情景が目に浮かぶように、杉山さんの言葉が綺麗だと思います。
例えば、動物と触れ合うと、交感神経を穏やかにし副交感神経が刺激されるなどして血圧が下がってくるよい効果があることを聞いています。
犬は言葉がしゃべれなくても、表情や体のぬくもりを通じて飼い主と気持ちが通じ合うものなのです。
「私(夫)と、妻と」だけでは、けっして救われないのです。
「妻の犬」が、当事者でしかわからない夫婦間の危機を回避させてくれるのですよ。
しばらくの間、ほのぼのと時間が過ぎていきます。
しかしながら、やっぱり最後は……。
こうなってしまうのか!?
読んで見られたらわかりますよ。
中年の男の心の危機を描く哀愁の物語。
◎27p
子供はよちよち歩きができるようになった頃から四つや五つくらいまでが可愛い盛りで、その後の親としての苦労は、可愛い盛りの可愛さを親としてまるごと楽しませてもらったある種のツケのようなものだ。と誰かが書いていたのを読んだことがある。親になったことがない私にも、なんとなくわかったような気にさせてくれる言葉だった。
◎112P
会えなくなれば、当然のことながら時間の経過とともに相手の存在はどんどん薄れて記憶から抜け落ちていく。
時間が距離を決定づけることというのはひとつの真理なのだろう。もちろん会っている時間が多ければ距離が縮まるのかと言えば、それは会っている時間の密度、質によって変わってくるのだろうが、ひとたびその時間がゼロになり、ゼロのまま封印されてしまったら、二人をへだてる距離は限りなくひらいていく。
◎240P
半年ほど前、やはりこの緑道の人口で、さわってもいいですか、と聞いてきた女の子だ。そのときはたしか、つば広の紺の制帽に同色のセーラー服を着ていたはずだが、季節を先どりしてもう衣替えをすませているのだろう。五月のみずみずしい日差しの中、女の子の夏服は、撮影に使うレフ板でも当てたみたいにきらきらと無数の光の粒子をまとい、まわりの風景から何倍もの明るさで、くっきり浮き立って見える。女の子が駈けてくる方から、初夏のさわやかな香りが運ばれてくるようだった。
◎1952(昭和27)年東京生まれ。一橋大学社会学部卒業後、読売新聞記者を経て著作活動に入る。86年『メディアの興亡』で大宅壮一ノンフィクション賞、96年『兵士に聞け』で新潮学芸賞を受賞
