ぼくは、井沢さんが教えてくれる歴史の事実を聞いてなるほどなと思いますよ。
というのは、彼は、断片だけで起きる出来事として歴史を判断しているのではないから。
「こんな先生がいたらよかった!」
「こんな先生に歴史を教わりたい!」
「こんなひとと歴史談義を交わしたい!」
2-3P
「ではなぜ私が気がついたかといえば、常に世界史を視野に置き、外国と比較しているからである。また日本史の他の時代とも比較している。
専門家は自分の専門の時代しか知らないが、私は古代史から現代史まですべての日本史を視野に置いている。だからこそ専門学者には見えないものが見える。」
戦国時代には、たくさんの英傑が出現しました。
だからこそ学んでいても面白い時代だ。
井沢さんのように歴史を鳥の目を持って全体を眺める考えに共感します。
特定の時代を専門にするよりも、物事を客観的に見ることができる目を持つために、全ての歴史を視野に置いて判断をしてほしいと。その人の意見のほうがしっくりときて理解する方策となります。
歴史は、ひと時の点だけで起きているのではなく、線と線となってつながっているものなのです。
その出来事が起るための原因があって理由があるからこそ、その結果が確かに生まれてくるのです。
<目次>
「知ってるつもりの歴史」まえがきに代えて
第1章 なぜ、乱世は始まったのか―きっかけは信長の先駆者・足利義教の暗殺
第2章 戦国大名たちへの誤解と真実―今の常識と昔の常識で歴史を見る
第3章 武田信玄の天下取りの限界―あと十年生きていれば、どうなっていたか
第4章 なぜ、上杉謙信は「正義」を貫いたのか―毘沙門天への信仰と関東管領としての誇り
第5章 信長の大いなる野望―なぜ、他の戦国武将は信長に勝てなかったのか
第6章 信長は今なお誤解されている―宗教に対する無知が歴史を見えなくさせる
第7章 「本能寺の変」の謎―黒幕はいたのか、明智光秀の単独犯行か
◎1954年愛知県生まれ。早稲田大学法学部卒業。TBS報道局の記者時代に「猿丸幻視行」で江戸川乱歩賞受賞。退社後、執筆活動に専念。その他の著書に「戦国軍師列伝」「穢れと茶碗」など。
58P
(応仁の乱など)なぜ将軍位をめぐる争いが全国的争いに拡大してしまったのか。それは、どの大名家も相続争いを抱えていたからです。
101P
信長以前の戦国大名は、全員「身分の差」の前に膝を突き、天下人になることは愚か、身分の壁を乗り越える可能性すら考えなかったのです。
102P
今川義元も「天下」などまるで考えていませんでした。桶狭間の戦いも、信長以前の大名が積極的に行っていた、自国の領土拡大のための戦いだったのです。
174P
謙信の「単騎乗り込み」は、謙信の人柄や信仰、謙信の冷静な状況判断から私は事実だった可能性は高いと思っています。
242P
最大の理由は、日本の歴史学者に宗教に対する興味と知識がないからです。
歴史学者でもない、いわば門外漢の私が歴史について書き始めたのも、もとを質せば、歴史のプロである歴史学者が日本史に対する宗教の影響を無視していることに憤慨したからです。
249P
比叡山や本願寺といった武装宗教団体に武装解除を求めたということは決して信長だけの思想ではなく、寺が武装して、互いに武力行使をしあっていることは、僧侶として、宗教団体として、あるまじき破戒行為だったということが、すでに武家社会の常識だったということです。
282P
信長は安土城を戦争拠点としての「城」として建てたのではなく、「信長教の神殿」として建てたのではないかと思っています。
信長は、天皇家が築いた「平安京」に対抗する形で、琵琶湖の対岸に、「平安楽土」(「安土」)を築いて見せたのでしょう。
315P
なぜ「信長の光秀いじめ話」がまことしなやかに語られてきたのかというと、光秀が反乱を起こす理由がよくわからないからなのです。
光秀を決断に追い込んだのは、四国長宗我部問題であり、家老の斎藤利三がこの問題に深く関わっていたというのが真実に最も近いのではないかと思っています。
