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【詩篇68篇】o19 指揮者のために。ダビデの賛歌。歌
psm68:1 神よ。立ち上がってください。神の敵 は、散りうせよ。神を憎む者どもは御前から逃げ去れ。
psm68:2 煙が追い払われるように彼らを追い払ってください。悪者どもは火の前で溶け去るろうのように、神の御前から滅びうせよ。
psm68:3 しかし、正しい者たちは喜び、神の御前で 、こおどりせよ。喜びをもって楽しめ。
psm68:4 神に向かって歌い、御名をほめ歌え。雲に乗って来られる方のために道を備えよ。その御名は、主。その御前で、こおどりして喜べ。
psm68:5 みなしごの父、やもめのさばき人は聖なる住まいにおられる神。
psm68:6 神は孤独な者を家に住まわせ、捕われ人を導き出して栄えさせられる。しかし、頑迷な者だけは、焦げつく地に住む。
psm68:7 神よ。あなたが御民に先立って出て行かれ、荒れ地を進み行かれたとき、セラ
psm68:8 地は揺れ動き、天もまた神の御前に雨を降らせ、シナイもイスラエルの神 であられる神の御前で 震えました。
psm68:9 神よ。あなたは豊かな雨を注ぎ、疲れきったあなたのゆずりの地をしっかりと立てられました。
psm68:10 あなたの群れはその地に住みました。神よ。あなたは、いつくしみによって悩む者のために備えをされました。
psm68:11 主はみことばを賜わる。良いおとずれ を告げる女たちは大きな群れをなしている。
psm68:12 万軍の王たちは逃げ去り、また逃げ去る。そして家に居残っている女が獲物を分ける。
psm68:13 あなたがたは羊のおりの間に横たわるとき、銀でおおわれた、鳩の翼。その羽はきらめく黄金でおおわれている。
psm68:14 全能者 が王たちをかしこで散らされたとき、ツァルモンには雪が降っていた。
psm68:15 神の山はバシャンの山。峰々の連なる山はバシャンの山。
psm68:16 峰々の連なる山々。なぜ、おまえたちは神がその住まいとして望まれたあの山を、ねたみ見るのか。まことに、主はとこしえに住まわれる。
psm68:17 神のいくさ車は幾千万と数知れず、主がその中に、おられる。シナイが聖の中にあるように。
psm68:18 あなたは、いと高き所 に上り、捕われた者をとりこにし、人々から、みつぎを受けられました。頑迷な者どもからさえも。神であられる主が、そこに住まわれるために。
psm68:19 ほむべきかな。日々、私たちのために、重荷をになわれる主。私たちの救いであられる神。セラ
psm68:20 神は私たちにとって救いの神。死を免れるのは、私の主、神による。
psm68:21 神は必ず 敵の頭を打ち砕かれる。おのれの罪過のうちを歩む者の毛深い脳天を。
psm68:22 主は仰せられた。「わたしはバシャンから彼らを連れ帰る。わたしは海の底から連れ帰る。
psm68:23 それは、あなたが、足を血に染めて、彼らを打ち砕くために。あなたの犬の舌が敵からその分け前を得るために。」
psm68:24 神よ。人々は、あなたの行列を見ました。聖所でわが王わが神の行列を。
psm68:25 歌う者が先に立ち、楽人があとになり、その間にタンバリンを鳴らしておとめらが行く。
psm68:26 「相つどうて、神をほめたたえよ。イスラエルの泉から出た者よ。主をほめたたえよ。」
psm68:27 そこには、彼らを導く末子のベニヤミンがおり、その群れの中にはユダの君主たち、ゼブルンの君主たち、ナフタリの君主たちもいる。
psm68:28 神よ。御力を奮い起こしてください。私たちのために、事を行なわれた神よ。御力を示してください。
psm68:29 エルサレムにあるあなたの宮のために、王たちは、あなたに贈り物を持って来ましょう。
psm68:30 葦の中の獣、それに、国々の民の子牛とともにいる雄牛の群れを、叱ってください。銀の品々を踏み汚す戦いを喜ぶ、国々の民を散らしてください。
psm68:31 使節らはエジプトから来、クシュはその手を神に向かって急いで差し伸ばす。
psm68:32 この世の王国よ。神に向かって歌え。主に、ほめ歌を歌え。セラ
psm68:33 昔から、いと高き天に乗っておられる方に向かい、ほめ歌を歌え。聞け。神は御声を発せられる。力強い声を。
psm68:34 神の力を認めよ。みいつはイスラエルの上に、御力は雲の上にある。
psm68:35 神よ。あなたはご自身の聖なる所におられ、恐れられる方です。イスラエルの神 こそ力と勢いとを御民にお与えになる方です。ほむべきかな。神。
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おはようございます。
さむ~。。朝はホンマ寒くなったね。
しかし、昨日仕事で判断を誤った。奥が深い・・・難しい。
もう4年目の作業だけど商品の色の味方・形状の確認の感覚がまだまだ甘いようだ。
僕は、まだまだ・・でございます。
では早速共に詩篇を。
今日僕の心に留まったのはこんな言葉。
psm68:19 ほむべきかな。日々、私たちのために、重荷をになわれる主。私たちの救いであられる神。セラ
重荷をになわれる・・・。
荷物を背負う人って誰なんだろう?
それは、僕らを創られた方。
ん・・・。
ホンマ?・・凄くない?
僕らはこんなにも凄い立場に居てる。
僕らは神様の特別な子であり、その神様の友でもあるんだから。
僕らは特別なんだ。
本当に。
問題の最中でも、僕らは恐れる事は無い。
失敗を繰り返しても、大丈夫。
何も出来なくても・・・。
だって、
僕らの神様は、僕らの重荷をになわれる方なんだから。
きっと、大丈夫。
心が否定しても、バイブル(神様)
だから、大丈夫だ!と言葉を発してみませんか?
僕らは今日も大丈夫!!
神様・・
eps1:17
どうか、私たちの主イエス・キリストの神
、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、私に
eps1:18
また、私の心の目
がはっきり見えるようになって、
eps1:19
また、
ジーザス(イェス様)の名前で
a-men.
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詩68篇「(重荷を)担う」 עָמַס アーマス
〔カテゴリー愛顧〕
19節「ほむべきかな。日々、私たちのために、重荷をになわれる主。」(新改訳)
Keyword; 「担う、負う、」 bear, 67:19のみ
- 「になう」と訳されたアーマスעָמַס(`amas)は、旧約で9回、詩篇ではここ詩篇67:19の1回のみです。使用頻度が少なくとも神のことばには違いありません。特に、ここでのアーマスעָמַס(`amas)は、詩67篇でも重要な言葉となっています。
- イスラエルの民はすでに主の胎内にいるときから、神の敵によって戦いを余儀なくされる運命にありました。しかし、その戦いにおいて、神がひとたび立ち上がられるならば、敵は「散り失せ」「逃げ去り」ました。逆に、神の民は神に向かってこおどりして喜びました。神の民の歴史において戦いは必然です。
- しかし結果は、19節の「ほむべきかな」です。「日々、私たちのために、重荷を担われる主。私たちの戦いの神であられる神」と告白しています。ここでの「重荷」とは戦いのことです。この重荷を神が「担い、負って」下さるわけですから、民の側からすれば、安心して休むことができます。フランシスコ会訳は次のように訳しています。「われらの救いなる神は、われらから荷をおろす」と。
- アーマスעָמַס(`amas)は、人に重いくびきを負わせる、ろばに荷物を負わせる、という意味で用いています(創世記33:13、列王第一12:11、歴代第二10:11、ネヘ4:7, 13:15参照)が、神が民を荷うという意味で使われている箇所は、詩67篇19節とイザヤ書46:3~4です。イザヤ書では、「胎内にいるときから荷われて(עָמַס)おり、生まれる前から運ばれた者よ(すなわち、ヤコブの家、イスラエルの家のすべての者のこと)。あなたが年をとっても、わたしが同じようにする。あなたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしが背負って、救い出そう。』と約束しています。
- 「になう」というのは、強制的にさせられるという意味ではなく、自ら、自発的にそうするという意味です。神が私たちの重荷(戦い)をになってくださるとき、私たちははじめて安心することができるのです。主イエス・キリストは弟子たちこう言われました。
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたをを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎがきます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」(マタイ11:28~30)
- イエスと共にくびきを負うならば、私たちの重荷は軽くなります。主が荷って下さるからです。この秘義を悟るならば、神の安息が私たちを支配するようになります。
http://meigata-bokushin.secret.jp/index.php?%E6%81%A9%E5%AF%B5%E7%94%A8%E8%AA%9EPs68
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