「死んで いない者」なのか、
「死んでいない者」なのか。
ぼくの葬式にはこんなに集まってくれるのだろうかと思った。
冒頭の文章は、秀逸。
人が亡くなったあとの哀しみの表現力、そのときの雰囲気がうまく表現されていて、すぐにこのなかに引きこまれ終わりまで読もうと思った。
3P
押し寄せてきては引き、また押し寄せてくるそれぞれの哀しみも、一日繰り返されていくうち、どれも徐々に小さく、静まっていき、斎場で通夜の準備が進む頃には、その人を故人と呼び、また他人からその人が故人と呼ばれることに、誰も彼も慣れていた。
人は誰でも死ぬのだから自分もいつかは死ぬし、次の葬式はあの人か、それともこちらのこの人かと、まさか口にはしないけれども、そう考えることをとめられない。むしろそうやってお互いにお互いの死をゆるやかに思い合っている連帯感が、今日この時の空気をわずかばかり穏やかなものにして、みんなちょっと気持ちが明るくなっているようにも思えるのだ。
家系図を描きながら読み進めれば、頭のなかを整理できればもっと愉しめるのだ。
5人の子供夫婦や10人の孫、3人のひ孫など、死んでいない者たちが出てくる。
世代の違いによる様々なギャップがあり、
お互いに不思議な距離感もあり、
はっきりとした個性もあり。
次々に彼らの視点で語られる。
彼らの気持ちを表わす描写がうまいと思った。
126P
自分よりも弱い者を前にしただけで、まるで自分が強い者であるかのように振る舞わなくてはならないことになり、一緒に弱くなれない。変わらず自分も弱く愚かで、もしかしたらお前たちとほとんど変わらないか、もしかしたらお前たちよりも簡単に逃げてしまうことができるのだから本当はもっと弱いのかもしれない。けれども逃げることを知らぬお前たちは逃げて虚勢を張ってる俺を強いかのように頼ってくるから、俺も強い者であるかのように振る舞うが、俺には何も、お前たちの頼りにできるようなものなどない。
1982年東京都生まれ。埼玉県育ち。2011年「楽器」で第43回新潮新人賞受賞。14年『寝相』で第36回野間文芸新人賞候補。15年『愛と人生』で第28回三島由紀夫賞候補、第37回野間文芸新人賞受賞。同年「ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス」で第153回芥川賞候補
