インスタグラムやフェイスブック、ツイッターなどのSNSをやってきて、ふとしたところで今まで疑問がこころになかに隠れていました。
かかっていた霧のようなものがすこし晴れてきたような思いがします。
200P
というのも、SNSが「個」の発信ではなく、結果として「集団」への従属を促進する装置のように見えるからです。「私」を伝えているように見えながら、実は「皆」に溶けこむために発信されている言葉、それによって組む立てられるのが、SNS思考です。
人は、ある集団に属していますが、所詮、「個」人です。
勇気を持って、個でいることを恐れてはいけないな。
このようななかにいても、「物思いにふける」「考えこむ」という人として不可欠な贅沢を、自分ができる範囲でこれからも享受していきたい。
202-203P あとがき「物思いにふける」ということ
(スマホなどSNSでの会話により)人それぞれ頭の中は音のない喧騒に包まれています。気が休まることはない。情報による一種の興奮状態が一日中、持続しているともいえます。それがスマホ社会です。
こうして騒々しい時間の流れの中で、一人でいること意味を、人は忘れつつあるようです。というより、スマホから離れて一人で何かを思い、考え、思索することを恐れているようにさえ感じます。だからいつも誰かとつながり、みんなの輪の中にいようとするのではないでしょうか。
(中略)(スマホから離れると)わくわくする頭と心の体験ができるかもしれません。
スマホと言う手の平サイズの道具は、ますます人と人との関係や社会の様相を変えていくことになると思います。そして何よりも私たち自身の中身が変化するでしょう。
「物思いにふける」「考えこむ」という行為は、スマホ社会ではマイナスイメージをもちますが、これはもっとも高度な生き物としての証であり、人間として不可欠な贅沢の一つです。
<目次>
プロローグ いまこそスマホ断食を
第一章 私の思い出はスマホには収まらない
第二章 データに分解された私を誰かが見ている
第三章 ネット社会の匿名性
第四章 ネットでは「盗み」は知的作業なのか
第五章 自己愛が「祭り化」で加速する
第六章 「見られたい」という欲望
第七章 ネット動画とのつきあい方
第八章 ネットが人を萎縮させる
第九章 紙の本が思考を鍛える
第十章 スマホから逃れて自分を取り戻す
あとがき 「物思いにふける」ということ
◎1955年福岡県生まれ。92年「運転士」で第107回芥川賞受賞。ほかの著書に「検索バカ」「ネットで「つながる」ことの耐えられない軽さ」など
199-200P
読むという行為は文を通して考え、自分と向き合うということですし、書くということはまぎれもなく自己との対話にほかなりません。一方、ネットでメッセージを発信するのは何より誰かとつながるということを目的とします。「つながり」「絆」を強調する最近の社会的風潮は、SNS的な価値観のあらわれでもあります。紙に記された書き言葉は「私」に属していますが、ネット上に行き交う言葉は「皆」に属しています。
一方、「私」の側にある言葉は、ときに自分の奥深くに分け入って苦闘したり、また真理を解き明かそうと、時間をかけて言葉を費やしながら努力しますが、「皆」の側にあるネット言葉は他人とつながるための道具として使用されるだけです。道具だから、その言葉自体が重要なのではなく、相手を瞬間的に引きつけるロープとして必要なものであって、用がすめばすぐにいらなくなるのです。
また従来の書き言葉は、本のようにいったん記されると長い間そこにとどまりメッセージを発信しつづけます。書き言葉は少しずつ蓄積されていくのですが、ネット言葉は「流れ」のなかにあります。これはストックとフローの関係だといっていいでしょう。書き言葉が、「私」の中に掘られた井戸に溜まっていくとすれば、ネット言葉は「皆」の間を川のようにながれていく。SNSで発信した言葉は、一年もたてば記憶に残っていることはまずありません。