歴史家の小和田哲男さんは、戦国時代の歴史研究の第一人者。
著書は多数あり、歴史番組の出演も多いのでよく拝見しています。
NHKで現在放映中の大河ドラマ「麒麟がくる」を含め、時代考証を七度も務めておられます(ちなみに「麒麟」は令和3年2月7日まで放映されるとのことです)。
時代考証には、出演者のセリフや言葉遣いを戦国時代に実際に使われていたものか、名前の改名が多かった時代にその年月にはその名前が実際に使われていたのか、呼ばれていたのか等々その時代の史実に基づき、詳細に検証し大河ドラマをさらにリアルに反映させる玄人も唸るような重要な役割なのです。
著者講演会は、実際に同じ空間にいて、生の雄姿を近くで見えて直接会えるのが楽しい。
小和田さんの表情や声色、仕草などの非言語情報を得て、歴史をさらに深く理解できる愉しみがあります。また著書に直接サインがもらえるのも参加のメリットです。
明智光秀は、本能寺の変で主君織田信長を討った人物として、また大河ドラマの主人公になるくらいに昔から人気があります。
また、出自に謎が多い武将です。
将軍足利義昭の近習であったのは古文書に書かれてあります。
小和田さんによると、享禄元年1528年(岐阜県可児市瀬田)明智城生まれ。父は、光綱。土岐氏の流れをくむ人物だそうです。
さて、光秀は、本能寺の変のとき、55歳でした。
本能寺の変の真相は、従来怨恨(パワハラ)説や野望説、朝廷などの黒幕説などがあったが、信長が部下の斎藤利三や四国の覇者長宗我部元親との約束を反古したことで「四国問題説」の支持者が現在は多いと言います。
光秀単独犯説や主犯存在説、黒幕存在説など、それぞれに歴史家が主張している五十もの説があります。
小和田先生の説は、
「暴君誅伐説」-正親町天皇への侮辱や現職太政大臣の近衛前久への暴言、天皇から信任が厚かった国師号をもつ快川紹喜の焼殺など、織田信長の非道を阻止することが狙いだったのではないかと書状を根拠にしながら話しておられました。
歴史は、勝者側が作るものと言われています。
勝った側があとで都合がよいように言えるからです。
負けた側や中立の立場で書かれた日記などが出てきたら根拠がかわるかもしれません。
今までの通説であった軍記物や歌舞伎で演じられた怨恨説ではなく、信長の非道を阻止する意味だったのかと聞くとその説もありなのかと勉強になりました。
伝え聞いた話やこうであったらよいという想像ではなく、書状、日記などの証拠から、また新たな真実を発見して、歴史を事実で判断していってほしいと思います。
これからの大河ドラマを見るのが楽しみです。

