【No.571】劔岳<点の記>新装版 新田次郎 文藝春秋(2006/01) | 朝活読書愛好家 シモマッキ―の読書感想文的なブログ~Dialogue~

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一冊とのご縁が、人生を照らす光になる。
そんな奇跡を信じて、ページをめくり続けています。

徒然なるまま、引用したり感想などを書いてみた。

・新田次郎氏が書く前に立山連峰を登って視察して調査している準備周到さに共感することができた。

・測量士や登山家など分かる人、身近な人たちにとっては、楽しくて面白すぎる記録だろうか。

・点の記とは、本来、三角点設定の記録。基準点の設置・測量の記録。

・劔岳は“弘法大師が草鞋三千足を使っても登れなかった”地元富山で“登れない山、登るべき山ではない”と言われ、立山信仰では地獄の針山に喩えられていた険しい山。

・実際に劔岳に登頂するまでの流れは緻密かつ淡々と描写されていた。登るまでは長い道のりだった。

・現在と比べると気象環境は変わらず、生活環境や衣類、装備、機器などはるかに劣っている状況で、その当時に劔岳登頂という偉業が行なれたことに驚いた。

・登頂前の入念な調査と必要品装備品の準備、県庁や地元芦峅寺などへの気配りはいつの時代も変わらないだろう。

・登頂という偉業そのものよりも、測量という仕事を通じて形成される、男たちの信頼関係や絆といったものに焦点が当てられていた。

・競争相手だと思っていた山岳会が唯一純粋な気持ちで柴崎の功績を称える手紙をよこしたところや、柴崎が軍内部からのプレッシャーや民間団体である日本山岳会との競争、地方役人の横柄さ、過酷な山岳自然に苦しみながらも、冷静な分析を怠ることなく、側夫などの仲間たちの協力の下、少しずつ山頂へ近づいていくリアルさが心地よかった。

・柴崎測量官のマネジメント術は、学ぶべきところがあった。測夫との信頼関係を築けたのが成功の要因。登頂に至るまでのそのときそのときの判断力や指示力も生死につながる重要な要素だった。

・与えられた仕事を着実にこなす職務を背負った責任感、忍耐強さ、困難に立ち向かう潔さ、登頂を成功に導いた男たちのロマンがあった。

 

 

今年一年もありがとうございました。

良い年をお迎えください。

 

 <目次>

第一章 未踏の霊峰

第二章 地形偵察

第三章 測量旗

第四章 日暈

越中劔岳を見詰めながら

参考文献

 

1912(明治45)年、長野県上諏訪生れ。無線電信講習所(現在の電気通信大学)を卒業後、中央気象台に就職し、富士山測候所勤務等を経験する。1956(昭和31)年『強力伝』で直木賞を受賞。『縦走路』『孤高の人』『八甲田山死の彷徨』など山岳小説の分野を拓く。次いで歴史小説にも力を注ぎ、1974年『武田信玄』等で吉川英治文学賞を受ける。1980年、心筋梗塞で急逝。没後、その遺志により新田次郎文学賞が設けられた。実際の出来事を下敷きに、我欲・偏執等人間の本質を深く掘り下げたドラマチックな作風で時代を超えて読み継がれている。(新潮社HPより引用)