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GURSKY, Andreas

最近放置プレイがつづいていて、TKCにけつたたかれた感じがしたので更新します。まぁ特に何かしているようで何もしていないから書くことないんだけど・・・。久しぶりに何を書こうかネタを考えた結果、ある写真家についてかいてみたいと思います。

アンドレアス・グルスキーというドイツのライプチヒ生まれの人です。彼の写真は個人的に凄く好きなタイプで、雰囲気が好きというよりコンポジションとその被写体から生まれる結果が良いんだと思う。"Architecture"という作品集をみたんだけど現代ぽいなぁーとただただうなずくばかり。藤村さんのスーパーマーケットの写真はご存知かと思いますが(空間内に上層{価格が並ぶ}と下層{商品が並ぶ}が存在しているやつ)、そんな写真ばっかりなんですね。それに水平・垂直でパチンととっていて客観性が非常にでていて現実を一歩ひいてとっている。これは彼がベッヒャー夫婦の下にいたということもあるらしいのですが・・・。そんな彼が表現しているものとは個人が巨大消費社会の中でとじられた空間で意味を与えられている状況とのこと。個人的には意味というか役割を与えられていると思うのですが、閉じられた空間というのは良い。建築をやっていて空間については敏感なほうになった。最近はテレアポのバイトをしているため凄く彼の意図が感じられる。自分も該当していてオフィスビルのワンフロアのなかでブースが画一的に並ぶ(閉じられた空間)なかでひたすら顔のみえない人間と話をしている(役割)。そこで受注をとれという役割を与えられている。人々同士は仕事上でしか付き合いはない(閉じられた空間)。黙々と唯電話をかける(役割)。そして仕事上の話をして休憩時間をやりすごし〔閉じられた空間〕、家に帰れば幻想にふける。孤独な個人が集合したって結局は孤独な群集になるのがおちなのだ。そんな現実を感じているから私は彼のとる写真が好きなのだ。ある枠組みから外れると疎外感を感じるのは、現実社会が閉じているからなのかもしれないだろう。宙ぶらりんなライフスタイルをしているからそんなことを考えることが多くなったのだ。社会的な空間についての言及だろう。


写真家についてとは違うが、ビルの中にはそんな空間があることについてはその極端さが面白いけど、少し寂しいと思う。もともと田舎に生まれた自分にとっては外で接するのが当たり前でマンションのような空間とはほとんど無縁であった。建築を感じるときも自分の体験と比較して考えることが多いのだ。野菜の栽培の温室のようなものだろう。気が狂いそうになる。現在不可視なビルの内部を可視化するだけでも表情は変わってくるなとつくづく思う今日この頃だが、今そんなことは既に考えられているなと思う、都市のヴィジュアルイメージのような幻想を。


ブログの改行が上手くいかないので今回は勘弁してください。