神は信仰を求めない | 杉山 召のブログ

杉山 召のブログ

超能力と宇宙人のことを書いています。

ずっと、引っ掛かっていたのだが

人の世の常識と、「宇宙のルール」が乖離している。

と判断する。

 

神職や僧侶は、「滝に打たれる」とか言う謎の儀式をしている。

霊力は体を鍛えても強く成らない。

 

そんな事、「常識」じゃないのか?

 

人の体に宿る「神の力」=「間」は、他人を救った経験で育つ

例えば、

数多の宗教は「人を欺して銭を稼ぐ」

つまり

他人を欺す事で「欺す神」を育てている。

 

スポーツで「他人を感動させる=救う者」は、

それぞれの「スポーツの神」を育てている。

掃除や洗濯

さまざまな「てだすけ」は、それぞれの「才」を育てている。

「才」という字は「ン」=「左上に昇る」螺旋を表す。

 

「才」は「さい→Ψ←ぷしー」→「Ⅺ(さい)」=「11」⇔「士」

「Ψ(ぷしー)」は「武士」そして「ぷしー」は「魂」を意味する。

「魂」=「プシュケ(Psyche)」の方が分かり易いかな?

「才」=「Ψ」=「Psy(Psychic)精神」⇔「Psyche(魂)」

 

この「魂」が「宗」⇔「Soul」

 

閑話休題

人の才は「他人を救わなければ」成長しない。

才の育ち方は、「何をして救ったか?」に世って違ってくる。

他人を救う「才」が「魂の力」であり、「神通力」と成る。

 

「才」は聖杯と呼ばれる「Ψ」で表される。

男を意味する「Y」を満たすのが「他人を救った経験」です。

「Ψ」⇔「聖杯」

聖杯がミタされれば、「才」は、レベルアップします。

 

他人を救った分だけ「魂は成長する」至極単純です。

これが基本です。