【No.696】事件現場清掃人 死と生を看取る者 高江洲 敦 飛鳥新社(2020/12) | 朝活読書愛好家 シモマッキ―の読書感想文的なブログ~Dialogue~

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読書とは――著者や主人公、偉人、歴史、そして自分自身との、非日常の中で交わす対話。
出会えた著者を応援し、
本の楽しさ・面白さ・大切さを伝えていきたい。
一冊とのご縁が、人生を照らす光になる。
そんな奇跡を信じて、ページをめくり続けています。

生まれたときも死ぬときも、自分以外の人の世話になるのは間違いありません。

例えば、食べ物。購入するにしても、作ってくれるにしても。どのようにしてお店に運んでくるのか!車で自分で運ぶとしても、その車はどうやって製造されたのか?燃料のガソリンはどこから?電気やガスが通っている、道路の整備は?病気になったときのお医者さん。お薬はどうやってもらうのか?

いずれにしても、日々の生活では自分だけではなく他の人が関わる部分がほとんどなのです。社会のみんなで責任と役割を分担しているのです。

健康なときには目を背けているけれど、病気になったときやからだの都合が悪いときにやっと気づきます。

人は決して独りでは生きていけないし、一人でも生きていないのです。

東日本大震災や度重なる災害、そして新型コロナ禍、不安と孤独に蝕まれる現代の日本の情勢から考えると、高齢の単身世帯が増えてきているから、必然的に孤独で亡くなる方、いわゆる無縁死がこれから増えていくように感じています。

若くて体が丈夫なときにはあまり思わないかもしれない。

病院で亡くなるような場合でなく、特殊清掃をしなければならないように大きな迷惑をかけないためにも、他人に気づかれるように今から世の中とできるだけ繋がっていくようにすべきです。

たとえば、共通の趣味や町内会、ご近所さんなどと付き合う等、もちろん肉親や家族とつながり続けるほうが良いと思います。

生まれてきたとき普通に祝福されてきたのに、死ぬときにはたった独りでは!

ぼくは心残りで淋しくて素直に旅立てないと思うのです。

 

著者が特殊清掃の仕事を通じて気づかれたことが、イキイキとして過ごしている人生の先輩たちが行き着いた世界と同じようだったのは、ある意味普遍的な悟りのような境地だったからでしょうか。

 

良く死ねるためには、いまを良く生きることです。

死ぬときに「よい人生だった」と思えるように生きていきたい。

そのために、友人や仲間、家族などといっしょに、ワクワクドキドキしながら、いまのこのときを、正に楽しく愉しく面白く、イキイキとして歩んでいきたいものです。

 

212P 生きることの意味

人が生きた価値は、その長さだけでは測れません。

(中略)

その人生が長くても短くても、生まれてから死ぬまでの間に、いかに愛し、愛されたのかという実感をもてるかどうかが大切だと思います。少しでも「幸せだ」と思えた瞬間があったか、死を迎えるその瞬間に「いい人生だった」と思えたか。それこそが、その人にとっての人生の価値となるのだろうと思うのです。

 

12P ある事件現場にて

殺人事件、死亡事故、自殺、病死。

さまざまな理由で住人が亡くなり、遺体が発見されないまま相当期間放置されると、その部屋は凄惨をきわめた状況となることが少なくありません。私は、人の命が失われ、遺体搬送後に死の痕跡が色濃く残された現場を清掃し、再び人が住める状態にまで完全に復旧することを生業とする「事件現場清掃人」です。遺族や、物件を所有する家主から依頼を受け、一般の清掃業者では手に負えない、いわゆる特殊清掃の現場に日々立ち会っています。

 

 <目次>

プロローグ 事件現場清掃人の仕事

第1章 誰ひとり偲ぶ人がいない孤独な死―関りを拒絶した無縁社会の姿

第2章 自ら命を絶つ人々―からだの寿命とこころの寿命

第3章 生きづらさの果てに―繊細すぎる魂と不安が命を奪う

第4章 遺族たちの愛―与え続けた者が死後与えられるもの

第5章 死後の世界―相続、供養、お墓…遺族の現実

第6章 生まれくる命―故人から子どもたちへの恩送り

エピローグ 日本から孤独死がなくなるとき

おわりに 

 

1971年沖縄県生まれ。料理人、内装業者、リフォーム会社等を経て、自殺・孤独死・殺人などの現場の特殊清掃、遺品整理、不動産処分を行う「事件現場清掃会社」を設立。著書に「事件現場清掃人が行く」