狛犬は日本の文化です | 杉山 召のブログ

杉山 召のブログ

超能力と宇宙人のことを書いています。

何でも海外の方が偉い。って
日本を卑下する「舶来主義」って嫌です。
そんな考えの方は、
受け入れることができないでしょう。

狛犬は日本の文化です。

神社の絵馬は、オリオン座のM41星雲です。
これはイエス・キリストの故郷の星です。
イエスは馬屋で産まれたのではなく
M41星雲・・・即ち、馬頭星雲の者です。

日本に昔から有る馬頭観音の像は、
M41星雲の者
彼らは馬の面ではありません。

馬頭観音の像は、
阿修羅像の様に面が多い手が多い・・・ですが
それは、有能さを表した脚色です。
イエス・キリストも癒やしの奇跡を使えました。

何故にイエスなのか?
それは、
聖書でイエスが
阿吽について説明しているからです。

ヨハネ福音書には、こう書かれている。
αとωのHex(陣)を配置すると加護を得られる。
神は彼(YOU)の保護者に成り、
彼(YOU)は神の子に成ると言う。

神社の基本は、「 お百度参り 」 です。
阿吽の狛犬の下に行くと
神が参拝者に救いの力を与えます。
参拝者はその力を持って帰り
救いが必要な者(病人)を癒やします。

問題は、なぜ百度参りなのか?

 初め人の持っている器は小さい。
 救いの力は、 直ぐに器に溢れてしまう。
 だから、参拝者は
 神社と病人の間を何度も往復して、
 救いの力を補充するのです。

しかし器は、
いつまでも小さいままではありません。
力を使うごとに経験値を得て
徐々にレベルアップします。

そうして十分に成長した器を聖杯と言い。
大いなる奇跡の器と成るのです。

これは、仏教の形に似ています。

菩薩の力が欲しければ、
日々菩薩の真似をして人を救えば良い。
そうすればいつか
その者も
菩薩と同じ、菩薩の救いの力を得るのです。

仏陀の説いた仏教は、救いの方法です。
しかし、
バラモンの教えに改ざんされてしまいました。
だから、
仏陀が出家する理由のカースト制度が残り、
民を救う筈の悟りも「無」にされてしまった。

蛇来(へぶらい)語で「ム」とは「救い」です。
「無」ではありません。
「無」で、争いは無くならない。
「無」で、民も救われない。
「無」で、病気は治せない。
ハッキリ言って自己満足でしかありません。

狛犬のコマは、玩具の独楽です。
イエスが「 vine 」と呼ぶ運気を上げる回転です。
コリオリ力と言う反時計回り(ACW)です。
北半球はコリオリ力に守られます。
それが文明の進み方に差を生み出している。

正しい阿吽の位置は、鳥居(中心を表すπ)
左が阿、右が吽です。

  阿 ← ← ← 吽 この回転がコマ
  ↓        ↑ 運気を上げて
   →  π  →   救いの力を与える。

本堂は神社のどこに有っても構いません。
本堂に意味はなく管理者の部屋
神社の御神体は、参拝者自身だからです。

蛇来(へぶらい)語でツクヨミとは石の救いです。
地球人は石の魂なので、
地球人が ツクヨミ なのです。

                     ツク  ヨミ
「救い」を「神」と置き換えるなら、石の神です。
実は九十九神と言うのは、
石の神(ツクヨミ)に当て字したものです。

地球人の力は、器物に魂を込めること
その能力が星に命を与え
その能力が地震を止めるのです。
地球は産まれたばかり
いつか
地球人もM41馬頭星雲のイエスの様に
癒しの力も手に入れます。

その為にも、阿吽の正しい神社に参拝して
救いの力=菩薩の力を貰いましょう。
神の代行者とは、
神社で救いの力を充填した者の行いです。

菩薩の如く、誰かを救い。
いつか八面六臂の活躍を見せてください。
誰もが未来のツクヨミ
石の救いの体現者(実行する者)なのです。

誇りとは誇示するものじゃない!
努力の積み重ねで湧き上がるものです。
誇りを沸き上がらせましょう!
みんな、ツクヨミの力を備えているのです。

自分を卑下するのを止めましょう!
救いとは、癒やしだけと限りません。
綺麗に掃除する。
美味しい料理を作る。
話術で和ませる。
人を喜ばせる全てが救いにつながる。

役に立たない者など居ない。