僕らの重荷をになわれる方は誰?? | へなちょこ ユテコ の Don't Worry, Be Happy

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僕らは地上では「旅人」
                                          ここでは 感じるまま、気ままに、思ったままを「音楽」と共に・・・。

。。。。。。。。。。

 

【詩篇68篇】o19  指揮者のために。ダビデの賛歌。歌


psm68:1  神よ。立ち上がってください。神の敵 は、散りうせよ。神を憎む者どもは御前から逃げ去れ。

psm68:2  煙が追い払われるように彼らを追い払ってください。悪者どもは火の前で溶け去るろうのように、神の御前から滅びうせよ。

psm68:3  しかし、正しい者たちは喜び、神の御前で 、こおどりせよ。喜びをもって楽しめ。

psm68:4  神に向かって歌い、御名をほめ歌え。雲に乗って来られる方のために道を備えよ。その御名は、主。その御前で、こおどりして喜べ。

psm68:5  みなしごの父、やもめのさばき人は聖なる住まいにおられる神。

psm68:6  神は孤独な者を家に住まわせ、捕われ人を導き出して栄えさせられる。しかし、頑迷な者だけは、焦げつく地に住む。

psm68:7  神よ。あなたが御民に先立って出て行かれ、荒れ地を進み行かれたとき、セラ

psm68:8  地は揺れ動き、天もまた神の御前に雨を降らせ、シナイもイスラエルの神 であられる神の御前で 震えました。

psm68:9  神よ。あなたは豊かな雨を注ぎ、疲れきったあなたのゆずりの地をしっかりと立てられました。

psm68:10  あなたの群れはその地に住みました。神よ。あなたは、いつくしみによって悩む者のために備えをされました。

psm68:11  主はみことばを賜わる。良いおとずれ を告げる女たちは大きな群れをなしている。

psm68:12  万軍の王たちは逃げ去り、また逃げ去る。そして家に居残っている女が獲物を分ける。

psm68:13  あなたがたは羊のおりの間に横たわるとき、銀でおおわれた、鳩の翼。その羽はきらめく黄金でおおわれている。

psm68:14  全能者 が王たちをかしこで散らされたとき、ツァルモンには雪が降っていた。

psm68:15  神の山はバシャンの山。峰々の連なる山はバシャンの山。

psm68:16  峰々の連なる山々。なぜ、おまえたちは神がその住まいとして望まれたあの山を、ねたみ見るのか。まことに、主はとこしえに住まわれる。

psm68:17  神のいくさ車は幾千万と数知れず、主がその中に、おられる。シナイが聖の中にあるように。

psm68:18  あなたは、いと高き所 に上り、捕われた者をとりこにし、人々から、みつぎを受けられました。頑迷な者どもからさえも。神であられる主が、そこに住まわれるために。

psm68:19  ほむべきかな。日々、私たちのために、重荷をになわれる主。私たちの救いであられる神。セラ

psm68:20  神は私たちにとって救いの神。死を免れるのは、私の主、神による。

psm68:21  神は必ず 敵の頭を打ち砕かれる。おのれの罪過のうちを歩む者の毛深い脳天を。

psm68:22  主は仰せられた。「わたしはバシャンから彼らを連れ帰る。わたしは海の底から連れ帰る。

psm68:23  それは、あなたが、足を血に染めて、彼らを打ち砕くために。あなたの犬の舌が敵からその分け前を得るために。」

psm68:24  神よ。人々は、あなたの行列を見ました。聖所でわが王わが神の行列を。

psm68:25  歌う者が先に立ち、楽人があとになり、その間にタンバリンを鳴らしておとめらが行く。

psm68:26  「相つどうて、神をほめたたえよ。イスラエルの泉から出た者よ。主をほめたたえよ。」

psm68:27  そこには、彼らを導く末子のベニヤミンがおり、その群れの中にはユダの君主たち、ゼブルンの君主たち、ナフタリの君主たちもいる。

psm68:28  神よ。御力を奮い起こしてください。私たちのために、事を行なわれた神よ。御力を示してください。

psm68:29  エルサレムにあるあなたの宮のために、王たちは、あなたに贈り物を持って来ましょう。

psm68:30  葦の中の獣、それに、国々の民の子牛とともにいる雄牛の群れを、叱ってください。銀の品々を踏み汚す戦いを喜ぶ、国々の民を散らしてください。

psm68:31  使節らはエジプトから来、クシュはその手を神に向かって急いで差し伸ばす。

psm68:32  この世の王国よ。神に向かって歌え。主に、ほめ歌を歌え。セラ

psm68:33  昔から、いと高き天に乗っておられる方に向かい、ほめ歌を歌え。聞け。神は御声を発せられる。力強い声を。

psm68:34  神の力を認めよ。みいつはイスラエルの上に、御力は雲の上にある。

psm68:35  神よ。あなたはご自身の聖なる所におられ、恐れられる方です。イスラエルの神 こそ力と勢いとを御民にお与えになる方です。ほむべきかな。神。

。。。。。。。。。。


おはようございます。

さむ~。。朝はホンマ寒くなったね。

しかし、昨日仕事で判断を誤った。奥が深い・・・難しい。

もう4年目の作業だけど商品の色の味方・形状の確認の感覚がまだまだ甘いようだ。

僕は、まだまだ・・でございます。



では早速共に詩篇を。

今日僕の心に留まったのはこんな言葉。

psm68:19  ほむべきかな。日々、私たちのために、重荷をになわれる主。私たちの救いであられる神。セラ






重荷をになわれる・・・。

荷物を背負う人って誰なんだろう?


それは、僕らを創られた方。




ん・・・。

ホンマ?・・凄くない?




僕らはこんなにも凄い立場に居てる。

僕らは神様の特別な子であり、その神様の友でもあるんだから。



僕らは特別なんだ。

本当に。







問題の最中でも、僕らは恐れる事は無い。

失敗を繰り返しても、大丈夫。

何も出来なくても・・・。



だって、

僕らの神様は、僕らの重荷をになわれる方なんだから。




きっと、大丈夫。



心が否定しても、バイブル(神様)の言葉を選んで過ごせたらいいですね。
だから、大丈夫だ!と言葉を発してみませんか?




僕らは今日も大丈夫!!


神様・・

eps1:17  どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、与えてくださいますように。

eps1:18  また、心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

eps1:19  また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、が知ることができますように。



ジーザス(イェス様)の名前で
a-men.




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詩68篇「(重荷を)担う」 עָמַס アーマス

〔カテゴリー愛顧〕

19節「ほむべきかな。日々、私たちのために、重荷をになわれる主。」(新改訳)

Keyword; 「担う、負う、」 bear,  67:19のみ

  • 「になう」と訳されたアーマスעָמַס(`amas)は、旧約で9回、詩篇ではここ詩篇67:19の1回のみです。使用頻度が少なくとも神のことばには違いありません。特に、ここでのアーマスעָמַס(`amas)は、詩67篇でも重要な言葉となっています。
  • イスラエルの民はすでに主の胎内にいるときから、神の敵によって戦いを余儀なくされる運命にありました。しかし、その戦いにおいて、神がひとたび立ち上がられるならば、敵は「散り失せ」「逃げ去り」ました。逆に、神の民は神に向かってこおどりして喜びました。神の民の歴史において戦いは必然です。
  • しかし結果は、19節の「ほむべきかな」です。「日々、私たちのために、重荷を担われる主。私たちの戦いの神であられる神」と告白しています。ここでの「重荷」とは戦いのことです。この重荷を神が「担い、負って」下さるわけですから、民の側からすれば、安心して休むことができます。フランシスコ会訳は次のように訳しています。「われらの救いなる神は、われらから荷をおろす」と。
  • アーマスעָמַס(`amas)は、人に重いくびきを負わせる、ろばに荷物を負わせる、という意味で用いています(創世記33:13、列王第一12:11、歴代第二10:11、ネヘ4:7, 13:15参照)が、神が民を荷うという意味で使われている箇所は、詩67篇19節とイザヤ書46:3~4です。イザヤ書では、「胎内にいるときから荷われて(עָמַס)おり、生まれる前から運ばれた者よ(すなわち、ヤコブの家、イスラエルの家のすべての者のこと)。あなたが年をとっても、わたしが同じようにする。あなたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしが背負って、救い出そう。』と約束しています。
  • 「になう」というのは、強制的にさせられるという意味ではなく、自ら、自発的にそうするという意味です。神が私たちの重荷(戦い)をになってくださるとき、私たちははじめて安心することができるのです。主イエス・キリストは弟子たちこう言われました。
    「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたをを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎがきます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」(マタイ11:28~30)
  • イエスと共にくびきを負うならば、私たちの重荷は軽くなります。主が荷って下さるからです。この秘義を悟るならば、神の安息が私たちを支配するようになります。

http://meigata-bokushin.secret.jp/index.php?%E6%81%A9%E5%AF%B5%E7%94%A8%E8%AA%9EPs68

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