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洞窟と柱

建築の原形として洞窟というものがあるがいつからか知らないがよくでてくる言葉。藤本壮介なんかはコンセプトブックでごり押ししている。単純にプリミティブってのもあるかもしれない。しかしながら洞窟はひとつのカタチでありもうひとつのカタチとして柱がありうる。 なにを基準に建築とするかは難しいことなのでそこにはつっこまずここでは柱を建築することにしよう。柱には精神を宿らせるものとしてのカタチにてきしており古代各地でいろんな柱が建てられてきたわけである。 それは人間のエネルギーでもあり神でもありまたは境界でもあったりとその解釈は多重されたものとして捉える事ができ、その重みははてないものだ。また柱は男根のようなカタチをしており、あの瞬間のエネルギーをあらわしているといわれても違和感はない。そう考えると洞窟はその逆で女性の膣をあらわしているようにも見えてたまらない。そしてそれが小宇宙になるのだからたまげたものだ。まさにそこは母なる大地…。つまりは建築の原形にはエロティシズムがあるかもしれない。実は男は女に喰われるのかもしれない。
話はもどして洞窟についてだか卒業設計で穴を掘った作品が評価されたさいに藤森さんが「大地」というアート作品を紹介していたことがあった。今思うとあのアートはある種の建築を有り様をあらわしているのではないのかと思ったのである。それは洞窟と柱である。そしてその両者は均等に扱われいるのである。つまりはどちらかではなくどちらもないと成立しないということ。まさに柱ばっかりでは有り得ないということではないだろうか。と解釈できたのである。あくまでこなんじゃないかという事。そう考えると評価された制作者は感覚的に、無意識にやってしまった事は非常に凄い事なのかもしれない。

また柱についてだがこの間学校の旅行でイサム・ノグチの彫刻庭園を見る機会があったが柱?をつくっていたのが印象的だった。作家の意図はわからないので多分そうかなと思ってみてましたが、表面が荒く様々な表情を持っていた。木の枝が切り落とされてその断面がぶつぶつと見えてる感じや動きを持ちながら空へと伸びる感じとかには単純に良いと思った。あれも一つのありかたなんだなぁと。

洞窟と柱には不思議な関係があるのだろう。現代建築にはない関係が。素朴な意味が持つその強度とかなにか…まだはっきりわからないがそんな事を思った。