94P「名無しでやって来たナナフシに似た娘の七不思議」
家族も仕事も希望も失った男が行きつくところは?
下の下の地の底の底まで舐めるような経験をした人は、こんなに強く生きられるものなのか!
経験したことがない人にはよくわらない。
誇りを無くした男と夢を失った少女が偶然に出会う。
深尾と彩弓は、愛情と夢を介して持ちつ持たれつの親子のような関係となる。
まったくの他人同志で、ここまで相互に相手に介入できたら素敵。
なんとも暗い話だが、だんだんと中に引き込まれる。
自分のそばに守ってあげたい人がいると、どんなに不遇に会っても、出口を見つけて再生が出来る。
ここで終わりだと思ったら、そこで終わりなのだ!
男はどん底から立ち上がり、かつて自分が活躍していた金融市場で再生をしていく。
大事なものを亡くした人が、なんとか夢を叶えるように努力する姿は、見ていてすがすがしい。
「ナナフシのように何度も蘇生する」
おわりには感動するドラマがあり読後感は良い。
<目次>
プロローグ
第一章 自切
第二章 擬態
第三章 生餌
第四章 脱皮
第五章 再生
第六章 飛翔
エピローグ
◎1951年生まれ。米国系金融機関で債券ディーラーなどを経て、作家に転身。「天佑なり」で第33回新田次郎文学賞を受賞。ほかの著書に「日本国債」など。
105P
その昔、深尾がもっとも輝いていた時代は、たしかにここに存在した。あの事件から七年間、屈辱的などん底を舐め、頑なまでに背を向けて、見ない振りを決め込んでいた世界である。小さく小さく折り畳んで、二度と開かぬように固く封印し、過去のなかに深く葬って、近づくことも、思い出すことすらもみずからに禁じていたあの錬金術だ。
254P
夢に飢えた男が、みずから仕立てた夢に染まって、酔っている。娘に便乗して、夢のおこぼれを欲しがっている。だが、それをただの夢で終わらせないためには、明日からはやるべきことが山のようにある。
それでいいではないか。深尾は思った。誰しも孤独から逃れたいと願う権利はあるはずだ。彩弓と二人で救われたい。夢を追いかけてみたい。たとえそれがつかのまの、どんなに儚いものであったとしても、誰がそれを責められるものか。
深尾は、久し振りに彩弓と二人で声をあげて笑っている自分に気がついた。
318P
塩の街、ザルツブルグ。この街と、このナナフシがいたからこそ、深尾は蘇生した。もしかしたら、ナナフシの前脚のように、そのうち娘の右腕も本当に再生するのではないか。サングラスを外し、目を射るようなヨーロッパの夏の光を顔いっぱいに浴びながら、深尾は心の底から湧きあがってくるような晴れやかな笑みを浮かべた。
