邪馬台国の暮らし | 杉山 召のブログ

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超能力と宇宙人のことを書いています。

地球に来たハイドラの民は大和の民と名乗り
もともとは、ヤト(蛇奴)
ヤトの蛇(やまたのおろち)とは、今で言う侍
寺(てら)の人だから侍です。

*テラとは、海蛇座の地球みたいな星です。

今から凡そ5万年くらい前にハイドラの民は
日本に現れ縄文人と仲良く暮らしていました。
(ハイドラの民は地球の北半球に現れた)
と、同時に
地球の南半球でもシリウスの民が現れた。

ハイドラとシリウスの民は大犬座のシリウスで
惑星ベントラに仲良く住んでいました。

*ベントラとは大犬座の地球みたいな星です。

日本の縄文時代の地層から鉄器が出るのは、
ハイドラの民が鉄を加工する技を持っていて、
鉄器が縄文時代から日本に有ったからです。

古代ヘブライ語とは、ハイドラの言葉です。
ヤト(蛇奴)も、クナト(狗奴)も、縄文人も、
古代ヘブライ語を話します。

北半球に現れたヤト(蛇奴)は、
アラム文字からカタカナを作り日本に拡め、
鉄器からカタナを作って装備しました。

・・・そう言えば、遺品をカタミと言います。
カタミも、カタナも、カタカナも、過去の遺品
カタと過去・・・過去と加工・・・過去の品
加工品(かこのひん)・・・まさかね?

ヤト(蛇奴)と縄文人は姿がよく似ています。
やがてヤトは大和の民と呼ばれるように成り
クナト(狗奴)は陰陽師(影に日に石を守る師)
石見衆・・・忍者とも言う。に成ります。

石とは、ククト(石奴)石の魂を持つ者たち。
地球人のことです。
だから地球の童子のことを砂利と言います。
君が代の「さざれ石が岩に成るまで~」とは、
さざ(良い劣い)れ石とは、
静音と濁音を並べると意味が逆に成る故
さ(良い)ざ(劣い)の石を指します。

君が代は良い人も、良くない人も成長して
苔の生すまで、苔生す(こけむす)とは、
苔が荒れた土地に生えないことから、
きれいな土地、争いの無い土地を意味します。

九州が邪馬台国じゃない理由は半島じゃない故
北に玄武
南に朱雀
西に白虎
東に青龍
北に山が無ければ、山を造らねばならない。
つまり、ピラミッドを造らねばならず、
手が掛かるので島に住むのを嫌がるからです。

基本的にヤト(蛇奴)の民は半島を好みます。
北に山を造らなくて済むからです。

ハイドラの民は誕生日で子供を振り分けます。
惑星が前世の行いで人間を仕分けるからです。
前世で職人だった者は何月何日に生まれる。
そんな風に惑星は輪廻転生を管理しています。

だから七歳までは女たちが子供を一緒に育て
七歳で東西南北に分かれて暮らします。
北に病院  仁(救い)社 玄武(亀は養生食)
南は傭兵  火消し、警察、自警団、相撲取り
西は文官  倉庫、事務 (文庫=文虎)
東に商業  流通(龍通)、海運
中央は農業や牧畜を営みます。

基本的に男女は分かれて暮らします。
ヤト(蛇奴)に婚姻は無く、基本、夜這いします。
昼間はアイドル(ウズメ)を追いかけますが
夜はブサイクでも関係ありません。
夜の雀(ミミズク)の真似をしてホーホーと呼び
同じくホーホーと返ったら大人の時間です。
やがて
福郎(ふくろう)・・・妊娠の朗報(兆候)が有り、
子供が産まれて来るのです。
ミミズク(夜雀)はやがて、梟(福郎)と呼ばれる。

ちなみに 朱雀とは、相撲の神様です。
手の無い鳥は相撲で負けないって縁起物で、
不敗のシンボルになっています。
スサノオは鳥の王(神)です。
王とは支配者じゃなくて、Жを横に寝かしたもの
Ж=神(救い)個人名じゃありません。

ついでに 鳳凰は人が災害や病気で死んでも、
民は子を作り、産み増えて 滅びたりしない。
って、人は不幸に呑まれたりしない。
不幸を乗り越え、それ以上に
幸せに成ってみせるって決意表明のお話です。

朝日ジュニアの卑弥呼が男と同室でしたが、
男女が同じ部屋に居ることは無いです。
それに、兄弟の概念も有りません。
もし、この本が正しいなら、卑弥呼は男です。
あり得なくもないですね。

ヤト(蛇奴)の世界では女装は珍しくない。
ウズメと言う言葉の由来は、産まず女
つまり、男の娘の事だからです。

ヤト(蛇奴)は他人の嫌がることをしない。
女の人に「産まず」なんて、絶対に使いません。
男だから「産まず女」なのです。

ヤト(蛇奴)は男女で分かれて住みます。
もし、男だけで生活すれば、疫病が発生します。
そこで役に立つのがウズメです。
ウズメは日常の(男の)性処理から炊事洗濯まで、
みんなの嫁として頑張ったり、
歌や踊りを披露して楽しませるアイドルでした。

たいてい揉め事は手で抜くとスッキリします。
ウズメは諍いの調停者でも有るのです。

邪馬台国で占いはしていません。亀は養生食
物事が失敗するのは、
阿吽(神の加護)が満ちていないからです。
だから、待てば海路の日和あり・・・。
     果報は寝て待て・・・。
なんて言葉が残っているのです。