あの明智光秀の子孫が書かれた本です。
例えば、勝者側は物事を誇大化したり歪曲化したりするなどいとも簡単で可能に思われます。
織田信長・徳川家康連合軍と武田勝頼が争ったあの「長篠の戦い」の勝利が、実は大きく吹聴されたことを「BS番組、英雄たちの選択」で歴史家の磯田道史さんらから教えていただきました。
それは、当たり前なのでしょうが、現在にはあまり残らない、残ると伝えた自分の身が危うくなるからでしょうか。
あまりにも敗者側、そして中立的な立場側から伝わってくる歴史が少なすぎるというような思いがあります。
勝者側、敗者側そして、中立的な立場の書物などによって、その歴史の真実は、本当はどうだったのかを客観的に、多面的に自分で判断していきたいのです。
それが歴史から学ぶということになるのではないかなと思います!
敗者側から語る歴史から、赤裸々な真実がすこしでもわかるのでないかと思い、ぼくはとても惹かれるのです。
<目次>
プロローグ 問題だらけの本能寺の変の定説
第1部 作り上げられた定説(誰の手で定説は作られたか、定説とは異なる光秀の経歴、作られた信長との不仲説)
第2部 謀反を決意した真の動機(土岐氏再興の悲願、盟友・長宗我部の危機、信長が着手した大改革)
第3部 解明された謀反の全貌(本能寺の変はこう仕組まれた、織田信長の企て、明智光秀の企て、徳川家康の企て、羽柴秀吉の企て)
第4部 叶わなかった二つの祈願(祈願「時は今あめが下なる五月かな」、祈願「国々は猶のどかなるとき」)
エピローグ 本能寺の変の定説を固めた国策
◎1947年生まれ。
明智残党狩りの手を逃れた光秀の子・於寉丸(おづるまる)の子孫。
慶應義塾大学大学院工学研究科修士課程修了後、大手電機メーカーに入社。一貫して情報システム分野で活躍する。
長年の情報畑の経験を活かした「歴史捜査」を展開し、精力的に執筆、講演活動を行っている。
日本歴史学会会員。土岐会会員。情報システム学会員