シュメル文化を紐解いていたら神が無いって知った。
「神」ではなく「救い」
だから「神社」も、正しくは「救いの杜」と言う意味になる。
救いの杜にはツクヨミが居た。(月読ではない)
ツクとは、古代ヘブライ語で、岩とか石の事です。
ミ(ム)は「ム」→「救い」→「神」になった。
ヨミ(ヨム)は「の救い」→「神の救い」になった。
初めは
古代ヘブライ語とアラム文字(カタカナ)からの文字、
途中で大陸から漢字が伝わって来て当て字が生まれた。
カタカナに漢字が当てられるようになったのです。
つまり
「石(イシ)」とは「医師(イシ)」と当て字された言葉です。
石(ツク)の救い(ヨミ)が、ツクヨミ・・・つまり昔の言葉で、
「医師の救い」が「ツクヨミ」だったと言う事です。
「救いの杜」には「お賽銭箱」が設置されています。
賽とはサイコロの賽です。 サイコロとは人の骨でした。
つまり賽とは骨を表すものです。
博打に詳しい人なら知っている豆知識です。
お賽銭の賽が墓
お賽銭の銭が金
即ち、墓金箱とは、賽銭箱の事です。
残念な事に最近は間違った漢字の募金が使われています。
ですが、賽銭とは仏教の喜捨の事です。
墓金にはきちんとした由来が有り、意味が有ったのです。
喜捨
それは善意を墓に捨てて他の困っている人を救う教えです。
捨てた物だから自由に使ってくださいね。
神社(救いの杜)は、お賽銭を困っている人の為に使いました。
困っている人=病人
つまり、現代の健康保険制度と似ている(元祖)なのです。
民が小さな優しさをお賽銭箱(墓金)に入れる。喜捨する。
治す人(ツクヨミ)が病人を救って
お賽銭のお金でまかないを食べる優しさの循環です。
ツクヨミとは、もともとツクヤムと言う古代ヘブライ語です。
石の救い
それがツクヤムです。・・・情けは人の為ならず
昔の石(医師)は、まかないだけで人を救っていたのです。
それがツクヤムの思想です。
救いの杜で、ツクヨミになりたければ誰でもなれました。
報酬はまかない(食事と寝る所)
いつも貧乏です。
でも、遣り甲斐は、それ以上に十分なものでした。
救いの技術は先輩のツクヨミの技を見て学びます。
報酬は無いので
誰でも参加できて、先輩に導かれ霊力が成長しました。
一人より、二人、二人より三人のツクヨミが
力を合わせる。
そこには大きな(救いの)奇跡が有ったと考えます。
救いが上手く行くように阿吽の駒犬(こまいぬ)が居ました。
何者かが改ざんするまで、
古代ヘブライ語は左から右(阿→吽)に文章を綴っていました。
日本語も左から右に書くのが正しい。
もし、右から左に文字を書く文化なら
一の書き順が右から左に線を引かなければ不自然です。
ヘブライ語も左上から書き始めて右下に止めます。
これは、
本来ヘブライ語も左から右に書いた証です。
それを何者かが何の意味が有ってなのか改ざんしました。
神社の阿吽は、祝福の意味が有ります。
逆の吽阿(うんあ)は、
加護を失くすための「呪い」にする為だと知っています。
「祝(祝福)」は阿吽を逆にすると「呪(呪い)」になるのです。
英語だと、Cure が Cusre になるのです。
善のエネルギー(祝い)を負に変えるのが(のろい)呪いです。
負とは奪うと言う意味です。
阿吽が逆だと加護が奪われるのです。
私は神社を本来の「ツクヨミ」(救いの杜)に戻したい。
貧しい者でも救いが受けられる杜
治った患者の笑顔に救われるツクヨミに戻したいのです。
ツクヨミ(医師の救い)・・・意志の救い。