ11:28~30)
  • イエスと共にくびきを負うならば、私たちの重荷は軽くなります。主が荷って下さるからです。この秘義を悟るならば、神の安息が私たちを支配するようになります。

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【詩篇67篇】o19  指揮者のために。弦楽器によって。賛歌。歌

psm67:1 どうか、神が私たちをあわれみ、祝福し、御顔を 私たちの上に照り輝かし てくださるように。セラ

psm67:2  それは、あなたの道が地の上に 、あなたの御救いがすべての国々の に知られるためです。

psm67:3  神よ。国々の民が あなたをほめたたえ、国々の民がこぞってあなたをほめたたえますように。

psm67:4  国民が 喜び、また、喜び歌いますように。それはあなたが公正をもって国々の民を さばかれ、地の国民を 導かれるからです。セラ

psm67:5  神よ。国々の民があなたをほめたたえ、国々の民がこぞってあなたをほめたたえますように。

psm67:6  地はその産物を出しました。神、私たちの神が、私たちを祝福してくださいますように。

psm67:7  神が私たちを祝福してくださって、地の果て果て が、ことごとく神を恐れますように。








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おはようございます。
一度寝たら起きられない。いつ疲れるコトをしたんだろう。
ただただ、老いてるだけなのかな?
さて、早速今日も詩篇を。
今日僕の心に留まった言葉はこれ。
psm67:1 どうか、神が私たちをあわれみ、祝福し、御顔 私たちの上に照り輝かし てくださるように。セラ
僕らは身体が疲れたら、寝る。
寝たら疲れが取れるから。
でも、それは、寝ることが僕らの疲れを取り除くってよりも、神様が僕らの身体をそう創られたって事。
僕らの事を知っていて
僕らの事を本気で大切に考えてくださる方。
今、僕らは大変な状況にいようとも・・・
僕らはきっと大丈夫!!
神様は僕らを哀れみ
そこがどんなに暗闇であっても、神様の御顔を照り輝かして下さるから。
本気で大変な状況。
それが、僕らの祈りを神様に向かわせる。
僕らは自分の力に頼って過ごしている。
でも、どうしようもなくなった時初めて僕らは目を上に上げ助けてと叫ぶ
神様はいつでも耳を傾けて
僕らの祈りを叶えようとされる。
大変な状況が
僕らと神様を引き合わせてくれるから。
本当の祝福が僕らに届く為に、神様は苦しみをも許してくれているのかも。
なんか・・そう思う。
御顔の輝きはどんなに僕らに希望を与えるだろう?
人が作り出すものと違う神様の祝福ってのはどんなに暖かいんだろう?
僕らはこんな機会じゃないと叫べない。
僕らは叫ぶ事が出来る。
神様に。
期待して、叫んでみたいですね。

心が否定しても、バイブル(神様)の言葉を選んで過ごせたらいいですね。
だから、大丈夫だ!と言葉を発してみませんか?




僕らは今日も大丈夫!!


神様・・

eps1:17  どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、与えてくださいますように。

eps1:18  また、心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

eps1:19  また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、が知ることができますように。



ジーザス(イェス様)の名前で
a-men.



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詩67篇「祝福する」 בָּרַך バーラフ

〔カテゴリー育成〕

1節「どうか、神が私たちをあわれみ、祝福し、御顔を私たちの上に照り輝かし」(新改訳)
6節「・・・神、私たちの神が、私たちを祝福してくださいますように。」(新改訳)
7節「神が私たちを祝福してくださって、」(新改訳)

Keyword; 「祝福する」bless, 5:12/10:3/16:7/18:46/26:12/28:6, 9/29:11/31:21/34:1/etc.

  • 主語が「神」で相手が人である場合、あるいは主語が「人」で相手が人である場合には、バーラフבָּרַך(barakh)は「祝福する」と訳されます。しかし主語が「人」で相手が神である場合には、「賛美する、ほめたたえます」と訳されます。
  • バーラフבָּרַך(barakh)は、旧約で327回、詩篇では74回、他に創世記(72回)と申命記(39回)にも多く使われている動詞です。
  • 聖書の神は「祝福の神」であり、「祝福に満ちた唯一の主権者」です。祝福を与えることをこの上なく喜びとされる方です。創造において、神は生きものを祝福され、人(男と女)を祝福されました(創世記1章22節、28節)。また神は、特別にノアやアブラハムを祝福されました。特に、アブラハムに対する祝福は、救いの担い手とされたアブラハム個人のみならず、彼を通して地上のすべての民族が祝福されることを約束されました(創世記12章1~3節、この箇所には「祝福する」という動詞が5回も使われています)。
  • 使徒パウロはエペソ人への手紙の1章3節で次のようにしるしています。
    「私たちの主イエス・キリスト父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにおいて、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。」と述べています、この節にある「ほめたたえられますように(口語訳では「ほむべきかな」と訳しています)」ということばと、「祝福してくださいました」ということばは、ギリシャ語の「ユーロゲートス」という同じことばです。さらに、この節にはもうひとつ、霊的「祝福」という名詞を使っています。ですから、この3節には3回も「祝福、あるいは、祝福する」という言葉が使われていることになります。
  • しかも、神が私たちを祝福して下さる理由、あるいは目的は、私たちが神を賛美すること、つまり「ほめたたえる」ためであれと述べています。

    ①「それは、神がその愛する方によって、私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。」(6節)
    ②「それは、前からキリストに望みを置いていた私たちが、神の栄光をほめたたえる者となるためです。」(12節)
    ③「また、・・神の栄光がほめたたえられるためです。」

  • ―このように、神の祝福と、神への賛美は循環的関係にあることが分かりますが、イニシアティヴは神の恩寵としての祝福です。
  • 詩66篇の1節にある「神への賛美を栄光に輝かせよ」とは、神からの祝福をしっかりと受け止めながら、人を祝福し、神を賛美していくことが求められているように思います。
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