【No.334】職業としての小説家 村上春樹 スイッチ・パブリッシング(2015/09) | 朝活読書愛好家 シモマッキ―の読書感想文的なブログ~Dialogue~

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そんな奇跡を信じて、ページをめくり続けています。

 

 

表紙の写真が、カッコイイ。

 

数十年に渡って多くの本を出版されています。

村上春樹さんの本は手に取りますね。

今月24日「騎士団長殺し」も発売されましたが、自分のペースで丁寧に書かれているのがすごいな。

 

世界に翻訳されるなど職業小説家として世の中に多くの影響を与えています。

そんな村上春樹さんをリスペクトするのは当然かな。

 

 

村上さんのことを知りたくて読みました。

彼を知るためには、その彼について書かれた本を読めばいいなと。

彼自身が書いた自伝があればなおさらそれがよい。

本人の言葉で書かれてあることが大切。

何を考えて今までどのように生きてきたのか興味があり。そういうときに手に取った本です。

彼のこころに少し寄り添えるような内容でした。

 

 

村上さんの生き方を垣間見て思ったことです。

村上さんも一人の人間なのだな。

考えながら悩みながら人生を歩んでいることを。

流されずに自分の考えを貫く姿勢、いくつになっても自分の幅を広げようとするフロンティア精神などは、平凡なぼくにも十分に見習うべきことが多いなあ。

 

 

 

あとがきより

308P「つまりこれらは出版社から依頼を受けて書いた文章ではなく、最初から自発的に、いわば自分自身のために書き始めた文章だということになる」

310P「これらの『語られざる講演録』を文章のかたちで出したのは、これまであちこりで述べてきたことを、系統的にひとところに収めたいという意味合いもあったからだ。小説を書くことに関する、僕の見解の(今のところの)集大成みたいなものとして読んでいただければと思う。」

 

 

 

311P

「本書は結果的に『自伝的エッセイ』という扱いを受けることになりそうだが、もともとそうなることを意識して書いたわけではない。僕としては、自分が小説家としてどのような道を、どのような思いをもってこれまで歩んできたかを、できるだけ具象的に、実際的に書き留めておきたいと思っただけだ。とはいえもちろん、小説を書き続けるということは、とりもなおさず自己を実現し続けることであるのだから、書くという作業について語り出せば、どうしても自己というものについて語らないわけにはいかない。」

 

 

312P

「でもたまたま小説を書くために資質を少しばかり持ち合わせていて、幸運みたいなものにも恵まれ、またいくぶん頑固な(よく言えば一貫した)性格にも助けられ、三十五年あまりこうして職業的小説家として小説を書き続けている。そしてその事実はいまだに僕自身を驚かせている。とても深く驚かせる。僕がこの本の中で語りたかったのは、要するにその驚きについてであり、その驚きをできるだけピュアなままに保ちたいという強い思い(たぶん意志と呼んでもいいだろう)についてである。僕のこの三十五年間の人生は結局のところ、その驚きを持続するための切々たる営みであったかもしれない。そんな気がする。」

 

 

 

 <目次>

第一回 小説家は寛容な人種なのか

第二回 小説家になった頃

第三回 文学賞について

第四回 オリジナリティーについて

第五回 さて、何を書けばいいのか?

第六回 時間を味方につける―長編小説を書くこと

第七回 どこまでも個人的でフィジカルな営み

第八回 学校について

第九回 どんな人物を登場させようか?

第十回 誰のために書くのか?

第十一回 海外へ出て行く。新しいフロンティア

第十二回 物語があるところ・河合隼雄先生の思い出

あとがき

 

 

◎1949年生まれ。作家、翻訳家。著書に「1Q84」「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」「女のいない男たち」など多数。

 

 

 

 

26P

二十年、三十年にもわたって職業的小説家として活躍し続け、あるいは生き延び、それぞれに一定数の読者を獲得している人たちには、小説家としての、何かしら優れた強い核のようなものが備わっているはずだと考えるからです。小説を書かずにはいられない内的なドライブ。長期間にわたる孤独な作業を支える強靭な忍耐力。それは小説家という職業人としての資質、資格、と言ってしまっていいかもしれません。

 

 

 

67P

「真の作家にとっては、文学賞なんかより大事なものがものがいくつもある」ということでしょう。そのひとつは自分が意味のあるものを生み出しているという手応えであり、もうひとつはその意味を正当に評価してくれる読者がきちんとそこに存在するという手応えです。そのふたつの確かな手応えさえあれば、作家にとっては賞なんてどうでもいいものになってしまう。そんなものはあくまで社会的な、あるいは文壇的な形式上の追認に過ぎません。

 

 

 

◎159P

自分の書いた作品が優れているかどうか、もし優れているとしたらどの程度優れているのか、そんなことは僕にはわかりません。というか、そういうものごとは本人の口からあれこれ語るべきことではない。作品について判断を下すのは言うまでもなく読者一人ひとりです。そしてその値打ちを明らかにしていくのは時間です。作者は黙してそれを受け止めるしかありません。今の時点で言えるのは、僕はそれらの作品を書くにあたって惜しみなく時間をかけたし、カーヴァーの言葉を借りれば、「力の及び限りにおいて最良のもの」を書くべく努力したということくらいです。どの作品をとっても「もう少し時間があればもっとうまく書けたんだけどね」というようなことはありません。もううまく書けていなかったとしたら、その作品を書いた時点で僕にはまだ作家としての力量が不足していた―それだけのことです。残念なことではありますが、恥ずべきことではありません。不足している力量はあとから努力して埋めることができます。しかし失われた機会をとり戻すことはできません。