lamination -16ページ目

近代建築家とかにつて

近代建築家には自らの理論?言い訳?があってそれをもとに建築をつくるというのが一般的な見方だろう。終始一括して考え方が変わらないなんてのはいないし。 昨日友達と少し話しをしたがその中で何か昔だよね~、藤村さん凄いわ~みたいな話をしていて自分なりに少し考えてみたわけである。 20世紀とかになると(あんまりわからないけど)世の中が資本主義経済になりはじめ利潤を追求した結果会社みたいなものができてブランドというものが生まれたけど近代建築家って結局そういうものと似てるんじゃないのと思った。でも最近なかなか企業も一ブランドとしてやっていくことが難しいのかその辺わからないけど合併、吸収を繰り返してる。んで建築家もユニット系とかでてきた。何故ユニット系が着目されたのがなんとなくわかった。それに建築は社会と切り離して存在はしておらず密接に社会と結びついて成立しているものである。だからユニット系の出現も経済や社会の変動と共に出てきたのかについてなんとなくこういくことなのと感じたわけである。そうすると建築家?建築をつくる立場とは今後の中でどういうスタンスで建築に向き合うかという事を考えることは凄く大切だと思う。ただきれいにつくるとかだけではあーそうみたいなもので終わることもありえる。ただなんとなくだけど難民や災害時における仮設的シェルター系に最近憧れを感じる。社会的な問題として重要であり一枚のドローイングが世の中を変えるとかもうありえないのかもしれない。化石燃料がないのにF1をやっているけどそれもいつか見れなくなるだろうと同じような感じで。建築を学んだ知識を社会で生かす道はいろいろあってそういう道もありだよなぁーと思ったわけだ。近代建築家のようになるのもありだけどそういうのってなんか今後必要か?と。社会、経済が変われば建築も変わるんだとしたらもう近代建築家のようなスタンスは難しいのかもしれない。だからといって会社や企業に入りそういう事を考えずただ何も考えず働くというのも問題だと思う。自分がよければ良い的な考え方もいつか変わると思うし。というような事を考え藤村さんが理論だてて「批判的工学主義」(ほとんど内容はわかんないけども)というスタンスをだしてるのは一つのあり方でそれが結局設計したときの言い訳と結びついたら残念になるんだろうなんだろうなぁと思った。でも実際それを理論的に考える事なんて非常に難しいことであってそれに取り組んでいる事は凄いと思う。単純に他の同世代の建築家たぶんそこまで考えてはやっていないから。ミニマリズムの進化系みたいな感じでポエジーな感じはジャパニーズちっくでひとつの在り方として良いと思うし。墨江のように思想とかがあれば建築にもかなり強度はできるよなと思う。結果的には社会や経済を勉強しどういうスタンスかを考えたいということにつきる。以上。