CM
絵画がかつて建築をその一部分、要素として用いたり、建築が彫刻や絵画をその一部分、要素として用いたりするのと同じように映画が建築をその一部分、要素として用いているという考え方を聞き確かになぁと思ったがだから何なのか?よくわからなかったけども最近CMをぼけーっと見ていて思った事がある。対象が映画ではないから決して同じではないけれども考えてみる。
CMではなんとなくだかCMでも大きく二つに分けられる。二次元内における2D系と3D系である。人間は訓練された人は例外として基本的に3Dまでしか理解できない。(時間軸を除いて)といわれている。中世?においてパースペクティブというものが発明されてから絵画は大きく飛躍したと思われる。映画やCMなどのモーション系は基本的に一コマの連続であり基本的には絵画と変わらない(内容は全く違うけれども)。そのような事を考えつつCMをみていると面白いのは2D系のCMには何か違和感を感じる事。そのような場合おおかた背景は色つきのものであったり、静止画が2,3秒続きパラパラと移り変わるもの。そこに人が出てくるとおかしなことに変なのである。なんかリアリティがないような、チープのような感じ。違和感があるのである。自分たちがむしろバーチャルなものに慣れてしまっているのかもしれないけども。それに比べて3D系でも生活感をだしているものやスタイリッシュなものと様々なものがあるけどその背景にはたいがい建築が映し出されている。モノにもよるが。こういうものはこう使われるからこういう背景が良いみたいに。たいしたものでもないのに背景が凄いとなんか凄いなぁーと思ったりしたりとか十分にありえる。例えばセレブでもないのに背景をセレブ」ぽく仕上げる事でセレブぽくさせるとか。現実とCMの差がありすぎでしょと。建築のプレゼンとかも実際そういう所あるし。岡田君は建築好きだからsonyのCMで背景に有名な建築家の作品つかってたりしてそんなような事を思ったわけだ。シーンの演出装置としてしか機能してない建築というのも面白いとは思うのである。シェルターとしてではなく、メディアにより新しく生まれたプログラム。誰もそんなところは見ていないんだろうけどちゃんと考えられているというかなんというか。
映画の場合ならそのシーンに対してやはりあっているような背景を用いるだろう。感動のラストシーンをポップにしたりするのはなんとなく違うよなぁとか。意図的だったら何故そうしたのかというのを読み解いてみてゆくのが面白いとは思うが。という事から考えていくと背景としての建築は意味みたいなものをもっているのではないだろうか?現実世界ではそういうものがなかなか見えないかもしれないが映画監督はそういうものも読み解いてゆくのかもしれない。隠喩としての建築というかなんというか。建築が発するメッセージのようなものを。それは動物が餌を見つけるような事と似ていると思うのでありまた面白い現象である。敏感な感じ、本能的な感じが。理屈はあると思うけども。
ざっと考えてみるとこんな感じで映画をみることは建築をやるものにとって重要だという考え方ってだからなのかと思った。あくまでこれは自分が見つけた意味であって人それぞれ違うかもしれないけども。