【No.569】人生ムダなことはひとつもなかった 橋田壽賀子 大和書房(2019/11) | 朝活読書愛好家 シモマッキ―の読書感想文的なブログ~Dialogue~

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そんな奇跡を信じて、ページをめくり続けています。

橋田さんが手がけるドラマを見ながら応援しているファンとして、

この文章は読んでいて清々しくも納得できる内容だった。

154P

人は人を殺してはいけない。だから私は殺人事件をテーマとしたドラマを書いたことがない。

 

脚本家の橋田壽賀子さんの生い立ちから学生時代、結婚を経て現在に至るまでの波乱万丈の山あり谷あり的な自叙伝だった。

橋田さんという人間が、夫の死や戦争、就職など、そのときそのときどのように考えて生き抜いてきたのかがわかる貴重な本だった。

広く世界でも放送されたNHK朝ドラ「おしん」や1990年から今も続いている「渡鬼」TBSドラマ「渡る世間は鬼ばかり」など彼女が手がけた作品は、際立って光り輝いて凄みがあり、心に訴える迫力は大きい。

 

1983年に放送されたこの「おしん」を通じて伝えたかったこと。

122P

あのころの日本人は金儲けに走りすぎて、本当の自分を見失っていなかったか、金儲けと人としての幸せの区別がつかなくなっていなかったか。私はおしんを通じてそう言いたかった。だからドラマは、おしんが過去の自分を見つめ直すシーンからはじめたのだった。

昭和のあのころの日本はある意味なにかしら浮かれていたのではないかと。

物の豊かさを求めずぎて、こころの豊かさというものをどこか過去に置いてけぼりにしていたのではないかということを言いたかったのではないかと思った。

橋田さんのような大観したおとなの眼で、後に追従している後輩たちに世の中を良くするような苦言を大いに呈してほしい。

ぼくらはその話を素直に聞く耳を持って、徐々に明るい変化の兆しが見える行動をしていきたいものだ。

 

 <目次>

はじめに

夫の死―病名「肺がん」は明かさず

ソウル生まれ―幼いとき両親と離れ「捨てられた」

3度の転校―堺の小学校でいじめ

堺高女―作文は苦手、母の代作が入賞する

丸めがね―容姿を悲観、友人は持たず ほか

“50年前の結婚挨拶状”

 

 

1925(大正14)年、京城(現在のソウル)生まれ。日本女子大学校卒、早稲田大学中退。

1949(昭和24)年、松竹脚本部に勤務。1959年、フリーの脚本家に。1966年、TBSプロデューサーの岩崎嘉一氏と結婚。1989(平成元)年、死別。TBS東芝日曜劇場、NHK朝の連続テレビ小説、大河ドラマ、銀河テレビ小説をはじめ、手がけた脚本は数えきれない。中でも1983年に放送されたNHK朝ドラ「おしん」は大反響を呼び、広くアジアでも放送される。

NHK放送文化賞、菊池寛賞、勲三等瑞宝章などを受賞・受勲。1992年橋田文化財団設立、理事長に就任。2015年、脚本家として初の文化功労者に選出される。