ずっと、引っ掛かっていたのだが
人の世の常識と、「宇宙のルール」が乖離している。
と判断する。
神職や僧侶は、「滝に打たれる」とか言う謎の儀式をしている。
霊力は体を鍛えても強く成らない。
そんな事、「常識」じゃないのか?
人の体に宿る「神の力」=「間」は、他人を救った経験で育つ
例えば、
数多の宗教は「人を欺して銭を稼ぐ」
つまり
他人を欺す事で「欺す神」を育てている。
スポーツで「他人を感動させる=救う者」は、
それぞれの「スポーツの神」を育てている。
掃除や洗濯
さまざまな「てだすけ」は、それぞれの「才」を育てている。
「才」という字は「ン」=「左上に昇る」螺旋を表す。
「才」は「さい→Ψ←ぷしー」→「Ⅺ(さい)」=「11」⇔「士」
「Ψ(ぷしー)」は「武士」そして「ぷしー」は「魂」を意味する。
「魂」=「プシュケ(Psyche)」の方が分かり易いかな?
「才」=「Ψ」=「Psy(Psychic)精神」⇔「Psyche(魂)」
この「魂」が「宗」⇔「Soul」
閑話休題
人の才は「他人を救わなければ」成長しない。
才の育ち方は、「何をして救ったか?」に世って違ってくる。
他人を救う「才」が「魂の力」であり、「神通力」と成る。
「才」は聖杯と呼ばれる「Ψ」で表される。
男を意味する「Y」を満たすのが「他人を救った経験」です。
「Ψ」⇔「聖杯」
聖杯がミタされれば、「才」は、レベルアップします。
他人を救った分だけ「魂は成長する」至極単純です。
これが基本です。