昭和3、4年ごろ。千葉県の浦安に住んでいたときの生活とそこでの見聞がベースとなって書かれた小説だった。
当時、お金がなくその日の食事にも困るくらいに赤貧だった。ラブレターの代筆などで生計を繋いでいたという。
舟宿主、漁師、船頭、船長、女中、エンジナー、薬の外交員等々、彼の小説の原点ともいうべき庶民の目線を捉えていた。
喜怒哀楽。その土地で一生懸命に生きている人々のありのままの姿を見て、
素をさらけ出した面白き日を過ごし、
したたかに生きていくる術を知ったのだろう。
直線上にある目標に向かうのではなく、失敗と成功を繰り返し目の前にある為事(しごと)をコツコツとやるだけ。
そうすることで、パッと前が開いていき次にやりたいことが見つかるのだ。
それから自分の可能性も広がっていくことを有難くも教えていただいた。
「自分を理解してくれる人が読めばいい。ぼくの作品は死んだ後に売れる」
昭和42年死去、享年63歳だった。
亡くなる10時間まえまでペンを握っていたという。
「人間の真価は、彼が死んだとき何を為したかではなく何を為そうとしたかである」
この言葉に作家山本周五郎さんの生き方が集約されるものと感じた。
<目次>
はじめに
「青べか」を買った話
蜜柑の木
水汲みばか
青べか馴らし
砂と柘植
人はなんによって生くるか
繁あね
土堤の春
土提の夏
土提の秋
土提の冬
白い人たち ほか
注釈
山本周五郎と私 沢木耕太郎
解説 服部康喜
1903‐1967。山梨県生れ。横浜市の西前小学校卒業後、東京木挽町の山本周五郎商店に徒弟として住み込む。1926(大正15)年4月『須磨寺附近』が「文藝春秋」に掲載され、文壇出世作となった。『日本婦道記』が’43(昭和18)年上期の直木賞に推されたが、受賞を固辞した。
