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自由について

自由であるということは、なにかから逸脱することで得られる性的快感に近いと思う。そしてそれはサディズムのような快感に似ており、理性を失った人間の状態なのでは・・・。


というのも自由というのは一人一人、その快感するところは異なるであろうし、その人にとっての問題でしかなくて誰も入り込めないようなものであり、共有することは難しいからであり。ある枠組みからの逸脱による新しい世界の発見など他人にはそう関係ないものだと思うからだ。ただ、フランス革命のように、それを共有しようとすることはありえますが。理性を失うというのは、社会的ではなくなることであろう。



建築というものも自由について様々な考え方がある。何もないことが本当の自由さだ、という人もいれば、何かあることではじめて自由なんだという人もいるだろう。また、自由なんてありはしないんだという人もいるかもしれない。自分にとっての建築のもっている自由さというものは、何か存在することではじめて自由が生まれることだと思う。それは生と死の関係であり、男の女の関係のようなものだと思う。つまり、物体として、建築というモノがある状態があることではじめて、人間は状態をコントロールされるのであり、またその逆にコントロールから人間は状態を逸脱しうるものだとおもうからである。



建築には人間の状態を調整する機能を有しており、何故かその調整を超えたり、調整ができなくなった建築というモノが好しとされることがある。それは単純に、本来のモノからの逸脱が生まれているからであり、快感を生じているのかもしれません。しかしながら、そんな状態の建築は本当に魅力的なのでしょうか?建築の創造的側面がないとも考えられないでしょうか?ただの快感ならば普遍的な、むかしからある話なのかもしれません、ピクチャレスクもそんなものなのではないでしょうか?